玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ベス・ハート、ライブ(3)

2018年12月17日 | 日記

 改札口でS夫妻と待ち合わせ、サン=ジェルマン=アン=レーの駅を出ると、目の前にそれほど大きくはない城がそびえ立っている。まずこの城の見学がサン=ジェルマン=アン=レーでの目的のひとつであった。
 この城こそサン=ジェルマン=アン=レー城で、地名はここからきている。12世紀から続く古城であり、17世紀に建て直されるが、ルイ14世がヴェルサイユに移るまで、王の居城のひとつであった。現在は国立考古学博物館になっていて、夥しい数の考古学的遺物が展示されている。


サン=ジェルマン=アン=レー城

 展示室は2階と3階にあって、これをじっくり観ていたら半日はかかるだろう。私は考古学的遺物に対してそれほど興味はないし、コンサートが始まる前に会場を見つけておかなければならなかったので、1時間くらい見学して城を後にした。しかしここは考古学好きの人にはたまらない魅力を持ったところだろう。ぜひパリ観光の延長に加えていただきたい。
 さて街に出て会場のアレクサンドル・デュマ劇場を探さなければならない。持っているのはGoogleの地図だけである。地図というものは上が北になっているが、現地に立ってみるとどちらが北かすぐには判断できない。地図に載っている通りの名前等を頼りに探さなければならない。
 城からそう遠くないところにデュマ劇場はあるはずなのだが、どこをどう歩いても見つけられない。通りにたむろしている学生がいたので、地図を見せて聞いてみるがさっぱり要領を得ない。言葉はほとんど通じないから彼らが分かっていても、言っていることが分からない。分かったふりをしてMerciとか言うが、内心では「自分で探すしかないな」と思っている。
実はもう一か所行きたいところがある。サン=ジェルマン=アン=レーは作曲家ドビュッシーの生地であり、その生家がドビュッシー博物館として公開されているので、そこを見学したかったのである。ドビュッシーのほうを先に探すことにして、地図を頼りに歩くのだが、さっぱり分からない。駅前にタクシーが停まっていたので、S氏が流暢な英語で(彼は英語がぺらぺらなのだ)聞くのだが、運転手も知らないという。地図を見せても分からない。
 ドビュッシーのような偉大な作曲家の生まれた地で、その記念館のありかをタクシーの運転手に聞いても分からないなどということがあるのだろうか。日本ならそんなことはあり得ないだろう。地元の人がドビュッシーの名前さえ知らないのだろうか。もう一度地図を見直そうということになり、地図を右に少し傾けてみると通りがだいたい符合しているのに気づく。やはりどちらが北か判断できないと地図があっても迷うばかりなのだ。
 デュマ劇場の方が近いので、そちらへ先に。城のと目と鼻の先に目的の劇場はあった。鉄柵に囲まれた公園の内部にそれがあることを確認し、今度こそドビュッシー博物館へ。さっきから2回は通った道を3たび通り、地図を頼りに進んでいくとMaison Claude Debussyの表示があった。やっと見つけた。普通の住宅と何ら変わりのないところで、独立した建物ではなく探しづらいのも無理はない。一階は観光案内所、2階3階がドビュッシーの生家跡である。
 ドビュッシーの遺品や写真などを中心に展示されているが、ドビュッシーについて詳しくもないので展示品についてよく理解できない。まあ、ドビュッシーが吸っていた空気が吸えればそれでいいのではないか。記念館というものはそんなものだ。ただ一階の中庭にあった井戸だけは印象に残った。ドビュッシーはこの水を使っていたのだろう。


 さて音楽といってもこちらはクラシックではなく、ブルース。ベス・ハートのコンサートはネットでは午後7時からと書いてあったり、8時からと書いてあったりした。安全のために1時間前の6時に会場に行くとしてその前に食事を済ませよう。
 近くのレストランに入って注文するが、4人とも重いものを食べられる状態でなく、オードブルと飲み物だけを注文。しかし、これが大変美味しい。パリに来て一番の味であった。これまで入ったレストランは席が窮屈で荷物を置く場所もなかったが、ここはゆったりしている。「席の狭いレストランよりも広いレストランの方が美味しい」という法則を発見した。
 6時に会場の前に行くが、ドアは閉ざされている。1時間前なら開けても良さそうなのに。では8時の開演なのか? 本当に今日は11月15日なのか? 不安になってくる。しかし鉄柵のところにあったポスターを見ると、なんと8時45分開演と書いてある。ヨーロッパでのコンサートは開演が遅いとは聞いていたが、そんなに遅いのか、日本なら終演の時間だなどと考えながら、カフェで暖かいものを飲みながら時間をやり過ごすことにした。