玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

長期入院と幻覚(3)

2016年10月13日 | 日記

①「動き出す巨大建築群」
 初期の幻覚ヴァージョンだと思う。天井パネルそのままに、白い地にペンか何か黒で建物が描かれている。実際の建物ではなく描かれた建物であって、イラストのように見える。それがただ一棟ではなくて天井パネルのトラバーチン模様のように横長に、建物群が連なっている。
 明らかにこれはトラバーチン模様を見ている状態でなければ、生まれようもないイメージであり、幻覚だったのだと思う。夢にしては短すぎるし、夢の持つドラマ性やストーリー性をまったく持っていない。
 ドラマ性はないが、パノラマ的である。これらの建築群が動き出すのである。最初に真ん中の建物が動き出す。正面に向かって動きだし、左にターンしていく。同時にほかの建物も真ん中の建物の動きを追っていき、結果的に建築物が行列状態をなす。どこへ向かっていくのかは知らない。そうした場面がクローズアップなども使って映画的に描かれる。
 スケール感がなかなかにすごい。天井パネルとの最も大きな違いはそこにある。トラバーチン模様の一つ一つの要素が組み合わさって建築物となり、それがいくつも増幅し、巨大化して動いていくのである。
 この建物が動き出す瞬間を何度も私は見たという記憶がある。同じ幻覚を何回も見たのだろうか? それとも幻覚の記憶が譫妄状態の中で繰り返されたのだろうか。人間はまったく同じ夢を見ることはないはずだから、その幻覚もまた繰り返される記憶の中で複数化されていったのだと思う。
 スケッチでも描ければいいのだが、あいにく絵が描けない。次も同様である。

②「勢揃いした兵器群」
 ①のヴァリエーションだと思う。こちらも実際の兵器ではなく描かれた兵器である。①が建物と同じレベルに視線があったのに対して、こちらはやや俯瞰する位置に目がある。大量で様々な兵器が横に広く並んでいる。真ん中に戦車のようなものがあって、全体を牽引している。
 ところでこちらは全然動かない。なぜかは分からないが、これらの兵器が韓国軍に属していることが、私には認識されている。このような根拠のない認識は夢の持つ大きな特徴であり、この情景が夢の一部であった可能性が高いのだが、戦車のほかの兵器ははっきりしないし、なぜ場面が全く動かないのかも理解できない。
 兵器の後方に広大な平地の情景が認識されているが、視野の中に入っては来ない。まるで、イラストや絵画における省略のように。だから①も②も、絵画的な要素が強い。面倒な部分は適当に省略して見せようという意図が感じられる(誰の意図?)。
 そして③以降の夢(たぶん)が持っているストーリー性をまったく欠いていることから、夢とは区別される幻覚であったに違いない。


 


長期入院と幻覚(2)

2016年10月12日 | 日記

 この天井板の模様は天然大理石を模したトラバーチン模様というのだそうで、ごく一般的にどこででも見ることのできるものだ。このトラバーチン模様が執拗に私の想像力を刺激することになるとは、入院するまで予想もしないことであった。
 トラバーチン模様をずっと見ていると、人の顔が現れてくるようになると言われているが、私の場合にはまずそれは有意味な文字のつながりとして読まれるべき連続として出現した。この天井の模様に誰かが何らかのメッセージを隠しているのだという強い思いこみが、そこに文字を読み取ることを強制した。
 特にその模様が横に走査されるとき、それは文字列のようなものとして認識されやすい。そこには規則的な繰り返しがあり、文字列には必ず単位としての文字に繰り返しが現れるからである。これを朝から晩まで飽きず眺めていたら、どうしたって、そこに意味のある文字列の存在を読み取らないわけにはいかない。

 あるときそこには文学の言葉が読まれたし、別のあるときにはそこに呪術の言葉が出現した。またコンサートのプログラムそのものとしての働きを担ったこともあった(というよりもアルバムの曲目紹介のようなもの)。
しかし、記憶は曖昧である。もともとトラバーチン模様に意味などあるわけはないのだし、文字情報そのものが夢や幻覚の記憶として残ることは少ない。よく夢の中で本を読むことがあるが、そこに何が書いてあったかを思い出すことは出来ない。
夢や幻覚においては文字情報が記録されることはもともとないのだ。トラバーチン模様はそれが文字であるかのように振る舞うだけで、決して文字の意味を開示しない。だから私の記憶の中にも、それら文字として読まれるべき記号情報の意味だけは排除されているのである。
 もちろん、あるひとにとって顔がそこに出現してくるように、私にとっても忘れられない記憶として刻み込まれたのは、映像であった。私はこのトラバーチン模様を源泉とした幻覚や夢をたくさん見たし、そのほとんどを覚えているが、それらを見た順番は忘れてしまっている。
 いくつか忘れかけているものもあるので、忘れないうちに題名をつけておこうかと思う。以下のような夢、あるいは幻覚である。

① 「動き出す巨大建築」
② 「勢揃いした兵器群」
③ 「エロチックな冷凍イカ」
④ 「冷凍された少女達」
⑤ 「鮮度抜群の居酒屋」

以下、ひとつずつどんなものか説明していこう。


長期入院と幻覚(1)

2016年10月10日 | 日記

 ブログを3か月以上更新出来なかった。腸閉塞で手術を行い、3か月の入院生活を余儀なくされたからだ。まだ生きている。
 入院期間中もこの「玄文社主人の書斎」を読んでくださる方が、一日50人以上はいた。ご愛読に感謝申し上げたいと思う。
 6月26日に入院して10月1日に退院した。季節は初夏から秋へと移りすぎていったが、毎日空調完備の病室に寝起きしていた者にとって、季節というものは存在しなかった。手術直後の期間は自分でも何をしているのかまるで分からず、その後は極めて退屈な期間を過ごすことになった。病室にパソコンを持ち込んでブログを続けるほどのマニアではなかった。
 退院後失われた3か月を取り戻したいと言ったら、「闘病記を書け」という人がいたが、たかが3か月では「闘病」にも値しないし、腸閉塞ではあまりイメージの良い病気とは言えず、感動的な「闘病記」など書けそうもない。極めて散文的な3か月を過ごしたわけだが、最初の10日くらいだけは違った。多分モルヒネが効いていたのだろう、のべつ幕なしに幻覚に襲われることになった。
 私としてはこの時見た幻覚が極めて印象的で、そのほとんどをはっきりと覚えている。そのうちの一部は睡眠時の夢であったのかも知れない。しかし、その幻覚の源泉が、病室の壁紙と天井板の模様から来ていたところを見ると、睡眠時の夢でさえ昼間の幻覚の延長であったことは確かと思われる。
 一週間の間に手術を3回施された。後で聞けば、かなり危機的な場面もあったようだが、そのおかげで幻覚の10日間を経験することが出来たのかも知れない。最初の幻覚は病室の壁紙がめくれあがるというものであった。だからこれは意識のある状態での経験であり、睡眠時の夢ではあり得ない。

 壁紙の模様は写真のような「青海波」を基調としたもので、これがベッドで寝ている私に向かってめくれ上がってくるのだ。別に恐怖は感じなかったが、壁紙の裏に何があるのか? という興味をどこまでもそそるのである。私はしかし、結局壁紙の裏側を見ることは出来なかったが、なぜ病室の壁紙が動くのか? それは何を意味しているのか? というような疑問を何度も感じたことを覚えている。
 だから同じような幻覚を何度も見ていたのだと思う。壁紙がめくれ上がるいくつかのパターンを今でも思い出すことが出来る。横にめくれてベッドまで壁紙のはしが押し寄せてくるようなときもあったし、上方の安全なところでめくれ上がっていることもあった。壁紙の青海波の模様を源泉とする夢も見ることになる。
 しかし私の幻覚と夢を大きく左右したのは、壁紙よりも天井板の模様である。その模様は写真のようなもので、結構ありふれているように思う。病人は上向きに寝ているから(横向きだと手術の痕が痛い)、壁紙よりも天井を見ることの方が多かったためと思われる。
 何の変哲もない模様が意味を持ち始める。何回も何回も模様を見ているうちに、それが意味を持った記号の連続のように見えてくる。あるいは意識の方がそこに意味の連続を求めようとすると言った方がいいのかも知れない。それが文字としての意味であったり、画像としての意味であったりするわけで、そのたびに私は違った幻覚に襲われるようになっていく。

 


閑話休題

2016年01月19日 | 日記

 しばらく札幌まで旅をしてきた関係もあって、ブログを中断することになってしまった。『ゴシック短編小説集』も読み進めていないので、「ゴシック論」も中断を余儀なくされている。少し札幌で見聞したことを書いてつなぎとしたい。
 札幌には道立の「三岸好太郎美術館」がある。三岸は1934年に31歳で亡くなった夭逝の画家である。以前から興味はあったが、その作品を観る機会がなく、今回初めてまとめて見ることが出来た。
 作品を観た私の印象は「若すぎる」というものだった。彼の作品にはジョルジュ・ルオーの影響やシュルリアリスム絵画の影響も見られるが、どれも未消化で三岸独自の作風に到達していないという感じを抱かざるを得なかった。
 完成されていないのである。31歳で亡くなった画家に完成を求めても無駄と言われるかもしれないが、では37歳で死んだ中村彝や、39歳で死んだ靉光はどうなのか。彼らは多くのヨーロッパの画家達の影響を受けつつも、自らの独自性を確立したではないか。
 三岸よりも多少長生きしたからと言われても、彼らが30歳までにどのような仕事をしていたかを見れば、夭逝というだけでは片づけられない問題があることが分かる。シュルリアリスムの受容にしても靉光と比べて三岸は未熟と言わざるを得ない。
 中村彝や靉光は真に偉大な画家であった。そのことを再認識させてくれる意味で、三岸の作品を観る意味はあったのかもしれない。

 16日封切りの映画「白鯨との闘い」も観た。ハーマン・メルヴィルの『白鯨』Moby-Dick; or, The Whaleの元になった実話による映画ということで、観なければならないと思っていたのだった。特撮がよくできた映画で、観ている間は退屈しないし、結構その迫力に圧倒される。娯楽映画として楽しむこともできる。
 ところで、原題はIn the Heart of the Seaというのだが、何でこんな邦題にしたのだろう。ロン・ハワード監督はこのジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』Heart of Darkness を思わせるタイトルに、ある思いを込めたに違いないのだが、邦題からはそのことは伝わってこない。
 この映画は、海の深奥(heart of the sea)に存在する人間の力ではどうすることもできない脅威をテーマにしているのだし、もう一つのテーマは遭難における人肉食という人間の深奥に関わるものなのだから、「白鯨との闘い」などという即物的なタイトルでは監督の真意は伝わらないのである。
 メルヴィルはコンラッドと同様に船乗りの経験を持ち、格調高い海洋冒険小説を書いたことでも共通している。だからHeartはコンラッドの『闇の奥』から取られていることは明白で、せめて「ハート・オブ・ザ・シー」か「海の奥で」くらいにしてほしかった。

札幌の本屋で、柏崎の本屋には売ってなかった加藤典洋の『戦後入門』を買い求めた。635頁もある新書である。新書の軽薄短小化が進んでいる最近では、珍しいくらいに重厚な本となっている。
『敗戦後論』以降の著者の思索を集大成したもので、日本の戦後政治の「対米従属」と「ねじれ」をテーマとし、そこからの脱出の道を提起するという大胆な内容となっているが、若い世代を対象に書いているので、読みづらいということはない。
 論旨は白井聡の『永続敗戦論』に近い。というよりも白井が加藤の影響を受けて『永続敗戦論』を書いたので、加藤の先見性を読み取らなければならない。白井の『永続敗戦論』には、日本の政治に対する絶望的な批判は書かれているが、必ずしもこの先の展望が書かれているわけではない。
 一方、加藤の『戦後入門』には重要な提言がなされていて、ある種の希望を与えられることは確かである。安倍政権によって憲法改正が日程に上がっている現在、護憲ではなく、逆方向からの改憲が必要だという主張には説得力がある。
 なぜこの本が書かれなければならなかったかということが、切実に伝わってくる。戦後政治の劣化の極まりとも言うべき安倍政権に対する危機感がそれであり、そのような危機意識を共有するものにとっての必読書と言える。


再出発、さらば胃潰瘍

2015年02月22日 | 日記
2ヶ月近く書斎を留守にしてしまった。昨年までは柏崎を中心としたローカル紙「越後タイムス」を発行し続けていて、主にその編集後記であった「週末点描」をそのまま転載していたのであった。昨年末で「越後タイムス」を休刊とし、これからは時間が出来そうだと思っていたのに、2ヶ月近くほとんど余裕のない生活が続いた。
 さすがに新聞発行はしないでよくなったので、夜まで仕事に追われることはなくなったが、昼間は残務整理等でつぶれてしまっていた。夜になるとひたすら本を読んできた。これまで本を読んでも読後感をノートに記す習慣もなかったのだが、これからは先も長くないことだし、自分のための備忘録としても書き残していこうと思う。
 これまでの「玄文社主人の書斎」は、言ってみれば「越後タイムス」取材と編集の余録のようなものであった。だがこれからは名実ともに「玄文社主人の書斎」と呼べる内容にしていきたい。
 再出発である。
 ところで現在、新潟県を中心とする同人誌「北方文学」第71号を編集中で、3月初旬発行を予定している。私は71号に「純粋言語とは何か?――ベンヤミン「翻訳者の使命」を読む」を書いている。昨年10月から12月にかけて完成させたのだが、12月に胃潰瘍にやられてしまった。
 ベンヤミンの「翻訳者の使命」に関わる註解書や参考文献に、夜になると向き合っているうちに、胃が痛くなってきた。そのうち昼間は何ともないのに、夜書斎でベンヤミン関連の本の頁を開くと、とたんに胃がズキズキと痛むようになってきた。胃潰瘍の原因は他のことで、自分では分かっているのだが、条件反射のように本に向かうと激烈な症状が出てくる。
 幸い鼻から胃カメラをのんで小さな潰瘍であることが判明し、薬で快方に向かったが、「もうこんなきついことはやめよう」と思わざるを得なかった。
 もっと楽しい文章を書こう。好きな小説を読もう。次は大好きなチリの作家、ホセ・ドノソについて書こう。“ゴシック”をテーマにしよう。だから“ゴシック”周辺の小説を読み、そのことについて書いていくことにしよう。

越後タイムス休刊にあたって

2015年01月06日 | 日記
 この休刊号を発行するにあたって、書いておきたいことがある。まず四本の連載について。渡辺和裕氏の「感覚のルネッサンス~災害と社会あるいは文学について」の連載は五十六回を数えた。東日本大震災と福島原発事故の直後から開始されたこの連載は、「決して終わらない」と宣言されていた。
 震災や原発事故を風化させるべく、東京オリンピックの開催決定や、景気回復最優先、つまりは経済至上主義に同調する総選挙などが行われたが、文学的精神にとって、それは忘れることを許されぬ事件であって、だからこの連載は「決して終わらない」のである。
 徳間佳信氏の「中国新時期文学連載」も二十六回にわたり、今号の最後には「この項続く」と記されている。中国の現代文学について通観するこの論考は、日本で初めての試みであり、おそらく中国本国においてもなされていないものかも知れない。
 前人未踏のこの論考に対して、紙面を提供する必要があると判断して始めた連載であり、最後まで貫徹させてあげられなかったことを申し訳なく思っている。いずれ一本にまとめられ、中国現代文学を学ぶ日本人にとって必須の文献となることを願っている。
 また、木島次郎氏の「柏崎を変革した男たち」も、大河内正敏と彼に関わる四人の人物について、まだ二人目が登場したばかりであり、今後どこまで続くのか予想もできない。
 私自身の「大岡昇平」についても、まだ『武蔵野夫人』について論じただけで、タイトルの「“明晰”という隘路」によって言いたいところまで辿り着いていない。これもまた「つづく」とした所以である。
 まだ何も終わっていないのである。休刊であって廃刊でもなければ終刊でもない。ただし新聞としての発行は、この号が最後になる。来年になったら、少し休ませていただいて、別の形での「越後タイムス」の続行について模索したいと考えている。
 休刊を惜しむ声がたくさん寄せられていて、申し訳ないと思うと同時に嬉しい気がしないでもない。熱烈に愛読してくださった方がたくさんいることが分かるからだ。
 そんな方々に最後のお願いがある。越後タイムス五代目編集発行人・柴野のことを「タイムスを終わらせた男」ではなく、「タイムスを十五年間延命させた男」として記憶していただきたいというお願いである。でも、まだ終わりではない。

越後タイムス12月25日号「週末点描」より)


日本翻訳文化賞受賞

2015年01月06日 | 日記
 越後タイムス編集発行人が一人で細々とやっている出版社「玄文社」で手掛けた本が、何と今年度の日本翻訳文化賞特別賞を受賞したので、著者がお住まいの長岡市でささやかな祝賀会を開いた。
 同賞は、ユネスコ国際翻訳家連盟日本代表機関である日本翻訳家協会が主宰するもので、対象作品は早稲田大学名誉教授・大井邦雄氏による訳述書『シェイクスピアはどのようにしてシェイクスピアになったか』と『「ハムレット」の「ことば、ことば、ことば」とはどんな「ことば」か』の二冊。
 この賞は「その年の、優れた翻訳作品の翻訳者に対して」与えられるもので、もとより出版社の功績ではなく、偏に翻訳者の栄誉に帰せられるものであるが、それにしても嬉しかった。歴代の受賞作品を見てみると、ホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ』、ドゥールーズ、ガタリ『アンチ・オイディプス』やエーコの『薔薇の名前』など錚々たる作品が並んでいる。
 しかも、岩波書店や白水社、東京創元社や国書刊行会など、一流の出版社ばかりが名を連ねている。「玄文社」などという名前だけは立派だが、何の実績もないゴミのような出版社はひとつもない。どうしてこんなことになったんだろう。
 大井氏の二著はイギリスの演出家・俳優、ハーリー・グランヴィル=バーカーという人の講演の一部を翻訳したもので、本文の十倍以上の注が付いた大著である。注がないと読んでも分からない。注がすごいのだけれど、読むのは結構大変である。そんな本を東京の出版社では出版できなくなっているのが実情なのだ。出しても売れないからだ。結局、著者が自費出版で出すしか道はない。そんなお手伝いをさせてもらったというわけだ。
 祝賀会は、よき理解者ばかりが集まって楽しくも充実した会となった。大井氏は八十二歳。次の本の出版に向けて研鑽、準備中である。見習いたいと思う。

越後タイムス12月10日号「週末点描」より)


ヘンデルのアリア

2015年01月06日 | 日記
 かしわざき大使で、市文化会館アルフォーレのパートナーシップ・アーティストの池辺晋一郎さん企画によるコンサート「音楽の不思議~歌の国イタリアを訪ねて」は、聴きに行くかどうか迷った。イタリア歌曲が苦手で、聴いて楽しむ自信がなかったからだ。
 池辺さんの「N響アワー」はよく聴いていて、その独特の切り口とダジャレが大好きだったから、アルフォーレ柿落としのコンサートにも、昨年のオーケストラ・アンサンブル金沢のコンサートにも参加した。
 柿落としのコンサートではN響の指揮者だった故岩城裕之さんの奥さんである木村かをりさんのピアノで、初めてメシアンを聴いて刺激を受け、その後「トゥーランガリラ交響曲」や「世の終わりのための四重奏曲」など、メシアンの主要な曲を聴くようになった。 結局、出掛けた今年のコンサートは、いきなりヘンデルの二曲から始まって、“ドイツ人なのに?”と思ったが、ヘンデルは「イギリスにおけるイタリア・オペラの完成者」なのだそうで、よく意味は分からないが一応納得した。ヘンデルのOmbra mai fu(なつかしい木陰よ)は聴いたことがあるが、Lascia ch'io pianga(わが泣くままに)は初めて聴いた。
 Lascia ch'io piangaがいたく気に入ったので、You Tubeで聞き直すことにした。検索するとたくさんの演奏をただで聴けることが分かった。CDが売れないわけだ。キャスリーン・バトルもあれば、サラ・ブライトマンもある。日本人の演奏もたくさんあるが、平板で声量も足りない。
 一番気に入ったのはアメリカのルネ・フレミングの歌であった。ずっと記事を書きながらフレミングの歌声を聴いている。声の振幅が大きくてメリハリがすごい。楽譜にないような微妙な声の揺らぎが心を震わせる。
 この人、オバマ大統領就任記念コンサートで歌うくらい超人気の歌手だそうで、昨年亡くなったロック界の伝説的スター、ルー・リードと共演しているのもYou Tubeで見つけて聴いた。そんなこともあってか、毀誉褒貶喧しい歌手なのだという。
 結局フレミングの「ヘンデル・アリア集」のCDを買うことにした。ただで聴かせてもらうだけでは申し訳ないからだ。まさかソプラノのCDを買うことになるとは夢にも思わなかった。池辺先生に感謝である。

越後タイムス11月25日号「週末点描」より)