「私たちが好きだったこと」宮本輝 新潮社 1995年(新潮文庫 1998年)
私は照明器具のデザイナー、31歳。76倍の関門を潜り抜けて公団マンションが当たった。新宿にも青山にも近い。しかし同居家族がいないといけない。カメラマンをする友人と一緒に住むことにしていたら、たまたま会った二人の27歳の女性とも一緒に住むことになった。1980年から1982年の間、駆け抜けていった4人の時間。青春と言うには遅い頃に訪れた青春の日々。愛あり、借金あり。恋の行方は、4人の人生は…
うーむ。これはいい。ストーリーはいいし、人物造形もいい。先が読めないし、考えさせられることも多い。野沢尚脚色で映画されているそうだが観ていない。多分観ないだろう。原作があまりにもいいと映像化されたものを観る気になかなかなれない。
しかし、どこがどういいのか具体的に説明するのが難しい。渋い秀作であることには間違いないが。以下に気になった箇所を引用させていただく。(携帯から見るとどうなるか不明だが、PCから見ると、引用部分はそこだけ目立つようにしている)
「俺は、新聞も週刊誌も、テレビの報道も信じないんだ。たとえば、有名人の誰かの行いがやり玉にあげられる。書いてるやつは、自分は生まれてこのかた立小便もしたことがないみたいなふりをしてる。個人のプライバシーに唾を吐いて、言いたい放題、書きたい放題。それを読むやつも、なるほどそうなのかって、いとも簡単に信じ込む。どいつもこいつも、口舌の徒になる。俺はそんな風になりたくないんだ。逢ったこともなければ、話をしたこともない人を、賞めたり、けなしたりするのは犯罪だよ。(文庫版164頁より引用)
「女ってのは、何もかもを他人のせいにするんだ。自分の不幸は、みんな誰かのせいだと思ってる。(192頁より引用)
好きな女に甘えられるのは楽しいが、その甘えを常に受け容れることを義務化されてしまったような気がしていたのである(209頁)
「私たちは、気配に敏感であることによって、社会に邪魔者扱いされる時代に生きているんだわ。気配に敏感な人は、この社会の鈍感さに耐えられなくなって、自分だけの世界に閉じ籠る以外に自分を守れなくなるの」(328頁)
「女ってのは、何もかもを他人のせいにするんだ。自分の不幸は、みんな誰かのせいだと思ってる。(192頁より引用)
好きな女に甘えられるのは楽しいが、その甘えを常に受け容れることを義務化されてしまったような気がしていたのである(209頁)
「私たちは、気配に敏感であることによって、社会に邪魔者扱いされる時代に生きているんだわ。気配に敏感な人は、この社会の鈍感さに耐えられなくなって、自分だけの世界に閉じ籠る以外に自分を守れなくなるの」(328頁)
結局小説なんて、他人が書いた物語じゃなくて、他人がずっと腹に温めていた哲学を読むことのようだ、と宮本輝作品を読むといつも思う。
では、また。
