三条市の館路子さんの詩集『螢、探して』(書肆山田)と新潟市の鈴木良一さんの詩集『母への履歴』(玄文社)合同の出版記念会が新潟市であった。『母への履歴』の発行者として、ずいぶん久しぶりに出版記念会なるものに参加した。
参加したのは二十二人。うち二十人は新潟県詩人会に所属する詩人で、二人だけ非詩人。その一人は、新潟市のシネ・ウィンド社長・齋藤正行さん。もう一人が私。大勢の詩人に混じって居心地が悪いことといったらない。
しかも、参加者全員が二冊の詩集について、一人ずつ順番に批評を加えるといった大変厳粛な会なのだった。二十人の詩人たちはお互いの出版記念会で馴れているようだが、こちらはちっとも馴れていない。二時間の宴席の一時間半以上を批評に費やすという恐るべき会に、すっかり面食らってしまった。
というわけで、詩人でない二人だけ仲間はずれのようにして酒を酌み交わした。齋藤さんのシネ・ウィンドはもう二十年以上も続いていて、頭の上のダイエーは撤退しても、シネ・ウィンドは頑張り続けているのだ。しかも、齋藤さんは「新潟県映画館史」という大著述を構想し、資料集めをやっておられる。
資料は膨大なもので、その保管のために事務所を一室借りねばならぬほどの量だという。柏崎の柏盛座の話題も、柏崎シネマの話も出た。ちゃんと小熊三郎さんの『柏崎活動写真物語』も読んでおられて、随分詳しい。さすがだ。
しかし、前人未踏の「新潟県映画館史」には気の遠くなるような作業が必要だろう。さて、鈴木良一さんは、シネ・ウィンドの“座付詩人”という肩書きも持っているが、こちらは「新潟県現代詩史」をライフワークとし、柏崎の詩人たちのことを私などよりはるかによく知っている。
二人の遠大な計画に圧倒されながら、元気をもらって新潟市を後にした。
参加したのは二十二人。うち二十人は新潟県詩人会に所属する詩人で、二人だけ非詩人。その一人は、新潟市のシネ・ウィンド社長・齋藤正行さん。もう一人が私。大勢の詩人に混じって居心地が悪いことといったらない。
しかも、参加者全員が二冊の詩集について、一人ずつ順番に批評を加えるといった大変厳粛な会なのだった。二十人の詩人たちはお互いの出版記念会で馴れているようだが、こちらはちっとも馴れていない。二時間の宴席の一時間半以上を批評に費やすという恐るべき会に、すっかり面食らってしまった。
というわけで、詩人でない二人だけ仲間はずれのようにして酒を酌み交わした。齋藤さんのシネ・ウィンドはもう二十年以上も続いていて、頭の上のダイエーは撤退しても、シネ・ウィンドは頑張り続けているのだ。しかも、齋藤さんは「新潟県映画館史」という大著述を構想し、資料集めをやっておられる。
資料は膨大なもので、その保管のために事務所を一室借りねばならぬほどの量だという。柏崎の柏盛座の話題も、柏崎シネマの話も出た。ちゃんと小熊三郎さんの『柏崎活動写真物語』も読んでおられて、随分詳しい。さすがだ。
しかし、前人未踏の「新潟県映画館史」には気の遠くなるような作業が必要だろう。さて、鈴木良一さんは、シネ・ウィンドの“座付詩人”という肩書きも持っているが、こちらは「新潟県現代詩史」をライフワークとし、柏崎の詩人たちのことを私などよりはるかによく知っている。
二人の遠大な計画に圧倒されながら、元気をもらって新潟市を後にした。
(越後タイムス9月15日「週末点描」より)