玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

青木新門氏のフンコロガシ

2010年04月02日 | 日記
 十六日の、真宗大谷派三条教区第十組による青木新門氏の講演は、人の心を打つもので、久し振りに講演を聴いて感動させられるものがあった。第十組のはからいで講演終了後、楽屋を訪れて五分ほど青木氏とお話しする機会を与えていただいた。
 青木氏は、私が懇意にさせていただいている画家の木下晋氏と古い友人で、木下氏が柏崎を何度も訪れ、その縁で青木氏の詩人仲間でもある長谷川龍生氏の講演会を昨年七月に柏崎で開くことができたこと等をお知らせしたかったからだ。
 青木氏は早稲田大学中退後、富山市で「すからべ」という飲み屋を経営するが、集まって来るのは金のない詩人や画家ばかりで、そのために倒産の憂き目を見たという。しかし、木下氏の方は、青木氏が毎日しこたま酔っぱらっていて、客に請求することをしなかったからだと主張する。
 言うことが食い違っていて、どちらが本当なのか分からないが、いずれにせよ、当時の作家予備軍(青木氏もその一人)や画家予備軍は、金銭感覚を全く欠如させていたようで、それもまた古き良き時代の風習と言えるのかもしれない。
 ところで“すからべ”というのは、ファーブルの『昆虫記』で有名な“フンコロガシ”のことである。青木さんに「どうして、フンコロガシなんてのを店名にしたんですか」と聴いた。青木さんは「直感ですね。蛆に光を見る人間ですから」と即答された。
 『納棺夫日記』には「蛆を掃き集めているうちに、一匹一匹の蛆が鮮明に見えてきた。そして、蛆たちが捕まるまいと必死に逃げているのに気づいた。柱をよじ登って逃げようとしているのまでいる。蛆も生命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた」という言葉が記されている。この言葉が俳優・本木雅弘を動かし、映画「おくりびと」誕生につながったのであった。

越後タイムス3月19日「週末点描」より)

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廃業宣言

2010年04月02日 | 日記
廃業することにした。と言っても「越後タイムス社」のことではないのでご安心を。「越後タイムス」を引き継ぐ前から経営していた印刷業の方である。
 印刷業は“斜陽産業”と言われてすでに久しい。言うまでもなく、パソコンの登場で、誰でも簡単に文書を作成することができるようになったし、年賀はがきだって、チラシだって、ポスターだって、パソコンで作ることができる。そのような時代に印刷業は“不要”である。
 10年以上前から分かっていたことで、仕事の減少に対応するために人員を減らし、設備投資は一切しないという方針でやってきた。お陰で借金も残りあとわずかとなり、無事に廃業できる見通しが立った。それを“計画廃業”と呼ぶ人もいた。
 この10年で最も急激な変化にさらされたのは、アナログからデジタルに移行した写真業界であり、印刷業界はそれに次ぐ速度で変化の波を受けた。グーテンベルクが活版印刷術を発明したのは1445年。それから500年以上、活版印刷は生き続けたが、30年ほど前に消えていった。
 その後、変化の速度は増すばかりで、この10年間の技術の変化についていくことはできなかった。変化のスピードがゆるい時代なら、それなりの対応が可能だが、速度が増せば増すほど対応がむずかしくなっていく。
 哲学者の内山節は『怯えの時代』(新潮選書)の中で、「自然や人間が変化に対応していくには、そのとき必要になる時間量がある」とし、その理由を「人間は昨日までと同じように今日をつくる動物だから」と言っている。DNAが変化を好まないからである。
 世界の変化のスピードは、突然変異以外では絶対に変わらないようにできているDNAの遺伝情報で形成される人間の限界を超えつつある。どだい無理なことを我々は日々強いられている。そこから現代社会に特有なさまざまな問題が発生してくるのではないだろうか。

越後タイムス3月12日「週末点描」より)

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