
山仲間と歓談中の午前、電話がかかってきて、今豊平に居る、と懐かしい声。
高校3年間同じクラス、大学4年間同じ下宿で暮らした、私にとっては無二の親友ともいうべき男からだ。
春先、高校のクラス会が東京であったおり、お前の顔が見えなかったとわざわざ電話をかけてきてくれた友人である。
最近私が蓼科に居ることが多いと知って、家族連れでこちらに遊びに来る機会に声をかけてみようとしてくれたらしい。山仲間と入れ替わりに、奥さんと二人連れで訪ねてくれた。
この友人Kは、凝り性といえば凝り性、なんでも徹底的に追求するという性格で、高校の歴史教師を早期退職後悠々自適の生活を送っている。晴れた日は山歩きを一年170日も楽しみ、地元岐阜の山、国内百名山は勿論、遠くキリマンジェロまで遠征するという徹底ぶり。雨の日は近くの碁会所に通い、そこの7段格というから、ほぼ師範代に近いのだろう。
ちょっとしたロマンチストで、教育にも情熱を持っていたが、日教組系の所属で、管理教育とは合わず、定年前に退職した。彼とは専攻科は違ったが、学生時代下宿のお寺の大きな部屋で夜中までよく議論をした。青春時代のいい思い出である。
教え子と結婚するときには大阪の私のアパートまで話をしに来たこともある。信州の山にも一緒によく登り、徳本峠で冷たい雨に打たれ、遭難しかけたこともある。二人共良いお爺さんになったものだが、わざわざこの場所を覚えて居てくれ、岐阜真正の梨をお土産に持ってきてくれた。二人だけなら予約してある食事は断ってこちらでゆっくりして行ったらと誘いたかったが、息子、娘家族一緒で総勢11人が楽しむ予定という事で、残念だが諦めた。
ほんのひと時だったが真夏の昼の夢だったのか。楽しいひと時だった。
帰った後の部屋が一瞬静まり返ったように感ぜられた。