玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

オノレ・ド・バルザック『ルイ・ランベール』(2)

2021年01月21日 | 読書ノート

 ルイ・ランベールは幼少期から聖書に親しみ、10歳の頃には読む本を寄附してもらうために町中を歩きまわったという。そしてスウェデンボルグの『天界と地獄』という神秘思想の本に出会い、決定的な影響を受けるに至る。

 当時まだフランスではほとんど知られていなかったその本を読んでいるところを、ナポレオンと生涯対立したことで知られるスタール夫人に見出され、援助を受けて高等中学に入学するのである。この時ルイはまだ14歳。今の日本でいえば中学2年生というところ。

〝身につまされる思いがした〟と私は書いた。私もまた中学生の時に親に与えられた世界文学全集によって、文学の世界へと運命づけられたという思い出がある。教養主義的に考えればそれは慶賀すべきことと思われるかも知れないが、本にのめり込むことには必ず大きな代償がつきまとう。本というものは読む者の想念を肥大させるから、読めば読むほどに自らの孤独を深めるのである。それが文学や思想の書であればなおのこと。

 私の父親は当時事業に成功して、子供に何か高価なものを買い与えることを楽しみにしていた。私は生まれつき貧乏性で、ステレオだとかカメラだとかとりわけ高額なものは自分の身に合わない気がして、「そんなものいらない」と言って拒絶するといった恩知らずの子供であったが、世界文学全集だけは悦んで買ってもらった。

 私を動かしたのはドストエフスキーの『罪と罰』であり、その世界に深々とのめり込んでしまった。それは当時の私にとって、現実の世界よりも遙かに重要なものとなり、本の世界こそが私にとって至上のものとなった。そうなると人間はどこまでも高慢になって、周りの人間をほとんど馬鹿にするようになり、親とも同級生ともろくに口をきかなくなっていくのである。

 そればかりか学校の先生まで内心では蔑むようになり、教師の授業などほとんど受け付けなくなってしまうのだった。そんな態度が反抗的と見えたのだろう、特定の教師に憎まれるようにさえなっていく。

 そうした心性は高校に入ってさらに昂進していった。教師を馬鹿にし、授業を聴かず、授業中に本を読んでばかりいたが、同級生の間ではどんどん孤立を深めていって、誰とも口をきかないような生活を続けた。私にとって書物の世界がすべてであったから、その他のことはどうでもよかったのである。

 ルイ・ランベールもまた、そのような高等中学時代を過ごすようになる。本を読み思索することに至上の価値を置くルイは、自らの観念の世界に閉じこもり、授業も宿題もおざなりにして教師の反感を買う。教師に反抗し、その罰としての課題を課せられようが、体罰を受けようが、彼は少しも反省することはない。観念の世界では彼は王者であり、教師の存在など何ほどの価値をもつものでもなかったからである。

 確かに一人観念の世界に生きる者にとって、学校生活ほどに苦痛を与えるものはない。集団生活の中で強いられる規律や規範が、彼にとっては絶えがたいものとなるのである。私もまた14歳から18歳までをそのような苦痛の中で過ごし、学校制度に対して深い恨みを抱いたことを忘れない。しかし、50年以上経った今思い返してみると、必ずしも非は学校制度や教師の側にあったわけではないことが理解される。

 教師という職業にはある種の凡庸さが要求される。ルイ少年のような生徒を理解することが出来ないからといって、その教師を責めることはできない。教師はルイ少年のようではない、その他一般の生徒をも相手にしなければならないのであるから、ルイ少年のような精神の高みに付き合っていたら、学校そのものが成り立たなくなってしまうからである。

 しかし、そのような学校制度がルイ少年を追いつめていったという事実は消えない。彼はそのような学校ではなく、少数の選ばれた家庭教師につくか、放任状態で独学の道を選ぶかするべきだったのだろう。

 そんなルイ少年にも、たった一人だけ観念の世界を共有できる友人が存在した。それがこの小説の語り手であり、二人は同級生から「詩人とピュタゴラス」とあだ名されるのであった。文学に比重のある語り手が「詩人」であり、哲学的に思考するルイ少年が「ピュタゴラス」なのであった。