江戸時代5代将軍綱吉に仕えた盲目の鍼灸師杉山検校が元禄6年(1693)当地に屋敷地を拝領、彼が修業した江の島の弁天岩窟を模して屋敷内に創建したといいます。
全国の鍼灸師の聖地とされているらしく、現代の鍼灸師会会長の名前も境内には見受けられる。開祖杉山和一は鍼を管に入れて的確にツボを抑えるという技法を編み出し、その名声により検校に上り詰めた。
五代将軍綱吉の治療の功で褒美を尋ねられ、和一は目を請いました。綱吉は一ツ目(本所一之橋際の土地)と関東総禄検校職を与えたと伝えられています。だめだとわかっていても眼が欲しかったのでしょう。このあたりには三ツ目通り、4つ目通りというのがあるが、綱吉もそのあたりの土地を与えたのは知恵者が側にいたのだろうか。