ということで、本日は高槻市の今城塚古墳へ行ってきました。下の娘とは時間が合わず、単独になりましたが。
ついでに、ちよっとサントリーの山崎蒸溜所にも寄りました。
今城塚古墳は、前にちょっと書いたと思いますが、実質的には継体天皇陵と考えられています。大王の墓ということです。
大王の陵墓と推定されるような古墳の多くは宮内庁の指定を受けており、これらの陵墓は発掘はもとより、立ち入りそのものも大きく制限をされており、考古学的な立場から自由に研究をすすめるということができません。
それは「天皇のお墓」という意味では致し方ないという面もありましょう。
が、継体天皇陵の場合は、この今城塚古墳の近くにある茶臼山古墳が宮内庁の陵墓指定を受けています。
ところが、古墳が造られた年代の推定などから、実際のところは、茶臼山古墳を継体天皇陵として推定するのは無理、というか不可能ということらしく、
今城塚古墳こそが継体天皇陵として推定されるというわけです。
ですが、今城塚古墳は宮内庁の指定を受けておらず、発掘調査などについても、基本的には制限がなく、詳細な調査がすすめられています。
そして、その発掘の成果も素晴らしいもの、驚くべきものがあるわけですね。
だから「今城塚古墳を語らずして、古墳時代を語るな」ということになると思います。
さてと、自宅からだと、京滋バイパスの側道から171というルートで、混まなければ45分程度で、現地まで着きます。場所は高槻市ということになります。
古墳の近くにある市立の施設の建物です。内容も充実したわかりやすい展示がされており、体験教室のようなものも実施されていました。
これで入館料は無料です。史跡の整備ということと関わっては国の補助もあるのでしょうが、古墳周辺は公園としても充実した整備がなされており、このコストはかなり大変だろうなと思いました。
しかし、歴史的意義を考えれば。これぐらい大事にされても当然のように思いますが。
展示内容の方は今城塚古墳だけでなく、高槻周辺には多くの古墳がありますので、そうしたものの発掘の成果なども展示されています。
ここでは出土した鎧が展示されていました。鉄のものは腐食が進みやすく残りにくいのですが。
これは窯跡。埴輪をたくさん焼いた埴輪工場の跡ということですが、なんども窯を天井まで全部こわして、また再度、窯をつくって焼いたということが地層からもわかるということでした。
いや、埴輪、使っている数が膨大です。
出土した鏡など。同じように見えて色々種類があります。
これは古墳の築造の過程を再現しているところで、最終の葺石を置いていく段階のところです。設計段階から、どのように古墳が築造されたかを推定して、丁寧に紹介されています。
これは現代に石棺を再現して作成し、埋葬の状態も再現してみたところです。
これだと、子どもらが見ても、そのままイメージしやすいですね。
継体大王の生涯を紹介しています。越の国から来て、大王として擁立されたということになっているようです。
それ古事記とか日本書紀に記載があるのかな。と思います。
つづくよー。