ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

На здаровие

2010-01-14 07:03:38 | 日記
『晩祷』の全曲演奏会を終えて2か月近くたった。
指導がエスカレートしたのを感じた。

以前は、同じようなこと、同じような言い回しとかでの繰り返し繰り返し
の助言や、歌い方の模範だった。

最近でもまだ、同じような指導ではあるのだがそれに加わって、助言が入る。
スタートラインに立った団員の次なるステップを期待する言葉のように思う。

次のステップへ進めたということ。

単純に喜びとしょう。

4月と5月に抜粋の演奏をすることが決まっている。

先般の全曲演奏からステップアップした演奏を目指します。
団の成長を祈念して、
На здаровие(ナ・ズダローヴィエ)

『晩祷』

2010-01-13 09:44:46 | 日記
ラフマニノフの『晩祷』に出合ったのは、2005年10月に東京トロイカ合唱団の
全曲定期演奏会の時だった。

いい曲だとは思ったが、それ以上の感情はなかった。
ちょっと、物足りなさを感じたのだった。

11月に『晩祷』のみ練習している合唱団の見学に誘われて出向いた。
「歌いたい!」と強烈に思った。
以来、この合唱団で週に一回のペースで『晩祷』の練習をしている。

一週間に一度の練習が待ち遠しい。
練習前に、前回や前々回の練習時の録音を聞くのだが、過去の曲に
さかのぼって聴き始めると、途中で止めたり、飛ばすことができなくなる。

今回は、練習しないかもと思う曲でもついつい、聴き入ってしまう。
他の曲の時は、ちょっと飽きることがあったりするし、録音を聞いていても
間を飛ばしたり、途中で聞くのを止めたりは、簡単なのに、『晩祷』の曲は
何回聞いても飽きない。
指導者のコメントや注意など、改めて聞いたりして、どんどん時間がたって
しまう。

それで、その日の練習曲がメロメロになってしまうこともしばしばだった。

何より、一週間歌っていないと、無性に歌いたくなる。
一週間ぶりの練習が、気持ちに不十分だとストレスになる。

『晩祷』は15曲からなっているのだが、どの曲も素晴らしい。
全部を歌っても60分くらいなのだが、練習では一日に3、4曲。
そうすると、歌わなかった曲を歌いたくなるのだ。

『晩祷』中毒?

最近の、入団者からは、一様に「晩祷を聞いたことがあり、歌いたかったので」
と感想を述べる人が多くなった。

聞いてみて病みつきになった人が、今日、練習です。

来週と再来週に見学会を予定しています。

どのような『晩祷』中毒さんがお見えになるでしょう。





合唱講座

2010-01-12 07:25:24 | 日記
インターネットのメールマガジンに初心者のための合唱講座というのが
あった。

MMは休止されているが、ホームページは活用できる。
http://hibikiwaon.cscblog.jp/content/0000003049.html

合唱を始めた頃にこのMMに出会い、購読して、大変勉強になった。

今でも、時折、ホームページにアクセスする。
合唱を始めた人に、指導者は、色々アドバイスをくれる。
仲間から、先輩からもアドバイスをもらうことはある。

しかしながら、合唱にまつわる事柄を、耳にする機会は少ない。

本番における注意事項。本番に臨む時のルールというのは、結構
あるのだが、団員に徹底されるのは、容易でない。

神尾ファミリー

2010-01-11 13:38:25 | 日記
神尾ファミリーが一緒に演奏をしたことが以前あった。

文化交流会として、声かけがあり、さまざまな合唱団が集まった。
神尾ファミリーからも沢山の参加者があり、他の合唱団と、一緒に
イベントに参加する経験をした。

その時に参加した人のなかに、「またやりたいね」という声があった。

ファミリーの存在を感じて、ファミリーとして、一緒に歌いたいという
気持ちを抱いた。

神尾合唱祭の話が出てきた時、先般の記憶がよみがえった。
また、あの時の人たちに会える。
そして一緒に歌えるのだと。

合唱祭は9時20分集合だった。
電車の都合で9時頃に到着。
懐かしいお顔、久しぶりの方のお顔が一様に晴れやかに集まっていた。
久しぶりの挨拶をかわし、「幾つに出るの?」との話題やら話に花が咲いた。

他の団の演奏を席で拝聴できなかったのが心残りになったものの、精一杯
できたこと。ファミリーの祭典が無事終わったことに満足している。
さて、第二回神尾合唱祭はいつ実現なるか。


神尾合唱祭

2010-01-10 10:53:04 | 日記
神尾合唱祭に参加した。

9つの合唱団が15分ほどの持ち時間に4,5曲を演奏した。
かけもちの人が多く、ひとつ終えると衣装替えをして、次の出番を
待つ姿があった。
4つに参加するという人もいたそうだ。

杉並公会堂の大ホールの1階席もまばらという状態ではあったものの、
参加団体の熱気と合唱への情熱、合唱祭を楽しんでいる雰囲気は十分だった。

待ち時間のあるものにとっては長い1日だった。

すべてのプログラムを終えて、打ち上げ会場へ行った。
何曲も歌ったあとだというのに、何団体かの演奏と、指揮者へのハッピーバー
スディを全員で合唱。
最後には大地讃頌をもう一度、全員で合唱して2回目の合唱祭を願いつつ散会した。

2回目の合唱祭の、実現は、はたして再来年か4、5年先か。

巻き舌

2010-01-08 07:26:44 | 日記
歌で、できた方がいと言われている事に、巻き舌がある。

ドイツ語、イタリア語、ロシア語の歌では、巻き舌が入るとらしくなる。

唇を使う練習のほかに巻き舌練習も必要になる。

「さっぽろ とろろいも」と練習してみてと、教わった。

「ろ」を日本語のように「lo」と言ってるとなかなか巻けない。
言葉のはじめに「ru」と入れてすぐ「ro」というようにしているとなんとなく
巻けるようになる。

「るるる・・・」と電話の着信音をまねてやってみる方法もある。

「ドイツ語の歌で「トロッツ(Trotz)」というのがありこれで、練習した。

「トロッツ」の「ロ」を巻く気持ちで発音してみる。
「torro」という感じで発音してみると、はじめの頃は10回に一回くらいできるように
なり、コツがわかるようになった。

今では9割以上意識すればできるようになった。
5回以上になるように、毎日2、3回は、「rurururu・・・」と舌の運動をしている。

巻き舌できないという方は、試してみてください。

1週間でできるようになったという人もいました。
たいていの場合、3か月くらいで、思うようになるかもしれません。



合唱

2010-01-07 09:38:43 | 日記
年明け最初の「晩祷」の練習があった。

例年は1週間練習が休みになったりすると、まとまりがなく、音が取れなかったりで
へろへろ状態になった。

今回は2週あけ3週目の練習だったが、「音が聴けてない」という状態だった。
へろへろまで行かないが、「へな」くらいか。

晩祷は無伴奏なので、他の曲よりより、結束を要求されるし、頼りにしなければ
ならないので、一人ひとりの責任が大きい。

合唱は、スポーツにたとえれば野球やラグビーに似ている。
一人ひとりが自分のポジションでどれだけ力を発揮するかで、チーム全体の流れを
作る。
手痛いエラーがあれば怪我をすることもあるし、勝負に負けるかもしれない。
チームがまとまって、自己を最大限に発揮できてよい演奏になる。

隣の人や後ろの声を聴きながら、指揮を見て、演奏をするのだが、合唱のお邪魔に
なるようなのは、自粛して欲しいものだ。

頼りの音が、違ってたり個性が強すぎると、そのことに気を取られ、力量不足に追い打ち
がかかることもあるからだ。

「揃えて」とか「よく聴いて」と、よく指摘されるのに、変化がみられないのは、
「合唱する気あるの?」と疑いたくなる。

ソリストであるならば、好きなように、個性を発揮してもらっていいと思う。
逆に個性がないのは、マイナス要因だろう。

しかしながら合唱には、個性の強さはご法度だと思う。

あなたのお隣さん、あるいは前の方のために、個性は極力控えて、良いハーモニー
になるような音を出してくださることを望みます。

テクノストレス

2010-01-06 09:10:37 | 日記
テクノストレスで肩こりを訴える人が、79.5%だったという。
目の渇きを訴えた人は68.0%だったとか。

VDTという言葉を聞いたのは15年程昔のことになる。
某大企業の生産業務をしていた時に、VDTについての作業法などの講習が
あった。
一日VDT作業をする者には、特別な健康診断があり、一度だけ、受けたことが
ある。

まだ、VDTのことを知らされていない時に目玉をくりぬきたい痛みにおそわれ、
つらい思いをしたことがある。
VDTのことを知らなかった時、休憩を取らずにVDTに没頭した時のことだった。

一時間に10分は目を休めましょう。
座り作業で一定の姿勢でいると肩こりや腰痛の原因となるので、時折、軽い体操を
しましょう。
と、聞いてからは、目を休めるか、ディスプレイから目を離して、しばらく別の
作業をするとか、上半身を伸ばしとか、近くを歩きまわってみるとかを取り入れる
ようにした。

しかしながら、その後、職場が変わったり、仕事内容が変わったりしたものの
VDT作業について、注意事項を教えてくれる場所はなかった。

職場以外で、自宅でVTD作業をする人や、個人で作業をしている人は、誰にも
教えてもらう機会はないから、夢中になってしまう。

パソコン教室を開催すると、必ず、このVDTのことを周知することに努めてたが、
他のパソコン系の教室で教えられたこともない。

このことを知らない人が周りにいたら、ぜひ一言伝えてください。



集中力

2010-01-05 10:08:37 | 日記
昨年の練習時に指導者から「集中力を」と言われた。

「刺されても気がつかないくらいの集中力を持って」ということだった。

指導者は集中力をつけるために、日々、訓練を取り入れているとのことだった。

合唱は、口先だけでも歌うことはできる。
けれども、集中力を欠くと、だらっとしたり、伴奏に遅れたり、ポルタメントが
かかってしまったりと、締りのないものになってしまう。

本番に力が出るというのは、集中力が高まって、細部にまで、神経がわたるせい
かもしれない。

晩祷の6番はよく練習しているし、暗譜で歌える者も多いのだが、
昨年の全曲演奏会では6番を本番一1回、アンコールとしてもう一回、そして、
打ち上げの時にさらに一回歌った。

アンコールの時には「鳥肌がたった」という感想をいただいた。
指導者で指揮をしてくれた先生は、「打ち上げの時がもっとよかった」と評してくれた。

本番の集中力が打ち上げの時もまだ、持続していて、全曲演奏会をなしたという
安堵感と歌いこんでいる曲ということもあっての、仕上がりと言えるのかもしれ
ない。

新しい年を迎え、明日、初練習を迎える。
3週間ぶりとなる晩祷。

頭の発声にどれだけ集中できるか。
9日には、抜粋の演奏会を控えている。
合唱の技術として集中力も問われる。

BGM

2010-01-04 09:29:50 | 日記
月曜日は夜7時
水曜日も夜7時
そして
土曜日は月の全般は午前10時半
後半は午後1時半が練習日にあたる。

ほとんど、曲はだぶらないので、自己練習は曜日で
わけておさらいをする。

通勤時の電車内や、買い物への道で同じ曲を何十回となく、
リピートで流す。

ふと、集中が途切れて単なるBGMになっていることがある。

集中していないと、聞いていないことが多い。
先日の練習の時に、指導者から、
「同じ曲を何回も練習するときは、一回ごとか、その日ごととかに、
目標をたてると良い」とアドバイスがあった。

何回も繰り返していると惰性で歌ってしまうとか、集中力がなくなるから
だと思った。

BGMみたいに流す時も、聞いているあいだ集中していられないので、
最近は、何回か聞いては、別の曲を聞くというように変化させることに
した。



寅年

2010-01-03 19:48:22 | 日記
正月3が日が、もうすぐ終わる。

毎年、3が日は、おだやかにと思うのだが、なかなか思うようにならない。

今年も、
「交通事故」「火災」「事件」があちこちで起きた。

公設派遣村に833人収容されているとか。
東京都は3日までの派遣村を4日以降も希望者に宿泊施設と食事を提供するらしい。

就労相談も、相談だけでは、何の解決にはならない。

働く意志のあるものすべてが働ける場所の提供は緊急事項なのでが、行政の力だけでは
どうにもならない。

今年は寅年。
虫に寅と書いて「いん」と読み「動く」の意味なのだそうだ。

春が来て草木が生ずる状態を表しているらしい。


      白雪の
          まにまに覗けり
               春来たる
 

      新しき
          年が巡りて
               春よ来い

指導者

2010-01-02 11:58:52 | 日記
同じ曲を、何十回、いや幾十回と、練習している。
演奏会も何回も行った。

その都度、指導者からの、指摘や助言やらを受ける。
初めの頃は、出だしの和音が揃わなくて、何度もやり直した。
「初めから出してね」と言われたこともある。

出だしの和音ができるようになると、延ばしの音の処理についての、助言が
相次いだ。

「香が上るように」「遠くへ飛ばすように」「山の彼方へ飛ばし光が返ってくるかのように」とか
さまざまな処理法を教わった。

強弱や表情記号についての指摘も増えてきた。

楽譜をみながら歌っているのに、音符を拾っていくだけしか、楽譜を見ていない
状態から、楽譜に書いてあることをすべてやるようにと何回いや何十回と言われる
ようになった。

回を重ねて、作曲家の意図や曲の背景にあるもの。曲の言葉の意味にやっと到達できるようになる。

この曲の歌うようになってもう4年もたっていた。
また、同じ曲をさらいだした。
指導者からの指摘、助言は、さらに上を目指し、今までと一味も二味も違う曲となって、目の前に
立ちはだかっている。

30年ほど前に年配の女性に自動車の運転を教えたことがある。
運転歴8年くらいだったが、ものすごく苦労した覚えがある。
伝えることの難しさをこの時味わった。
教えるということは、ものすごい忍耐と辛抱を強いられるということを学んだ。

演奏会を終えて、その時の技術を精一杯発揮できたと思っての再練習だと、思って
臨んだ曲だったけれど、指導者からすればその曲の演奏方法としたら、まだほんの
入口でしかなかったのだということを、認識した。
そういえば、「エベレストの麓にたっただけ」といわれたのだった。

そんな状態の教え子達。
指導者の忍耐強さは、以前感じてはいたが、これは相当な忍耐なんだろうと、思った。
音楽に対する情熱だけでは、片づけられない広くて深い情熱。
幸せ者だと感謝しつつ、

今年もよろしくお願いいたします。



ガラコン

2010-01-01 09:41:51 | 日記
昨日は、ガラコンサートだった。

練習を始めたころには、思いもしなかったことに、つまづいて前日まで
苦戦だった。
前日に、かつてのヴォイトレの先生に、よく言われていた注意を思い出し、
ガラコン当日の公開リハで、意識してみた。

「いける!」と実感した。
本番は、成功だった。
何箇所か怪しいところがあったものの、「やりきれた」という満足感を味わう
ことができた。

仲間たちも、本番前の待機中でも、歌詞を書いたメモをみながら、暗記に没頭
したり、言葉を確認したりして最後まで努力をしていた。

本番を終えて指導者(指揮者)と練習ピアニストから、講評をいただいた。
指導者から「公開リハも本番なんです」の言葉が心に刺さった。