GPX小史

 
 GPXはレース毎に発行され、その結果を報じる所謂F1誌である。フジテレビによってF1が全戦放送され、日本人初のレギュラードライバーとして中嶋悟がロータス・ホンダからデビューした1987年に山海堂から創刊された。当時の誌名はGPXpressと言い、山海堂の「オートテクニック」の別冊扱いでの登場であった。翌88年には「オートテクニック」から独立し第1巻1号・通巻1号「'88直前号」が発行される。

 さらに90年の第1戦アメリカGPの結果を知らせる第3巻3号・通巻43号からは誌名をGPXと替えている。その後はレースの翌週土曜日(後に金曜日)に発刊するスタイルを基本に15年間レース結果を伝え続け、2001年シーズンが終わった後のカレンダー号刊行し、何の予告もなく消えていった。最終号は第14巻第21号・通巻287号であった。

 87年からの数年間はTVでの全戦中継、日本人ドライバー中嶋悟、続いて鈴木亜久里の参戦、アイルトン・セナのカリスマ的人気、ホンダエンジンの活躍とバブル絶頂期に向かう景気とが相互に作用しF1がこれまでにないブームになり、所謂F1誌もGPX後を追うように多数刊行されるに至った。

 創刊の87年当時はいまだ銀塩カメラの時代であり、日曜日にレースが終わるとフィルムを空輸し到着後に現像、書かれつつあった記事と現像からあがったばかりの写真をレイアウトして印刷・製本して書店に配送されていた。中5日で店頭に並べるのは並大抵の仕事ではなかったことは想像に難くない。

 デジタル方式の写真の品質が上がると同時に撮影直後に画像のデータが送られてくるようなり空輸時間分が短縮され金曜日には書店に並ぶようになるが、これとてレイアウト、印刷・製本にかかる時間は同じだから相変わらず忙しい仕事をしていたことになる。

 GPXが他のF1誌と大きく異なる点はその紙面の大きさである。創刊当初からB4サイズを採用しているのだが、大きな紙面見開きいっぱいに掲載された写真は見ごたえ十分であった。ただし印刷速度を重視したためなのか中質紙に近いラフな紙を使っていたのが残念であったが、これも後にはかなり改善している。

 もうひとつの特色はシーズン終了後に30×23cmという大判でハードカバー、本文が200ページを越える「総集編」を刊行していたこと。多くのF1誌がGPXに倣い総集編を刊行したが、その内容・体裁共にGPXの総集編に敵うものはなかった。税込価格が4,000近かったのが災いしたのか、95年シーズンでその姿を消してしまったのは残念である。カバーに配されたその年に参戦したのマシンのイラストは秀逸で資料性も非常に高いものである。

 さて、先に「2001年シーズン終了後何の予告もなく消えていった」と書いたが、まさにGPXは消えていったのであった。最終号となった通巻287号のどこを見ても、休刊あるいは廃刊という文字を見つけることは出来ない。だたしその兆候がまったくなかったわけではない。

 これまでのどの号にあっても最終頁には次号の発売予定日が記されていたのだが、287号にはこれがない。次号の予告があるべき頁にあるのは「Digital GXP」なるメール・マガジン無料配信開始という案内であるが、このメール・マガジンも程なく立ち消えとなっている。通常の雑誌類が休刊・廃刊も止むなしという状況とは違った、どこかキナ臭い終わりかたであった。

 さて、今日の1枚は勿論GPX。黄色地にセナの写真があるのが創刊号、モノクロの写真(マクラーレン・メルセデスを駆るミカ・ハッキネン)に赤いGPXのタイトルの号が最終の287号。プレ・創刊号があったはずなのだが、残念ながらどうしても見つけることができなかった。
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郷秋<Gauche>の種まき

 
 急に雷が鳴って雹が降ってきたりしたから、今日は種まき日和でもなかったけれど郷秋<Gauche>は頑張って種まきをしてみました。

 まずは月見草。気が付いたら昨年植えた鉢から芽が出でもう花を咲かせていましたので大慌てで種まき。確かに二年草、一見枯れてしまったような根っこから若い芽が出て、草丈は12、3センチだけれどもう花を咲かせていました。でも、何か印でもつけておかないと2年目の花が終わった鉢と今年初めて花が咲いた鉢を取り違えてしまいそうです。

 ありったけの鉢に種を蒔いたけれど、使った種は一つ包み。まだ5、6包みありますので育ててみたいと言う方はこれからでも遠慮なくご連絡ください。月見草に興味を持たれた方は5/10の項をご覧ください

 月見草の次はオクラと枝豆。どちらも発芽温度が25度だと言うのでちっと早い気もしたのですが勢いで蒔いてしまいました。枝豆は以前にも作ったことがありますが、虫にさえ気をつければ簡単で美味しいビールのつまみになります。

 オクラは初めてですが花もなかなか綺麗だし、これまたさっと茹でて切って醤油をちょいと垂らしオカカを散らせばビールのつまみにも最適、と言うわけで蒔いてみた次第です。どちらも冷たいビールがますます美味しくなる頃には収穫できそうですので今から楽しみです。

 そうそう、郷秋<Gauche>の畑ではこの他にブロッコリーと茗荷が大きくなりつつあるところ。時々写真付きで紹介しますのでお楽しみに。

今日の1枚は今年の我が家の庭のえごのきの花。
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BARホンダ、ヨーロッパGPからの復帰決定

 5/9に、何の根拠もないけれどBARホンダの2台のマシンがモンテカルロのスターティンググリッドに並んでいるような気がしてならないと書いたけれど、やっぱりそれは叶わぬ夢であったようである。

 私がなぜそんな期待をしたのかと言えば、FIA国際控訴裁判所の裁定を不満としたBARホンダチームがしかるべき民事訴訟を起こし、モンテカルロのスターティンググリッドに2台のマシンを並べるために必要な何らかの仮処分を引き出すことが出来るのではないかと考えたからであった。しかし、BARホンダは5月12日にFIA裁定を受諾する旨の声明を発表た。つまり、次のモナコGPでBARホンダの姿を見ることはできないということだ。

 問題は「FIA国際控訴裁判所」だな。どうも怪しい。つまり今回のペナルティーに関しては、燃料タンクに関する「疑惑」についてサン・マリノGPのレーススチュワードが問題なしとしたことについてFIAが不服としてFIA国際控訴裁判所に提訴したわけだ。不服だから自分の組織内にある裁判組織で裁判をする。そんなのありなのか?結果は初めから見えているぞ。

 BARホンダ問題の決着が着いたと思ったらこんどはトヨタチームのスーパーライセンス問題だ。トヨタチームの二人のドライバーのスーパーライセンス更新手続きに不備があったために、サンマリノGPまでの結果が剥奪される可能性があるというのだ。

 主なエンジンサプライヤーが、FIAが統括する現在のF1のあり方に疑問を持ち、新しいリーグを立ち上げる構想をもっているのは周知の事実だが、今回の問題はこういった動きに対するFIAのけん制に思えてならない。言うことを聞かなければいつでも裁判にかけてFIAに有利な裁定を引き出し、あるいはF1から追放するぞと脅しをかけているのではないだろうか。公正を保つためには、少なくとも裁判機関をFIAとは関係のないところにおかなければならないだろう。


 さて、今日の1枚は1987年のロータス・ホンダ99Tだ。カーナンバー12は勿論アイルトン・セナのマシン。アクティブサスペンションに苦しみながらもモナコを含めこのマシンで4勝している。

今日の恩田の森の様子はこちらからご覧ください。

 恩田の森

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夜の庭

 帰宅し、クルマのドアを開けるといい香りが鼻先をかすめる。見上げると白い小さな花が枝いっぱいに私を見ている。駐車スペースと庭の間に植えた「えご」の花である。小さな庭に漂う甘い香りを胸いっぱいに吸い込むと、塵のようにうっすらと積もった今日一日の疲れがすうっと消えていく。


 えごのき(エゴノキ科)は落葉中高木。横浜では5月中旬から下旬にかけて小さな花を枝いっぱいにつけます。花が下向きにつきますので目立ちにくいのですが、足元に白く積もった落ち花や甘い香りでそれと知らされます。株立ちの樹形も美しく庭木にも向いています。材が轆轤(ろくろ)に向くことから轆轤木(ロクロギ)の別名もあります。

 青空をバックにした我が家のえごの写真を載せたかったのですが、しばらく青空が望めそうにありませんので、昨年恩田の森で撮影したものを掲載しました。
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1,000日目!

 
 2002年8月16日に郷秋<Gauche>のおもちゃ箱がオープンしてから数えると、めでたいことに本日がちょうど1,000日目となります。1,000日と言えば2年と9ヶ月ですが、考えてみると郷秋<Gauche>の最初の「独り言」は1997年3月4日ですから、そこから数えれば2,958日目、もう8年2ヶ月にもなるわけです。このあたりのそもそもの経緯についてはこちらに書いてありますので興味を持たれた方はご覧ください。

 年によって時期によって書くペースはまちまちですが、自分でもちょっと驚くのがblog化した4月20日以降毎日欠かさず書いているということ。過去一番たくさん書いた2003年でも51回だったのに、ここ3週間は毎日ですからね。

 これまでのペースに換算すれば既に半年分を書いてしまったことになります。まっ、たいしたことを書いていないと言われればそれまでですが3週間休み無し、しかもほぼ毎日写真付きですから、三日坊主が常の郷秋<Gauche>としては十分以上にたいしたことなのです。はてさて、このペース、いつまで続くことやら。

 本日の1枚は、タンポポです。
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ヘルムート・バルト

 ヘルムート・バルト氏をご存知の方はどのくらいおられるだろうか。
 バルト氏は1929年(もしくは28年)生まれのドイツ人ピアニストである。1958年当時29歳の彼は、世界的なチェリストであり、かつ作曲家であったガスパール・カサドの来日公演に際して同行・初来日し、いくつかの演奏会でカサドのピアニストを務めている。
 
 そのバルト氏が4月7日、滞在先の千葉県で死去した。死因は心不全、76歳であった。その亡がらはフライブルク音楽大学教授である鶴岡裕子(つるおか・ひろこ)夫人の計らいで自宅のあるドイツ・フライブルクに帰り、そして4月20日に葬儀が行われたようである

 先に「いくつかの演奏会でカサドのピアニストを務めた」と書いたが、バルト氏が弾いていないいくつかのリサイタルでカサドの伴奏をしたのが、後にカサドの妻となる原智恵子であった。
 私はバルト氏の死去を報じるWebのニュース記事で初めて彼の妻が日本人であったこと、1980年代には国立音楽大学において客員教授を務めるなど、日本とは並々ならぬ関係を持っていたことを初めて知った。

 カサドがモーツァルトのホルン協奏曲第3番 Es dur K.v.447 をチェロ協奏曲に編曲した作品をカサド自身が日本において初演した際のピアニストがバルト氏であった(この作品の日本での初演はピアノ伴奏により行われた。オーケストラにによる初演は、独奏チェロ:長谷川陽子、ゲルハルト・ボッセ指揮 神戸市室内合奏団により2000年5月27日、神戸学院大学メモリアルホールで行われている)との情報を得た私は、なんとかバルト氏についての情報がないものかと探していた。そんな折にチェロ奏者、宮澤等氏が室内楽をバルト氏に師事していたこと、その宮澤氏がカサドの「スペイン古典様式によるソナタ」を演奏されることを知り、2002年3月6日に東京銀座の王子ホールの楽屋に宮澤氏を訪ね、バルト氏についてお聞きした。
 
 宮澤氏のお話から、バルト氏がその時点で72歳程であること、そしてドイツで存命であることを知ることが出来たが、それ以上のことはわからないまま3年が経過し、そして今日、彼の死去を伝える記事に出会ったのである。

 彼がどのような経緯でカサドの伴奏者として来日することになったのかはわからない。しかしそれ以後、彼が日本人ピアニストを妻としたびたび来日することになった遠因に、1958年のカサドとの来日、そしておそらくあったであろう原智恵子との出会いがあったのだとすれば、何とも不思議な巡り合せであり、そこには神の意思とでも言うようなものが働いていたのではないかと思えてならない。

 ヘルムート・バルト氏に関する情報はこちらにまとめてありますので興味を持たれた方は是非ご覧ください。

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月見草

 
月見草(ツキミソウ)
学名:Oenothera tetraptera
マツヨイグサ(オエノセラ)属
 月見草(ツキミソウ)です。 「えっ?月見草は夏に咲く黄色い花ではないのですか?」とおっしゃる方も多いことかと思いますが、これが本当の月見草です。多くの方が、同じ時期に道端や荒地に咲く黄色い花、マツヨイグサあるいはオオマツヨイグサをツキミソウだと勘違いされており、一般的にツキミソウと言えばマツヨイグサあるいはオオマツヨイグサを指すことが多いようですが、これは誤りです。

 太宰治が昭和13年の初秋、富士山麓に滞在したときの印象を「富嶽百景」として発表しましたが、その中で、おそらくマツヨイグサを見て月見草と勘違いし「富士には、月見草がよく似合ふ。」と書いたことにより、この勘違いが広まったようです。

 月見草の原産地は北アメリカですが、日本には江戸時代末期の嘉永年間(1848-53)に渡来しています。草丈30センチ程の二年草で、花は6~9月の夕方に開花し朝には萎んでしまう一夜花です。花弁は4枚で白色ですが、萎むと赤紫色に変色します。

 庭先では零れた種により群生することもありますが、雑草に駆逐されがちなために野生化はせず、毎年種を採取し栽培の努力を継続しなければ絶滅の可能性があると言われています。
 外来種だといわれて忌み嫌われる動植物が少なくない中、これほどに日本人の心を惹きつける花も珍しいかも知れませんね。

 以上、「本物の月見草を絶滅から守る会」の郷秋でした。

郷秋が書いた主な月見草関係の記事

郷秋の月見草の写真がNHK教育テレビに登場(再掲)

2011/4/8/

師走の月見草2010/12/19

月見草2010/07/10

「太宰も筆の誤り」の現場を訪ねる2009/09/06

月見草2006/05/20

月見草2005/05/10


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F1 GP 第5戦、スペインGPを振り返る

 5/7に、週末のスペインGPはBARホンダの2台の姿がないのはさびしいが、面白いレースになること請け合いだと書いたけれど、全体としては淡々としたレースとなった。しかし見所がなかったかと言えば、そうではない。

 スペインGPの結果は先刻ご存知の通りマクラーレン・メルセデスを駆るキミ・ライッコネンが優勝、二番手には前戦まで3連続優勝のフェルナンド・アロンソ、三番手は今季5戦目にして3度目の表彰台をゲットしたトヨタのヤルノ・トゥルーリであった。

 8番グリッドスタートのM.シューマッハは中盤2位まで上げるが左後ろタイヤが、続いて左前輪がパンクチャーに見舞われマシンを頭からガレージに入れリタイヤ。単にタイヤだけの問題ではなくマシン、作戦そしてドライバーと、F1で勝つためのすべてが高次元でバランスしていたフェラーリチームの何かが噛み合わなくなっていることは明らかだ。

 凋落のフェラーリに対して勢いを取り戻したマクラーレン・メルセデスのライッコネンは、昨年までのフェラーリ、シューマッハの走りを髣髴とさせる異次元のスーパーラップを重ね自身初めてのポールtoフィニッシュを決めている。若いライッコネン、アロンソの1-2、トヨタの2台がそれに続く結果は「波乱のシーズンの予兆」から「新しい時代の予兆」へのターニングポイントとなりうるものと言えよう。

 さて、次のモナコGPも出場停止となっている我らがBARホンダチームについてである。
何の根拠もないので予感と言うよりは私の希望であるわけだが、どんなマジックを使ったのか知らないけれどBARホンダの2台のマシンがグリッドに並んでいる、というようなことが起こりそうな気がしてならない。さて、如何に。
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Website恩田の森、一周年

 
 なんだかすっかり忘れていましたが、気がついたらWebsite恩田の森
が2年目に入っておりました。正式なOPENは昨年の5月1日なのですが実際には昨年の2月から写真を撮り始め、4月1日からはプロトタイプの運用を開始していましたので、13ヶ月目かと思っておりました。でも、Website恩田の森の一周年以上に、私としては恩田Nowを丸々1年間続けられたことに驚いています。

 恩田Nowは正式オープンからちょっと遅れて昨年の5月9日にスタートしています。それから今日までの1年間、毎週末一度も休まずに森に通ったことになるわけです。先ほど1年前の写真を見てみたら、昼咲き桃色月見草の写真が載っていました。1年後の今日、やっぱり同じ場所で咲いていました。

 1年間、森の移ろいを見てきたわけですがこの1年間を思い起こす時、自然の素晴らしさをあらためて感じると同時に毎週末一度も休まずに森を歩くことの出来た健康にも恵まれたことを思わずにはいられません。もう1年間は毎週末の森の散策を楽しみたいと思っております。勿論写真の掲載も続けますのでどうぞお楽しみに。

今日の恩田の森の様子はこちらからご覧ください。

 恩田の森

今日の1枚はすみよしの森の民家の庭先で咲いていた花。バラのように見えるのですが残念ながら花の名前がわかりません。ご存知の方がいらっしゃいましたらぜひお教えください。
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代掻きが始まる

 
 夜半までの雨が上がり、初夏のような陽気となりました。
 今日は午後から横浜市青葉区と町田市三輪町にまたがって広がっている「寺家ふるさと村」に行ってみました。ここは地権者の協力を得て谷戸の水田を残し、周りの雑木林のなかに遊歩道を整備するなどした、かつての農村風景を残し市民に開放しているものです。広報もされていますので子供連れを中心に大勢の人が訪れ、田園風景を楽しんでいました。
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BARホンダ無念の欠場

 
 Formula One(F1)グランプリ第5戦、スペイン・グランプリが開幕した。しかし、サーキット・ド・カタロニアのコース上にBARホンダのマシンとバトンと琢磨、二人のドライバーの姿はない。

 既にご存知の通り前戦サン・マリノGPで3位に入ったジェンソン・バトンのマシンに車体重量違反があったとして、チームに対しスペインGP、モナコGPの出場停止とサン・マリノGPにおける成績無効という裁定が下されたのである。ルール、レギュレーションなくしては成り立たないモーター・スポーツである、残念ではあるは止むを得まい。

 ニュルブルクリンクで開催されるヨーロッパGPを楽しみに待つしかないのかと言えばさにあらず。今日のフリー走行1・2のトップタイムは共にマクラーレン・メルセデスの3rdドライバー、地元スペインのP.デ・ラ・ロサだ。トヨタの3rdドライバー、R.ゾンタがフリー走行2で2番手につける一方で、フェラーリの2台、故郷に錦を飾りたいルノー、アロンソも苦しんでいる。BARホンダの2台の姿がないのはさびしいが、面白いレースになること請け合いだ。

 今日の1枚はHONDAへのエール。ホントに強かった1987年のウイリアムズ・ホンダFW11B。レッドファイヴは勿論愛すべきジョンブル、ナイジェル・マンセルのマシン、バックは第1期HONDA F1のV12エンジン、RA302の透視画。いずれも郷秋<Gauche>のコレクションだぞ。
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児童・生徒・学生

 私はクルマで通勤している。最寄の青葉台駅まで歩いて、電車を2回乗り換えればオフィスにたどり着けないこともないけれど、これだと1時間。ところがクルマだと10分なのだな。エコ・コンシャスな郷秋ではあるけれど、こんなわけでクルマ通勤なのである。

 さて、その僅かな通勤時間の車中で聞いているのは81.3、J-WAVE。朝はジョン川平氏ナビゲートのGOOD MORNING TOKYO、帰りはピストン西沢、秀島史香両氏のGROOVE LINEだ。

 で、今朝のGOOD MORNING TOKYOの中でカビラ氏がこんなことを言っていた。「児童・生徒・学生の皆さんは今日は学校ですね」と。小学生・中学生・高校生・大学生のことを実に正しく表現していたので驚いた。普通は中学生・高校生・大学生をひとからげにして「学生さん」と言うところである。ちょっと気の利いた人が中学生を「生徒」とは呼んでも、高校生はやっぱり「学生」だな。

 ところがところが、小学生・中学生・高校生・大学生を指す呼び方は、実は法律で決まっているのである。

 学校教育法第23条において、小学生は「児童」、同39条により中学生は「生徒」と称することが定められている。高校生については明確な規定は見当たらないが同第44条において「生徒」という呼称が使われ、大学生については同様に同第55条において「学生」という呼称が使われている。ちなみに幼稚園児については第80条において「幼児」という呼称が使われている。整理すると次のようになる。

  大学生・・・・・学生
  高校生・・・・・生徒
  中学生・・・・・生徒
  小学生・・・・・児童
  幼稚園児・・・幼児

 くれぐれも高校生を「学生」と呼んだり、小学校の「生徒」と言ったりといった間違いをしないように。言葉・用語は正しく使いましょう。

 それにしてもカビラ氏、教員採用試験の勉強でもしたことがあるのかしらん?

#学校制度 #園児児童生徒学生 #幼稚園 #小学校 #中学・高校 #大学 #学校教育法 #学生さん

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Mキャプテンによれば

 
 新宿副都心、高層ビルの50階にある中華レストランでMキャプテンの誕生日を祝った。MキャプテンはANAのダッシュ400(Boeing747-400、ジャンボジェットの最新鋭機!)の元パイロットである。音楽、とりわけチェロには造詣が深く、空を飛ぶお仕事を引退されてからはもっぱらチェロ演奏に明け暮れている方であるが、私がご一緒する時の話題は勿論ヒコーキの話である。

 飲み物がビールから紹興酒に替わる頃に、デハヴィランドのような前例もあるけれどHONDAも随分と思い切ったレイアウトにしたものですね、もっとも本気で売りたいのは機体ではなくエンジンの方でしょうけどとHONDAが作ったビジネスジェットのことを話題にした(デハヴィランドは誤りで、主翼の上にエンジンの載せたのはドイツのVFD614であったことに帰宅後気がついた)。もちろんMキャプテンはHONDAのビジネスジェットのことを知っておられた。

 そして何と箸の袋に翼の上にエンジンを載せる場合の二つの形式の絵を書いて説明してくれたのである。一つは、通常は主翼からパイロンでぶら下げられるエンジンをそっくり逆にしたHONDAのビジネスジェットやVFD614のような形式のものと、もうひとつは主翼の上に直接エンジンを載せたものであった。

 前者はエンジン本体と主翼の空力的相互干渉を避けるためにパイロンでエンジンを主翼から離したものであり、後者はジェット排気とバイパス・エアを主翼上面に流しそこで更なる揚力を得ようとするものである。

 で、Mキャプテンの結論はこうである。どちらの形式も高度な計算・シミュレーションよって最良の形式だとされた結果だは思うけれど、設計段階で想定していないような事故が起こったときのことを考えると主翼はそれ自体がもっとも効率よく仕事をするもっとも単純な形がよいのだという。

 技術者は奇をてらうとまでは言わないけれど、今までと違った形であったとしても更によいものがないかと模索しそれを形づくる。しかし、出来た機体を安全かつ確実に飛ばし運行しなければならないエアラインパイロットはプログレッシブよりをコンサバティブを、より完成された技術に基づく確実で安全なものそしてフェイルセーフを求めるのであろう。万が一にも間違いがあってはならないから。

 そんなMキャプテンが50階ではなくて40階でエレベータを降りてしまい、ご自分の誕生祝いの席に遅れて到着したことは、やはりナイショにしておいた方がよいだろうか。

 今日の1枚は新宿副都心の新緑。昨日の話題をちょっと意識して、懐かしいモノクロ写真にしてみました。
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銀塩?塩銀?写真


 デジタル方式のカメラが普及し、気がついてみれば旧来からのフィルムを使うカメラの方が少数派になってしまった。カメラと言えばフィルムは付き物、なくてはならない物であったのは既に昔の話になってしまったようだ。
 
 デジタル方式のカメラが出できたばかりの頃のそれは「デジタルカメラ」あるいは略して「ジジカメ」と呼ばれていたが、それが当たり前になると単に「カメラ」と言えばそれはデジタル方式のカメラのことであり、フィルムを使う方式のカメラの方をデジカメと区別して呼ぶようになった。

 フィルムカメラとか銀塩カメラとか呼ばれている(フィルムで撮った写真を銀塩写真とは言うけれど、その方式のカメラを銀塩カメラとは余り言わないかもしれない)。
 ところでこの「銀塩」だが、いったいどういう意味なのだろう。写真を原理を考えればわかることだが、写真の感光剤として使われている塩化銀のことを略しているようだ。しかし、もしそうだとすれば「銀塩」ではなく「塩銀」と呼ぶべきだな。

注1:フィルム・印画紙共に感光剤として銀の化合物が使われているが、現在ではフィルムにはヨウ臭化銀、印画紙には塩臭化銀が使われている。

 さて、フィルム方式のカメラで撮った写真は多くの場合プリントして見る。あるいはプリントを送ってあげたりアルバムに貼ったりする。デジタル方式の写真はどうかと言うと、今ではやっぱりプリントして見ることが多いようだ。ただし送ってあげるという場合に、プリントしたものを郵送するのではなく、写真のデーターをMailに添付して送ることが出来るから、選択肢が増えてはいる。

注2:私の場合、デジタル方式のカメラで撮った写真をプリントするようになったのはつい最近であり、それまではWebsiteに掲載するという、最後までデジタル情報での利用であった。

 さて、フィルム方式であれデジタル方式であれ、最終的にプリントするとなるとどういうことになるのか。残念ながらデジタル情報は最後の段階つまり人間が見るという時点ではデジタルそのままでは役にたたないのである。

 フィルム方式の写真は写真屋さんにフィルムを持って行き、フィルムの現像とプリントを頼むことになる(リバーサルフィルムの場合には現像まで)。デジタル方式の場合はどうだろう。一般的には自分のインクジェットプリンターでプリントする方法と写真屋さんにデータの入ったメディアを持って行って(ネット経由でデータを送ることもできる)プリントしてもらう方法の二通りがある。どちらの利用者が多いのだろうか。

 最近新聞で見かけた記事によれば、フィルムの売り上げは毎年20%減少しているが、デジタルプリント(の売り上げ)は大幅に伸びているという。私はネットでデータを写真屋さんに送ってプリントが出来た頃(最短3時間後)に取りに行くという方法でプリントしている。

 ところで、デジタル方式の写真を写真屋さんでプリント場合の方式をご存知の方はどのくらいおられるだろうか。私も最近知ったのだが、プリントする場合にはフィルム方式の写真とまったく同じ方式なのである。このことを知るまで、私は業務用・高画質のレーザープリンターでプリントしているものと思っていたが、これが違ったのだ。デジタルカメラで撮った写真もプリントすれば、実は「銀塩」写真なのであった。

 印画紙に光を当てて現像しているのは昔と同じなのだが、露光(光を当てる)の方法が昔とかなり違う。なんと、RBGレーザーによる走査露光(デジタル露光)しているのだ。デジタル方式の写真の場合にはいいけれど、フィルム方式の写真はどうするのかと言えば、何と一旦フィルムをスキャニングしてデジタルデータにしてから走査露光していると言うのである。まったく驚いた。

注3:最近コンビニエンスストアで見かけるデジタル写真のセルフプリント装置は、出てくるのは「銀塩」写真だが「レーザー露光熱現像転写銀塩方式」といって写真屋さんでのプリント方式とはちょっと違うようである。

 フィルムの現像とプリントを頼む時に同時にデータをCDに焼き付けてくれるサービスを僅か500円でしているようだが、どうしてそんなに安いのか、これでわかった。プリントする際にフィルムの1コマ、1コマをスキャニングしてデジタルデータにしているのだから、それをCDに書き出すだけなのだからわけもない。これなら手間もかからず廉価での提供ができるわけだ。
 
 限りなくデジタルに近いアナログなのか限りなくデジタルに近いアナログなのか。デジタル方式の写真技術だけが進んでいるのではなく、フィルム方式の写真技術だってちゃんと進化しているのだ。

 今日の写真は東京都下某所の新緑。
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どこまでが常識?


 恥ずかしながら郷秋<Gauche>、「ふるさとは遠きにありて思ふもの...」が室生犀星であったことを、4/27に書いた「石川県は遠い」に対して金沢にお住まいのshinoさんがくださったコメントを拝見して初めて知った。こうして毎日Websiteやらblogやら(駄)文章を書いていると、はたして自分が書いている日本語が正しいのかどうか気になることが多く、それなりに確かめたりすることも多いのだが。

 しかし「ふるさとは遠きにありて思ふもの...」になると正しい日本語を知っているだけではこと足りず、日本語のバックグラウンドとしての文化、つまり日本人として相応しい常識を身につけているかどうかということになるのだろう。残念ながら郷秋<Gauche>は歳相応の日本人としての常識に欠けていたということになる。トホホ。

 つい最近読んだ本に「市井」を「いちい」と読む人がいると書いてあった(「かなり気がかりな日本語」(野口恵子著 集英社新書 税別660円 p.180 )。「市井」は広辞苑(第3版及び第5版)によれば「(中国古代、井戸すなわち水のある所に人が集まり市が出来たからいう)人家の集まっている所。まち。ちまた。『市井の人=市中に住む庶民』」」という意味であり、「読み物」として面白いと評判の三省堂の「新明解国語辞典第4版」でも、当たり前だが同じ意味だと書いてある。ちなみに読み方はあくまでも「しせい」であり、いずれの「いちい」の項を見ても「市井」は出てこない。

 しかし「いちいの人々」という言い方は結構頻繁に耳にする。テレビでも「市井」を「いちい」と誤読しているのを少なくない回数耳にしている。影響力の大きいテレビで「いちい」と読まれればその影響は文字通り大きく、「市井」は「いちい」と読むのだと思い込んでいる人も少なくないだろう。

 「本になっている日本語辞書」では「しせい」であってもPCに組み込まれている日本語辞書では必ずしもそうではない。私が使っているMS IMEスタンダード2003という仮名漢字変換辞書では「しせい」でも「いちい」でも「市井」と変換されるのが面白い。実用の道具としてPCに組み込まれる仮名漢字変換辞書は広辞苑よりも一歩前に進んでいるといことなのだろうな。

 日本語ブームが起きて久しいのだという。そう言われてみれば私もここ1、2年の間にかなり気がかりな日本語」の他にも「日本語は年速一キロで動く」(井上史雄著 講談社現代新書 税別700円)、「遊ぶ日本語 不思議な日本語」(飯間浩明著 岩波アクティブ新書 税別700円)など数冊の日本に関する本(すべて新書だが)を読んでいる。知らず知らずのうちにブームの片棒を担がされたいたわけである。

 確かに日本語は面白い。正しい日本語であるかどうかは国語学者だか文科省の国語審議会だかの方々にその判断をお任せしておけばよいのだが、実際に使われる日本語は「ら抜き言葉」であったり「さ入れ言葉」であったり、誤読・誤用が大手を振って歩いていたりで、面白い。電車の車内放送で「携帯電話のご使用はご遠慮させていただいております。」:(「かなり気がかりな日本語」p.179)なんて流れてきたら、痛勤怪速が通勤快楽になるくらい面白いぞ。

追記:「かなり気がかりな日本語」において野口恵子氏は、日本語を母語としない方に日本語を教える立場から、手本としてされると困るから「です・ます」あるいは「である・だ」に統一せ、書き言葉の中に話し言葉を挿入するなと主張されているが、確かに国語審議会的には「正しい日本語」ではないかも知れないけれど、そんなことは承知の上でWeb上での書き言葉としてあえてそのように書いているのだぞと、私は主張したい。正しいかどうかは別の問題として、Web上の常識の範囲内の日本語だと私は思っている。

 本日の1枚は、東京都下某所で咲き出した金蘭(キンラン)。
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