十六日の、真宗大谷派三条教区第十組による青木新門氏の講演は、人の心を打つもので、久し振りに講演を聴いて感動させられるものがあった。第十組のはからいで講演終了後、楽屋を訪れて五分ほど青木氏とお話しする機会を与えていただいた。
青木氏は、私が懇意にさせていただいている画家の木下晋氏と古い友人で、木下氏が柏崎を何度も訪れ、その縁で青木氏の詩人仲間でもある長谷川龍生氏の講演会を昨年七月に柏崎で開くことができたこと等をお知らせしたかったからだ。
青木氏は早稲田大学中退後、富山市で「すからべ」という飲み屋を経営するが、集まって来るのは金のない詩人や画家ばかりで、そのために倒産の憂き目を見たという。しかし、木下氏の方は、青木氏が毎日しこたま酔っぱらっていて、客に請求することをしなかったからだと主張する。
言うことが食い違っていて、どちらが本当なのか分からないが、いずれにせよ、当時の作家予備軍(青木氏もその一人)や画家予備軍は、金銭感覚を全く欠如させていたようで、それもまた古き良き時代の風習と言えるのかもしれない。
ところで“すからべ”というのは、ファーブルの『昆虫記』で有名な“フンコロガシ”のことである。青木さんに「どうして、フンコロガシなんてのを店名にしたんですか」と聴いた。青木さんは「直感ですね。蛆に光を見る人間ですから」と即答された。
『納棺夫日記』には「蛆を掃き集めているうちに、一匹一匹の蛆が鮮明に見えてきた。そして、蛆たちが捕まるまいと必死に逃げているのに気づいた。柱をよじ登って逃げようとしているのまでいる。蛆も生命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた」という言葉が記されている。この言葉が俳優・本木雅弘を動かし、映画「おくりびと」誕生につながったのであった。
青木氏は、私が懇意にさせていただいている画家の木下晋氏と古い友人で、木下氏が柏崎を何度も訪れ、その縁で青木氏の詩人仲間でもある長谷川龍生氏の講演会を昨年七月に柏崎で開くことができたこと等をお知らせしたかったからだ。
青木氏は早稲田大学中退後、富山市で「すからべ」という飲み屋を経営するが、集まって来るのは金のない詩人や画家ばかりで、そのために倒産の憂き目を見たという。しかし、木下氏の方は、青木氏が毎日しこたま酔っぱらっていて、客に請求することをしなかったからだと主張する。
言うことが食い違っていて、どちらが本当なのか分からないが、いずれにせよ、当時の作家予備軍(青木氏もその一人)や画家予備軍は、金銭感覚を全く欠如させていたようで、それもまた古き良き時代の風習と言えるのかもしれない。
ところで“すからべ”というのは、ファーブルの『昆虫記』で有名な“フンコロガシ”のことである。青木さんに「どうして、フンコロガシなんてのを店名にしたんですか」と聴いた。青木さんは「直感ですね。蛆に光を見る人間ですから」と即答された。
『納棺夫日記』には「蛆を掃き集めているうちに、一匹一匹の蛆が鮮明に見えてきた。そして、蛆たちが捕まるまいと必死に逃げているのに気づいた。柱をよじ登って逃げようとしているのまでいる。蛆も生命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた」という言葉が記されている。この言葉が俳優・本木雅弘を動かし、映画「おくりびと」誕生につながったのであった。
(越後タイムス3月19日「週末点描」より)