頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

ぎょ

2012-02-09 | days

講談社から出ている西村健の「地の底のヤマ」という本を読んでいた。

219頁はこんな風なのに、





220頁になると急に字がくっきり太くなるのである。






ちょっと分かりにくいだろうか。

何か意図があってここだけ太くしたのかと思ったが関係ないようだ。

昔の本なら頁によって文字の感じが変わるのもよくあったけど、今では珍しい。

ちょっとギョっとしたという話。

相変わらず毒にも薬にもならなくてすまぬ。
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『幻影の星』白石一文

2012-02-08 | books
私は、ずっと前からこの世界は作り物じゃないのかと思っていた。地球の裏側ではとか、コソボではとか報じられていても、実はコソボなるものは存在せず、それ以前に地球すら存在しない。目の前に見えているこの世界は、誰かが作った巧妙な映画だかCGなんではないかと思っていた。


「幻影の星」白石一文 文藝春秋社 2012年(初出オール讀物2011年8月号~11月号)

いきなり初っ端から引き込まれる。主人公の母が長崎から電話で、お前の名前の入ったバーバリーの青いレインコートが届けられたと言う。確かに青いバーバリーのレインコートを買った。自分の名前も刺繍してもらった。しかしそれは神楽坂の自分の部屋にある。全く同じものがこの世に二つ存在する?なに?

最初にその謎が提示され、一応それが解かれている様がメインテーマになる。しかし白石一文だからいわゆるミステリーでもなく、いつものように、物語なのに特にこれと言ったストーリーがあるわけでもない。いつものように、理屈っぽい

それがいいのだ。バツイチの女性と不思議な恋愛をする25歳男性(専門学校卒、色々あって今は東京で会社員)と色々あって諫早で会社員をしながら夜はスナックで働きながら社長と不倫関係にある25歳女性の話が一応ストーリーではある。

それとは別で、今回の白石理屈は、この世はイリュージョンではないのかというもの。これがまた私自身が抱えていた冒頭に書いた疑惑とぴったりフィットしてしまったので、やめられないとまらないえびせん状態になった。


「たとえばさ、フランスって国だって、私がフランスに行ったときにだけ存在すればいいし、私が本を読んだり、テレビや映画を観たりするときにだけあればいいわけでしょう。それは逆に言えば、私が感じないときのフランスという国は、私にとってないのと一緒とってことなの(24頁より引用)



若干普通ではないセックスが出てきたりして、エロと哲学の融合、これがまさに白石一文の真骨頂なんだろうと思う。


僕たちの意識は、始まりと終わり-よく言うところの因果律にいつも拘束されているわけではない。(中略)心には因果がない。恋愛感情などはその代表選手のようなものだ。僕たちは人を恋するとき、その理由を求めない。理由があって誰かを好きになることもあるが、ほとんどはそうではない。最初に誰かを好きになり、それから僕たちはおいおいその理由を探り始めるのだ。男女の存在自体にも理由はない。男女は繁殖のために与えられた二種類の役割だと説かれればいかにもそれらしく思うが、繁殖のために雌雄が必要だという明確な根拠はない。それより何より、なぜ繁殖が必要なのかという大本の理由もない(190頁より引用)


こういう理屈は、普通はあまり小説に書かないだろう。こういう理屈が嫌いな人には決して薦めない。しかし嫌いじゃない人にはぜひ薦めたい。

では、また。




幻影の星
文藝春秋
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松井冬子展@横浜美術館

2012-02-07 | days

無断に広く、税金無駄に使ってるんじゃねえよと市民から今も非難がある横浜美術館。画家の松井冬子展に行ってきた。美人であるという評価が先走っているとか、私は観てないけれど紅白歌合戦の審査員にいたあの人は誰だとか、というようなビジュアルが先行してしまっているように思う。

ので、あまり期待せずに行った。

しかし、後頭部にハイキックをもらったような、延髄にメスを射ち込まれたような、手のひらに五寸釘を叩き込まれたような、そんな気分になった。

色がついた絵もいいんだけれど、それに至るデッサンがこれでもかと展示されている。これがいい。このデッサンがいい。このデッサンを観ることが出来ただけでも来る絵画あった。いや、来る甲斐があった。

彼女のような美人顔。いや美人顔と言ってもいろいろあるけれど、元来私はこういうタイプのやや冷たい、にも関わらず秘めた情熱を感じさせるようなタイプに弱かった、んだけど、そのことを忘れていた。ずっとそういうタイプに出会ってなかったんだ、ということを思い出した。

真に優秀なクリエーターとは、作品に触れた人に、多くの物事を感じさせ、思い出させ、その作品から離れた遠い世界にまで連れてってくれる。

なんてな。


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ひとこと

2012-02-05 | laugh or let me die






函館の自由の女神 said


「少年よ 大志を抱け なんつって」

「え?ソフトクリーム?右手に持ってるのはソフトクリームとはちゃうで」

「あたいが本家本元、白い恋人やで」

「せやから あれやで 長野オリンピックんときの 伊藤みどりちゃうって」




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『春の夢』宮本輝

2012-02-04 | books

「春の夢」宮本輝 文藝春秋社 1984年(初出文學界1982年~1984年

大学生の哲之。死んだ父親が降り出した手形を持ったやくざものが追いかけてくる。ホテルのボーイとして働き、面倒な人間関係に巻き込まれ、美しい彼女がいて、でもとても貧乏で。越したアパートでは大家が電気を通じておいてくれなかった。仕方ないので夜中に柱に釘を打ったら、蜥蜴を生きたまま貫いてしまっていた。蜥蜴にキンちゃんと名づけ、釘を抜くことができない哲之。青春の鬱屈の行先は…

いやいやいや。これは私の好み。うじうじしていて、憂鬱に屈折した主人公の行動と内心がいい。大事件が起こるわけでもなく、解かれるべき謎もないのに、ついつい読み止めるひまを与えてくれない。

あちこちで、ギシギシと罅の入った心が音を立てる。


歩いて行くうちに哲之は自分が恥ずかしくなってきた。人を見る眼力か、と心の中で言った。逆境に弱く、ふところが狭い、か。よく人のことをそんな風に言えたもんだ。逆境に弱くふところが狭いのは、ほかの誰でもなく、この俺自身ではないか。(文庫版160頁より引用)



「俺はこんな説教めいたことを言うのは好きやないけど、ちょっと気障な遺言や思うて聞いといてくれ。人間には、勇気はあるけど辛抱が足らんというやつがいてる。希望だけで勇気のないやつがおる。勇気も希望も誰にも負けん位持ってるくせに、すぐにあきらめてしまうやつもおる。辛抱ばっかりで人生何にも挑戦せんままに終わってしまうやつも多い。勇気、希望、忍耐。この三つを抱きつづけたやつだけが、自分の山を登りきりよる。どれひとつが欠けても事は成就せんぞ。俺は勇気も希望もあったけど、忍耐がなかった。時と待つということが出来んかった。自分の風が吹いてくるまでじっと辛抱するということが出来んかった。この三つを兼ね備えている人間ほど恐いやつはおらん。こういう人間は、たとえ乞食に成り果てても、病気で死にかけても、必ず這い上がってきよる」(178頁より引用)



あの京都の下町の角の連れ込みホテルの、なんとも侘しさを漂わせたたたずまい。その玄関をあけて中へ入った瞬間の哀しみ。そして主人の善意に満ちた剽軽さ。些細な事象を媒介にして、怖ろしい速度で変化する人間の心。そんなおぼつなかい心に支配されて生きるのは、なんて馬鹿げたことだろう。(216頁より引用)



では、また。


春の夢 (文春文庫)
宮本輝
文藝春秋
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"He said..." ,he said.

2012-02-03 | poetic inspiration

イイ歳シテ定見ナキヒトニハ関ワル可カラズ

然ラズンバ

弐拾歳ナノニ拾歳ノ中身

参拾歳ナノニ拾弐歳ノ中身

四拾歳ナノニ拾四歳ノ中身

ト付キ合ワサレルハメニナル

此レハネ 中々時間ノ搾取ナンダゼ

貴君の尊イ時間ガナクナッチマウゼ

外見ガ子供ナノハイインダゼ

肝心ナノハ中身ダゼ

ミテクレニダマサレチャイカンゼ

南無妙法蓮華経



(と宮澤賢治が言ってた、夢の中で)

(なんでやねん)
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『春を背負って』笹本稜平

2012-02-02 | books

「春を背負って」笹本稜平 文藝春秋社 2011年(初出オール読物2009年6月~2010年12月号不定期)

亨は大学院卒業後、電子機器メーカーに勤めていたのに、死んだ父親の後を継いで、奥秩父の山小屋を経営することになる。手伝ってくれるのは元ホームレスのゴロさん。ゴロさんを逮捕しようと刑事がやって来たり、自殺しそうな客がやって来たり、84歳の登山者がやって来たり、シャクナゲを盗む泥坊がやって来たり、亨の日々は忙しい…連作短編集

ふむふむ。とても読みやすいし面白い。マンガ「岳」のような雰囲気を感じるけれど、テイストはかなり似ていると思う。山とか自然を題材にすると、植村さんのエッセイで感じるのと同様に、根本の部分で共有するものがたぶん同じになるのではなかろうか。だからその一部に触れ面白いと思えれば、他のほとんどが面白いのだろうと想像する。


「そうだよね。周りからいくら幸福に見えても、その人が本当に幸福かどうかは本人にしかわからない。でも心の中に自分の宝物を持っている人は周りからどう見られようと幸福なんだよ」(300頁より引用)



過去のトレッキングでは山小屋にはあまり縁がない。去年はシュラフも買ったし、テント以外の装備はほとんど揃った。

よし、山へ行こう。山小屋に泊まろう。



春を背負って
笹本稜平
文藝春秋
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