文学と美術のライブラリー「游文舎」で開かれた、企画委員の霜田文子さん初の個展は大盛況だった。地方では抽象画を描く人は少ないし、市展などでもほとんど抽象画は出品されない。にもかかわらず多くの方が来館され、熱心に見ていただいた。企画委員の一人として感謝したい。
「游文舎」では、ほとんど具象画の展覧会はやらない。ほかでやっているからだ。抽象画の方が表現の幅が広くて面白いし、時代の要請に応える部分も持っている。でも、「むずかしくて分からない」という人が多い。何が描かれているか頭で分かろうとするからむずかしくなってしまう。ストレートにそのまま感じ取ればいい。抽象画の方がよほど直截的に見るものの感性を刺激する。
ところで《蝟集》という二十五号の作品があって、無数の卵がブドウの房状に集合しているような不思議な絵柄であった。この《蝟集》の“蝟”の字を読めない人が多くて、「何て読むの」とよく聴かれた。“胃”が音を表しているので、これは単純に“いしゅう”と読めばいい。
さらに、“蝟”の字の意味を聴いてくる人がいるので、こちらも分からないから、冗談に「胃の中にいる虫だから寄生虫でしょ」と答えた。ならば、この作品は寄生虫の卵の増殖を描いているのだろうか。しかし、隣りにいた三井田保険部の三井田勝一さんが「ピロリ菌だな」と応じた。大笑いしてしまった。
あとで調べると、虫偏の文字なのに、寄生虫でもなく、ピロリ菌でもない。“ハリネズミ”のことを漢字で“蝟”と書くのだった。だから“蝟集”の意味は、“ハリネズミの毛のように、無数のものが一カ所に集まっていること”だという。
さらに“蝟”の字は“彙”の別体で、“彙”の字も同様にハリネズミのことを表すという。“彙”の字は、“語彙”(一定の範囲に用いられる語の総体)という言葉で使うことがあるくらいで、めったに使わない文字だが、こんなところにハリネズミが隠れているとは夢にも思わなかった。漢字の世界は途方もなく奥深い。
「游文舎」では、ほとんど具象画の展覧会はやらない。ほかでやっているからだ。抽象画の方が表現の幅が広くて面白いし、時代の要請に応える部分も持っている。でも、「むずかしくて分からない」という人が多い。何が描かれているか頭で分かろうとするからむずかしくなってしまう。ストレートにそのまま感じ取ればいい。抽象画の方がよほど直截的に見るものの感性を刺激する。
ところで《蝟集》という二十五号の作品があって、無数の卵がブドウの房状に集合しているような不思議な絵柄であった。この《蝟集》の“蝟”の字を読めない人が多くて、「何て読むの」とよく聴かれた。“胃”が音を表しているので、これは単純に“いしゅう”と読めばいい。
さらに、“蝟”の字の意味を聴いてくる人がいるので、こちらも分からないから、冗談に「胃の中にいる虫だから寄生虫でしょ」と答えた。ならば、この作品は寄生虫の卵の増殖を描いているのだろうか。しかし、隣りにいた三井田保険部の三井田勝一さんが「ピロリ菌だな」と応じた。大笑いしてしまった。
あとで調べると、虫偏の文字なのに、寄生虫でもなく、ピロリ菌でもない。“ハリネズミ”のことを漢字で“蝟”と書くのだった。だから“蝟集”の意味は、“ハリネズミの毛のように、無数のものが一カ所に集まっていること”だという。
さらに“蝟”の字は“彙”の別体で、“彙”の字も同様にハリネズミのことを表すという。“彙”の字は、“語彙”(一定の範囲に用いられる語の総体)という言葉で使うことがあるくらいで、めったに使わない文字だが、こんなところにハリネズミが隠れているとは夢にも思わなかった。漢字の世界は途方もなく奥深い。
(越後タイムス7月3日「週末点描」より)