頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

店名にツッコんでください66

2013-05-14 | laugh or let me die
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『アヘン王国潜入記』高野秀行

2013-05-13 | books
アジアの秘境、ゴールデントライアングルは中国、ラオス、ビルマ、タイにまたがるアヘンの生産地帯。1995年ビルマのワ州に入り村に住み、アヘンの種まきから収穫まで、どんなジャーナリストもやったことのないことを体験した記録。

これはスゴイ。こんなことをやる人間がいるというのもスゴイし、それを記述する筆力もまたスゴイ。

アヘンをどうやって栽培するのかというHow Toから、言葉の壁、文化の壁、歴史の壁を乗り越える様がこれでもかと描かれる。

ビルマの近現代史についてかなり詳しく説明してくれていて、それもまたすごく勉強になってしまう。(勉強になるからという理由で高野の本を読んではいけないように思うけれど)

あろうことか、高野はアヘンの吸引を体験し、そしてあろうことかその中毒になってしまう。それについてはこんな記述があって、

べつに楽しいことはない。満足感もない。快感すらない。そういう積極的な喜びとは無縁である。では、どうして心地よいのだろう。自分でも不思議になり、正気に戻ったときに、いろいろと考えてみたのだが、どうも「欲望の器」が小さくなるせいではないかと思い至った。
人間は生まれながらにいろいろな欲望を持っている。比喩的にいえば、欲望は器のようなものである。ふつう、人間が楽しいとか嬉しいとか感じるときには、その器に清水なり蜂蜜なりがたっぷり満ちる。文字どおり「満足」とか「充実」とかいう状態だ。人が生きていくのはそういう欲望が原動力となっているのはいうまでもない。ところが困ったことに、欲望の器は満たされるたびに、どんどん大きくなる。それでまた懸命に中身を注ぎ足そうと努力する。仏教でいう「煩悩」に当たるかもしれないが、そこに人生の醍醐味があるともいえる。
その意味では、アヘンの心地よさはまったくもって反人生的である。アヘンの効能なもっぱらその「欲望の器」を小さくすることにある。器が小さくなれば、中身の不足はたやすく補える。ネガティブな「満足」だ。反人生的であるが、釈迦の教えそのままといえなくもない。一所懸命頑張ろうなんて気は起きないし、緑色野菜以外のものを食いたいとか、日本語で思う存分友だちとしゃべりたいとか、日ごろ切望している欲求はまったくどうでもよくなるのだ。働きたくもない。遊びたくもない。ただただ現状に甘んずる。それが「板夢」による心地よさの正体ではなかろうか。(文庫版275頁より引用)


なるほど。他人を受け入れる器は大きく、自分の欲求を受け入れる器は小さく。それが幸せへの鍵なのかも知れない。

まともな頭をしたジャーナリスト、新聞記者、テレビクルーには決して書けない世界。読めば病み付きになる。

では、また。

「アヘン王国潜入記」高野秀行 2007年(1998年「ビルマ・アヘン王国潜入記」草思社を改題)

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『北の無人駅から』渡辺一史

2013-05-11 | books
北海道には2回しか行ったことがない。西から東まであちこちには行ったものの所詮観光者によるビジター目線でしか捉えられなかった。佐々木譲の北海道警シリーズの方がよほど、実際に自分の目で見た現実より、私に深い印象を残している。

本書は北海道の無人駅とその周辺を取材してまとめたもの。てっきり鉄道オタクが読むものだろうと思って書店で見かけても中を見なかった。しかし後に書店で見かけたときにパラパラめくっていたら、駅以外の膨大な情報が書かれていてこれは読まねばと読み始めた。

確かに各章の始まりは北海道の無人駅の周辺取材からなのだけれど、段々と脱線していく。無人駅だけに。タンチョウヅルから環境問題、人間のエゴだったり、北海道産のコメの話から、食管制度やTPPだったり、カニ族(今で言うところのバックパッカー)と呼ばれた若い旅人の話、高倉健の「駅 STATION」の舞台になった駅の話等等等。

700頁を越える大作。何事に対しても良い面、悪い面双方を見ようとする公平な文章の書き方がよいからなのか、文字数が異常に多い割に読んでいて疲れない。各章の終わりに注釈がついているのだけれど、これがまた小っちゃい字で様々な事柄を説明してくれている。これを通常の文字の大きさに変えたら、軽く2000頁を越えてしまうだろう。

偏らない姿勢と扱っている話題の豊富さから「社会」のテキストにすると面白いなーと思った。

鉄オタだけの本にしておくのはもったいない本。

では、また。

「北の無人駅から」渡辺一史 北海道新聞社 2011年

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『ゼロからわかるブラックホール』大須賀健

2013-05-10 | books
ブラックホールを作ってみる。

地球をものすごーく圧縮すると、ブラックホールにできるのだそうだ。どうして?半径9mmにすれば光も脱出できなくなる。太陽の場合は半径3kmにすればブラックホールになってしまう。なぜ光が脱出できなくなるかというのと半径の計算については、こんな感じ。

地球からロケットを飛ばそうとすればあるスピード以上出ないと打ち上げても落っこちてしまう。どれくらいのスピードで打ち上げればいいかと言うと、秒速11km。このスピードを越えれば地球を脱出できる。光は秒速30万kmなので余裕で地球から飛び出せる。

Vを脱出に必要な速度、Rをその天体の半径とすると、

V=√2GM/R (ルートの中にR分の2GM)

Gは重力定数、Mは天体の質量。どちらも変わらないからこの際、無視してしまおう。半径は分母にあるから、半径が小さくなればなるほど脱出に必要なスピードは大きくなる。地球の半径6400kmを小さくしていくと9mmにまで小さくしたときにVが光の速度と同じくらいまで大きくなるのだ。つまり、光すらその天体を脱出することができなくなってしまう。

なるほどー!というのが第1章「ニュートン力学のブラックホール」に書いてあったこと。厳密な部分は端折っているそうだけれど、私としては端折ってもらわないと理解できないので、端折り上等。



解説している動画を見つけた。

微分すら分からないのに、ブラックホールのことが分かってしまった。面白い。

では、また。

「ゼロからわかるブラックホール 時空を歪める暗黒天体が吸い込み、輝き、噴出するメカニズム」大須賀健 講談社ブルーバックス 2011年

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東北同中膝栗毛4 かたくりと山寺と

2013-05-09 | travel
かたくり原生地。車で移動しながら観る。すごい量のかたくり。





かたくりと片栗粉は関係ないとはじめて知った。





10万本に1本しかない白いかたくり。見つけることができたら幸せになれる。とは聞いていない。


山寺。立石寺根本中堂御本尊薬師如来50年に1度御開帳。







以上で旅の話は終わり。

5日間の旅を終え、体重計に乗ったら、4キロ増えていた。食べまくっていたので、想定内。しかし体脂肪率は3%減っており、骨格筋は3%増えていた。そうか。腹の周囲についたふわふわしたものは実は筋肉なのだな。やはり旅の間ずっとロングブレスダイエットをしていたからだろう。脳内で。

地方都市の疲弊が言われているけれど、確かに地方の中枢と呼ばれるような都市、駅周辺、商店街に行くとあまりにも活気がないと思うことが多い。シャッター通りを見るとせつない気持ちになる。ラジオを聴けば東京の放送局の真似のような番組が多く、オリジナルの面白さは、少なくとも私の見た限りマスメディアではあまり感じられない。出版メディアでも同様。

東北には行って実際に見ると面白いものが多い。東京が一番。東京に出なきゃ。という気分と抑圧と幻影があちこちで様々な不幸を作り出している。なんでもかんでも東京一極集中という、偏った人と資源の移動をうまく避けられれば、日本という国はもっともっと面白くなるんじゃないかなと思った。

では、また。
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東北同中膝栗毛3 角館と乳頭と辰子と

2013-05-07 | travel
角館。残念ながら桜はまだ咲いていなかった。





咲いていなくても膨大な数の観光客。さすがGW。

ミズバショウの群生地。





尾瀬のマイカー規制が面倒なので、尾瀬には長いこと行ってない。ので代りに。

乳頭温泉の鶴の湯。秘湯の中の秘湯と呼ばれるだけあって遠い。







男湯と混浴双方に入った。混浴に期待したが、女性がいない。女性専用の露天風呂が別にあると後で知った。そりゃ来ないわな。泉質なるものには詳しくないのだけれど、効果がありそうな感じがした。夜に下着を脱いだら、白い粉状のものが大量にこびり付いていたから。多分温泉の成分だろうと思う。違うものだったら失礼。

田沢湖の辰子像。





日本で一番深い湖だそうだ。湖畔のハーブなんとかというところのバイキングランチを食べたらひどく旨かった。

観光バスで大勢その店に入って来る客がいて、彼らはある特定の場所の席で食べることが決まっている。しかし1号車から降りた50歳ぐらいの女性二人はそのテーブルから脱兎のごとく逃げて、一般客のいるテーブルに移動し、喜色満面で席を取った。しかし後で係りの人に元の席に移動させられた。すると3号車からも全く同じように50代後半ぐらいの女性二人組が→逃亡→席確保→喜色満面→逃亡罪で逮捕。

うーむ。

あの、席を取ることに異常に執念を燃やすおばさんという生き物はなんなのだろうか。

まあ、そのおばさんから見れば、エッチなことで頭がいっぱいなおじさんという生き物もなんなんだという話だけれど。

話を戻すと、鶴の湯はぜひまた行ってみたい。なかなか宿が予約できないそうだが次回は泊まりたい。今までは全く興味がなかった秘湯にちょっと興味が出て来た。秘孔は突くもの。秘毛は抜くもの。秘湯はゆくもの。

まだ続く。
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東北道中膝栗毛2 桜の北上を追いかけて

2013-05-06 | travel
北上展勝地にて桜が満開。













橋を渡って対岸から見る







夜は大曲の塩ホルモン屋







塩のみでたれはなし。この店は当たりだった。安くて旨い。わざわざ行く価値あり。

最近多くの店で取り入れている無煙には無縁な店なので、服に匂いがこびりついた。宿に帰ってから、匂いをおかずにごはんを食べた。

まだ続く。
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東北道中膝栗毛

2013-05-05 | travel
今年のGWは5日間連続で東北に行って来た。宮城、秋田、山形へと。

目的の一つは仙台市博物館の「若冲が来てくれました プライスコレクション 江戸絵画の美と生命」





ものすごく混んでいた。先日買ったばかりのオリンパスの単眼鏡が非常に役に立った。ガラスケースに入っていると作品まで距離があるので細かい部分が見えない。別の美術館で使用している人を何度も見かけたので買った。若冲あるいは別の画家の細かい筆致が見えて、驚くばかり。行ってよかった。

松島へ移動。





遊覧船に乗りかもめにえさをやった。





まさかえさがかっぱえびせんとは。

塩竃では寿司。





昼から3150円は高いけれど、旨いので仕方がないか。大トロよりも赤身が絶品だった。

隣のカップルが、蟹のみそしるを追加で頼んでいた。無料でお吸い物が付いてくると知ったら、それもさらに持って来いと要求していた。ガリもお代わりしていた。みそしるとお吸い物両方飲むとはよほど喉が渇いていたのだろうか…

しかし、もうちょっとましな文章は書けないのかとも思うのだが、どうにもこれ以上何も湧いてこない。疲れているということにしておこう。

続きはまた。
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『ふがいない僕は空を見た』窪美澄

2013-05-04 | books
高校の授業が終わると、週に何回か向かうマンションの一室。そこでコスプレして、コスプレをした女を抱く。その女、あんずは結婚しているけれど。僕には好きな子がいる。その子が僕のことを好きなのが分かったので、あんずとは別れようと思った。しかし…以上が冒頭の短編<ミクマリ> 次に別の話が始まるかと思っていたら次の<世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸>は、結婚したが子供ができない。夫の母親から日々与えられるプレッシャー。コミケで見つけた男の子にコスプレさせてみたかった。交換したアドレス。そして私の住むマンションでするセックス。しかしそれが夫にバレて… これは冒頭の一編を登場人物のあんずの立場から描いたもの。<2035年のオーガズム>は女子高生、<セイタカアワダチソウの空>は友人の男子高校生、<花粉・受粉>は母親の立場から描く。実は連作短編集だった。

「もっと舌をとがらせて」おれは舌をUの字に丸め、できるだけ細くして、かたくなったクリトリスをはじくようになめた。というような表現が出て来るので、最初のミクマリは電車内で読むのはちと辛かった。

その後を独立した短編だと思って読んでいたら、おや?これは最初のエピソードを別の視点から描いたのかー。その形式に唸り、つづく衝撃的な展開に驚き、そして次はどうなるのだろうとわくわくする。

ビックリするだけじゃなくて、すっごくええはなしやー。

作者のインタビューには、ミクマリだけ書いて「女による女のためのR-18文学賞」に応募したら大賞を取ってしまった。つづきは考えてなかったので、後で付け足したということだ。後から加えたにもかかわらずこれだけのクオリティの短編が後から書けるとはスゴイ。

映画になっているそうだけれど観てない。原作が良かったので、観たいような、観たくないような。

一つ書き忘れていた。小説の最後の方に出て来る、自然に子供を産みたいと思う女性に対して、自然に産むのなら本来なら生まれないような子が淘汰されることも受け入れないといけないのでないかという言葉が出てきて、ドキっとした。自然、自然と言い張る人の不自然さ、かな。

では、また。

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『二度はゆけぬ町の地図』西村賢太

2013-05-02 | books
おいしくて仕方がないものをすぐに食べてしまうときと、とっておいてなるべく後になっても味わおうとしてしまうときがありますよね。前者が子供っぽい食べ方、後者が大人っぽい食べ方であるかとは思うのですが、前者は子どもがすべき食べ方であって、後者は大人がすべき食べ方である。だから大人はもっと我慢しなさいとは叱り方として必ずしも正しいとは言えないような気がする今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。ふるです。

食べものにはあまり執着はないので、おいしくて仕方がないものと言えば私の場合は本なわけです。後者の代表と言えば、宮本輝と西村賢太。桜木紫乃はガマンできずに全部頂いてしまいました。宮部みゆき、逢坂剛、大沢在昌は、ほぼ全部頂いていて、頂かないものはそもそも好みじゃないので永遠に頂かないもの。つまり頂けるものは既に全て頂いてます。フィリップ・マーゴリンやR・D・ウィングフィールドは全てたいらげてしまいました。ロバート・ゴダードやミネット・ウォルターズは途中まではすごく楽しめたのですがある時期から楽しめなくなってしまいました。

となぜか今回敬語でお送りしておりますが、西村賢太。それまでは「私」で描いていたのが本作から「北町貫多」で描くように変わっていても、私小説であることには変わらないし、下辺を生きているという強烈な自覚のある者による強烈な物語であることにも変わらない。

タイトルがいい。二度とはゆけぬ街の地図。なぜもう行けないかと言えば、

やっと付き合うことの出来た相手は女子高生。彼女とのグダリグダリとした様を描くのが<貧婁の沼> 居酒屋のバイト中に気に入らない者を殴ってしまい逮捕される様を描く<春は青いバスに乗って>(このタイトルも巧い) 1万2千円の家賃を払えずに大家とギクシャクしまくる様をは<潰走> 風俗で邂逅した体臭のキツイ女と20年前に銭湯で一緒になった腋臭の臭い男をオーバーラップさせる<腋臭銭湯>

どれも甲乙付け難い。いや丙丁付け難いタイトルと内容だ。(いつのまにか敬語でなくなってた)

読んでも救いも癒しも得られない。読んだら、自らの暮しはこれよりましだと、ネガティブ比較用サンプルとして扱って気持ちよくなりたいけれどそれも出来ない。

自分の方がましだと思って読むのではなく、自分にも貫多と同じ所があるということを貫太の行動と内面を読むことで分かってしまって、腹の底に重たいものが残る。その残尿感よりも重たい気分になりたくて読むのだ。

なぜそんなことのために読むのだろうか。

東京ディズニーラドは「非日常性」を与えてくれるところだそうだ。ああいうピンク色でフワフワした非日常性ではなくて、

見れば目玉に針が突き刺さり、嗅げばゴミが腐敗したような臭いがして、触ればなめくじののようなヌメヌメする。そんな非日常がここにはある。それは、全てが漂白されている現代社会では体験できない。それを味わうために読むのだ。

西村作品では、自分の内面に潜在していることが浮き彫りになるという、金を出しても買えない非日常を、苦いものを噛み締めるようにして味わう。TDLではお金で買える非日常とはだいぶ違う。

では、また。

「二度はゆけぬ町の地図」西村賢太 角川文庫 2010年(単行本2007年)

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