今までに、3人の親族を送った。
管に繋がれての延命措置をした者はいない。
一人目の母の時は、入院先の医師から「延命措置はしません」ときっぱり言われ、それなりの高齢ではあったし、それまでも次々と病気を発症し、寝たきり状態で3年ほどたっていたから、そして母の人柄からも、無意味な延命で管に繋がれて長らえることは望まないだろうと、漠然と思ったし、介護にあたっていた父も、高齢だし、ぼやいていたこともあったから、医師の言葉は、有り難かった。
二人目の父は、晩年「早く迎えにこないかな」というのが口癖になっていた。
それにもうすぐ、80歳になろうという年齢だった。
そして、何より老衰で、静かに最期を迎えた。
食がなくなり、ヨーグルトを一さじ程度から、水分を少しと段々終末に向かっていっていた。
そう、枯れるように逝ったのだった。
三人目は配偶者。
サラリーマンを早期定年退職。
その後、好きな仕事とゴルフなどを楽しみに晩年を過ごした。
好きな酒とたばこも機会はあったのに、止めることはなかった。
ただ、まだ高齢までは、間があった。
しかしながら、脳出血を起こしたのを家族が見逃してしまった。
結局、そのまま、あっさりと逝ってしまった。
そうして3人とも無暗な延命を施されずに自然な形で逝った。
自分も、あやかりたいと思う。
尊厳死の宣言書というのがあるそう。
参照→ http://www.matsutax.com/article/13664606.html
尊厳死の宣言書
私は、私の傷病が不治であり、かつ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言致します。 この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。 従って、私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。
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① ② ③
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私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死期 が迫っていると診断された場合には、ただ死期を引き延ば すための延命措置は一切おことわりいたします。 但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施し て下さい。 そのため、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まっ たとしても、一向にかまいません。 私が数ケ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時 は、一切の生命維持装置を取りやめて下さい。
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以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従って下さった行為一切の責任は私自身にあることを附記いたします。 平成 年 月 日
住所
氏名 (印)
年 月 日 生
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プロローグ 姑、倒れる
第1章 初めての老人福祉施設
第2章 特別養護老人ホームでの看取り
第3章 親のターミナル(終末期)と親孝行
第4章 「胃ろう」で生きるとは
第5章 胃ろうを中止するのは「殺人」というけれど
第6章 ぬくもりだけでいい、生きていてほしい
第7章 リビングウィルと尊厳ある死について
エピローグ 姑の退院、そして自宅での最期
目次参照先 →https://www.amazon.co.jp/dp/toc/410139251X/ref=dp_toc?_encoding=UTF8&n=465392
本人の意思が通sる、事を願う。
枯れるように死にたい
「老衰死」ができないわけ
田中奈保美
新潮文庫
ISBN978-4-10-139251-6