なんとか九日の講演会までに、田中優子教授の『江戸の創造力』を読み終えることができた。だから講演の内容もよく理解することができた。『江戸の創造力』は二十年前の著書で、芸術選奨文部大臣新人賞受賞作である。名著だと思う。
江戸時代に対する日本人の認識は、このところ大きく変化してきている。かつてマルクス主義全盛時代には、江戸時代は封建主義の時代で、圧政と収奪が蔓延する闇黒の時代と解釈されてきた。
そうした歴史観の典型を、白土三平の劇画『カムイ伝』に見ることができる。『カムイ伝』では江戸時代を、藩主の暴政と農民の抵抗という階級闘争的な史観で描いているが、今日ではそんな一面的な歴史観はほとんど受け入れられないだろう。
環境的な視点から見れば、田中教授も講演で話していたように、江戸の町は完璧な循環型社会だった。古着や紙屑はおろか、“灰”まで売買された。もちろん下肥も農民がつくる野菜などと交換された。
そうした視点からの再評価の他に、別の視点もある。熊本の渡辺京二氏の『逝きし世の面影』(平凡社)という本は、幕末に日本を訪れた多くの外交官らの手記を通して、彼等がいかに日本の風土の美しさ、そして日本人の美質を賞讃していたかを解明してくれる。
ほとんど江戸時代にユートピアを見るような本だが、当時の外国人が絶讃し、現代の日本人が忘れ去った美しい精神性がそこにあったのなら、江戸の時代はそんなに悪い時代でもなかったのであろう。
田中優子教授の『江戸の創造力』(ちくま学芸文庫)は、読んでものすごく元気の出てくる本である。江戸と地方との格差は、現代の東京と地方の格差より、はるかに大きかっただろうし、江戸のまちの話が、そのまま柏崎のまちづくりに役立つとは考えられないが、講演よりずっと内容が濃いので、一読をおすすめしたい。
江戸時代に対する日本人の認識は、このところ大きく変化してきている。かつてマルクス主義全盛時代には、江戸時代は封建主義の時代で、圧政と収奪が蔓延する闇黒の時代と解釈されてきた。
そうした歴史観の典型を、白土三平の劇画『カムイ伝』に見ることができる。『カムイ伝』では江戸時代を、藩主の暴政と農民の抵抗という階級闘争的な史観で描いているが、今日ではそんな一面的な歴史観はほとんど受け入れられないだろう。
環境的な視点から見れば、田中教授も講演で話していたように、江戸の町は完璧な循環型社会だった。古着や紙屑はおろか、“灰”まで売買された。もちろん下肥も農民がつくる野菜などと交換された。
そうした視点からの再評価の他に、別の視点もある。熊本の渡辺京二氏の『逝きし世の面影』(平凡社)という本は、幕末に日本を訪れた多くの外交官らの手記を通して、彼等がいかに日本の風土の美しさ、そして日本人の美質を賞讃していたかを解明してくれる。
ほとんど江戸時代にユートピアを見るような本だが、当時の外国人が絶讃し、現代の日本人が忘れ去った美しい精神性がそこにあったのなら、江戸の時代はそんなに悪い時代でもなかったのであろう。
田中優子教授の『江戸の創造力』(ちくま学芸文庫)は、読んでものすごく元気の出てくる本である。江戸と地方との格差は、現代の東京と地方の格差より、はるかに大きかっただろうし、江戸のまちの話が、そのまま柏崎のまちづくりに役立つとは考えられないが、講演よりずっと内容が濃いので、一読をおすすめしたい。
(越後タイムス3月16日「週末点描」より)