玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ああ、羨ましい

2010年10月22日 | 日記
 市立博物館の箕輪一博学芸員から、「キンモクセイの花の咲く頃、山にはアミタケが出る」との教示を受けていた。あちこちの庭のキンモクセイの花が咲き出したので、何年か前にアミタケが大量発生したある場所に行ってみた。あった。
 まだ出始めで、小さいものばかりであったが、少しだけ採ることができた。これから期待できそうだ。アミタケはこの辺の方言ではアワタケ。昔は山に行けばどこにでも生えていた。
 小中学生の頃、秋になると「きのこ狩り遠足」というのが学校行事として行われていて、鍋をかついで軽井川の山に出掛けた。山できのこを採り、その場できのこ汁をつくって食べるのだ。アミタケは必ずあったから、間違いなくきのこ汁をつくることができた。
 しかし、中学生の時代に、遠足の主役がきのこ汁からカレーに変わったことを覚えている。山に行ってもアミタケさえ採れなくなったからだ。思えばこの頃から、里山を人が利用しなくなり、山が荒れ始めたのだった。
 ところで、一番おいしいきのこといえば、ズボ(アブラシメジ、ヌメリササタケなど)。『柏崎日記』の渡部勝之助が食傷するほど食ったというズボを、もう十年も口にしていない。そのズボが、しかも一本で味噌汁がつくれるほど大きなのが博物館のエントランスホールに展示されていた。
 柏崎きのこ研究会の布施公幹会長が朝採ってきたもので、「二人で行って、四十六本採ってきた」とおっしゃる。うらやましい限りである。布施先生から教えてもらった。「ブナ林の切れ目、木の生えていない日当たりのよい斜面に行けばある」とのことだ。
 せっかく教えていただいたのだから、近いうちに実行したいと思うが、そんな所に行けば必ずあるとも限らず、一日がかりになるかも知れない。なかなかそんな時間はとれそうもない。悔しい。

越後タイムス10月15日「週末点描」より)


アンバランスな風景

2010年10月22日 | 日記
 甥の結婚式に出席するために上京。会場は浅草の浅草ビューホテルだ。上野からタクシーで会場へ。かっぱ橋のあたりから、細い通りの両側に商店街が開けていて、正面に見えた。何が? 東京スカイツリーが。
 眼のくらむような高さで、古い商店街のたたずまいとは、極めてバランスが悪い。それでも“すごいなあ”と思い、あとで写真に撮っておこうと思っているうちに会場へ到着。直後にもっとアンバランスな光景を眼にすることになる。
 披露宴会場はホテル最上階の二十八階。二十八階からの眺めに度肝を抜かれた。正面に巨大な東京スカイツリー、隅田川をはさんで手前下に浅草寺の境内が見える。さらに手前の足元にはあの小さな遊園地「花やしき」があった。景観もなにもあったものではない。恐ろしい光景だった。
 式の前に浅草を散策する時間があった。裏から浅草寺境内に入って、雷門に向かう。ホテルの位置を確認しておこうと、来た方向を振り返ると、五重塔の向こうに空高くそびえるビューホテルが見えた。その時に気が付いた。浅草寺境内からの景観を損ねている、あのホテルだったのだ。
 結婚式は隅田川の向こうにある有名な牛嶋神社。バスで神社へ向かう。車窓から何度もスカイツリーを眺めることができた。由緒ある神社の境内からもスカイツリーは見える。どう考えても、下町にスカイツリーはふさわしいとは思えないが、眼にしないですますには、スカイツリーに登るしかない。
 ホテルでは、スカイツリーの観光効果に期待しているのだろう、「現在四百七十メートル」と記した掲示もあった。六百三十四メートルまで伸び、世界一の高さになるのだそうで、工事現場を訪れる観光客も増えているらしい。観光スポットとしての浅草の位置は当分ゆるぎそうもない。

越後タイムス10月8日「週末点描」より)


彝アトリエ保存決定

2010年10月22日 | 日記
 新宿区下落合に現存する、大正期を代表する洋画家・中村彝のアトリエ保存の方針が決定したことから、「中村彝アトリエ保存会」のメンバーの方々に会うため上京した。その前日の十七日に、メンバーの一人である根本二郎議員が、区議会で一般質問を行ったとのことで、そんな話題を中心に話がはずんだ。
 根本議員の質問はインターネット中継で視聴することができる。根本議員の主眼は、質問というよりも、中村彝の偉大さを他の議員や区民に知ってもらうというところにあったようだ。今年四月に、新宿区は下落合に佐伯祐三のアトリエ記念館をオープンさせた。佐伯の記念館があるのに、中村彝のアトリエが朽ち果ててしまうなどということがあってよいはずがない。
 佐伯はパリでしか絵が描けなかった人で、下落合を描いた作品は悲惨な出来である。真に偉大だったのは、一度も洋行することができなかったのに、世界的な水準の作品を残した中村彝の方であると断言できる。
 新宿区の地域文化部長は根本議員の質問に答えて、「貴重な文化歴史資源として整備保存し、後世に伝える」ことを約束し、佐伯記念館と同様、地域住民や専門家などを集め、検討会を立ち上げて、具体的な検討に入ることを明言した。
 彝アトリエ保存は、四十年に及ぶ関係者の運動によって実現した。過去に何度かチャンスがあったものの、その都度、区の財政事情等で断念せざるを得なかった経緯がある。根本議員はそのことを「奇跡」と表現したが、そのとおりだと思う。
 来年には、新宿区歴史博物館で「中村彝特別展」が開催されることになりそうだ。中村彝復権のきっかけとなってほしい。

越後タイムス10月1日「週末点描」より)