首相の靖国神社参拝が「政治問題」化しています。
政治ネタは基本、あまり書かないのですが、これにはちょっと一言。
私自身の考えは、何がダメって、「首相」の立場にある人が「首相」として「神社」に参拝する、そのことがダメなのです。
ここではA級戦犯合祀の問題や靖国神社そのもののあり方や成立過程等はとりあえず横に置いときます。
なぜかって?。
政治的権力と宗教的権威が一元的に結びつくと、その名のもとになにをしても許されるようなおかしな体制ができあがる、
そのことこそが先の戦争の反省点、根本的な問題であったと考えるからです。
その無責任体制については、戦後すぐに丸山真男が指摘しています。
政治的権力と宗教的な権威の関係というのは、単に「政治的中立」云々よりもさらに踏み込んだ、可能な限りのかなり厳密な峻別が必要だと考えています。
このことは、実は、日本の宗教のあり方ということとも大きな関わりがあります。
キリスト教、イスラム教、佛教、同じ宗教というカテゴリーに分類することはできますが、その意味や内容というのは、当然、それぞれで大きく異なります。
日本の「神道」も、また独特のものとして位置づけられます。
とにかく、なんでも「神」として位置づけることが可能な日本の「神社」のあり方は、一神教のキリスト教やイスラム教とはまったく異なります。
ある意味、日本の国内における「クリスマス」がその本来の宗教的な意味が薄くなり単なる年間のその時期における生活上の一つの行事とされるように、
私たちの回りには、日常的に、ほんとにたくさんの「神様」がいます。
その曖昧さの一つとして、この首相が参拝するということでの「靖国神社」問題をとらえてははいけない、
それこそがかつての戦争につながる道であろうと私は思っています。
少し言葉足らずですが、30年前に書いた卒業論文を思い出して。