江戸、東京は史跡の多いところだが、墨田区の教育委員会は実に丹念に史跡の縁の地に案内板を建ててくれている。北斎美術館のすぐ横に江川太郎左衛門居住地跡の案内板が立っていた。
幕末の代官,砲術家。諱は英竜。字は九淵。坦庵と号した。江川家は中世以来の名家で,江戸幕府の伊豆韮山世襲代官。太郎左衛門は江川家当主の通称である。案内板にはあちこちの代官を務め、「世直し大明神」と謳われた名君であったらしい。
英竜は36代(1801~1855)、砲術家としても優れ、品川砲台(→御台場),韮山反射炉(2015世界遺産)の築造など,めざましい業績を上げた。外交交渉、種痘の奨励、携帯食乾パンの製造など幅広く活躍した。門下には佐久間象山、木戸孝允などがいる。
幕末にはこの様な俊英が多々輩出しているらしい。彼の生涯を追うだけで大河小説が生まれそうだが、「明治維新は幕府の行き詰まりによる下級武士の革命である」という通説は、慎重に見極めなければなるまい。