マダム・マールは娘との別れに際してイザベルに次のように言う。
「あなたがとても不幸なのは、わかるわ。でも私はもっと不幸なのよ。」
この言葉にイザベルは次のように答える。
「そうね、それは信じられるわ。もう二度とお会いしたくないと思うわ。」
ここは原作どおりに科白が入れられなければならないところだろう。マダム・マール役とイザベル役の演技がためされる場面である。そしてここでマダム・マールとイザベルの関係は終結を迎えるのである。
もうひとつ、パンジーが実の母よりも慕っているイザベルに言う「帰っていらっしゃるでしょう?」という期待とも問いかけとも取れる科白にイザベルが、本気だったのかどうか「ええ、帰ってきますよ」と答える場面がある。
この場面は小説の最後に、イザベルがローマへ、オズモンドのところへ帰っていく伏線となる部分である。イザベルは「ええ、帰ってきますよ」と言う。その時はパンジーへの慰めとも取れる気持ちで言った言葉が、最後にイザベルの行動を決定づけることになるのである。
パンジーの方はどうでもいいが、イザベルの「ええ、帰ってきますよ」という言葉は、映画における科白として表現するときに、とんでもない難物と化すだろう。この場面も私は観たくないのである。
映画で最も観たい場面は、この後イザベルが危篤状態のラルフのもとにたどり着き、二人で最後の会話を交わすところである。ここは『ある婦人の肖像』の中でも最も感動的な場面であり、イザベルとラルフの真実の思いが、何ものにも妨げられることなく吐露される場面である。
この場面を抜かしたら映画ではないし、映画はここを最後の泣かせどころとして表現するに違いない。ヘンリー・ジェイムズの小説の方は、最初は緩やかに始まり、途中謎をにおわせて後半は畳みかけるようなスピードで進んでいって、この大団円に至る。
映画もまたこのリズムを踏襲せざるを得ないだろう。最後の場面はイザベルとラルフが真実の愛を語り合う場面であって、ここでの二人の演技力がある意味最も重要だとも言える。
しかし愁嘆場は、観客の方が勝手に泣いてくれるのだから、それほど力を入れる必要は映画ではないのかもしれない。ただし私には、二人の科白で決してはずして欲しくない部分がある。実際の映画はどうなのか知らないが。
イザベルの言葉。
「一度あることをしてくださいましたね――ご存じでしょう。あなたは、何よりも大切な方でした。私は一体あなたのために何をしたのでしょう――今日、何ができるのでしょう? あなたに生命をあげることができるなら死んでもいいわ。でもあなたに生きてほしいとは思いません。あなたと別れないため、私も死にたいの。」
そしてラルフの言葉。
「あんなことさえしなければ――あんなことさえしなければ――。」こう言って彼は言葉を切った。「ぼくが君の身を破滅させてしまったのだな」
さらにラルフの言葉。
「それに、忘れないでもらいたいな、たとい君が憎まれたとしても、愛されてもいたということをね。」