弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

エミリー・ローズを見て

2011年03月07日 | 政治、経済、社会問題

エクソシストがらみのドラマとは知りませんでした。
法廷もののようでしたので、そのまま見ることにしました。

この映画については、ネットで多くの人が感想を述べていますし、実話についての
ウィキペディアの記事等があります。

エミリーローズという少女の死が悪魔払いによるものではないかが争点でした。

私は法律家の視点で感想を述べたいと思います。
そもそも、こういうものを法廷ものとして取り上げるためには、法律論争に耐える構成
ができなくてはなりません。
検察側は、法律論争などあり得ないという線で進められています。悪魔が取り付くなどいういう考えなど、真面目に議論するような問題ではないというわけです。
したがって、弁論の余地などないというわけです。
エミリーの異常行動は精神障害が原因だということを医師等に証明させるわけです。

これについて、悪意はなかったなどと情状を主張するだけでは、ドラマになりません。
そこで、当然、被告人である神父の要望は、「悪魔に取りつかれていた」として、正々堂々と
戦ってほしいということになるのです。

エリンは敏腕女性弁護士です。もとは、話題づくりと出世のために異例な事件を引き受ける
ことになったのですが、実際は、人間の苦しみとか悩みを理解し、共感できる弁護士
ですから、弁護活動をするうちに、彼女自身は「悪魔がいるのか」「悪魔が取り付くのか」
について、信じることができたというわけではないけれど、神父やエミリーローズ本人及び
その家族の「悪魔にとりつかれた」との考えを、単に妄想とか迷信として排除できないこと、
真剣さは本物と考えざるをえないと共感するようになるのです。

そうすると、やらなければならないことは、専門家による証言です。
人類学者や医者に証言させるわけです。
そして、悪魔払いの儀式のテープを証拠として提出しました。再生は迫力がありました。

彼女の最終弁論では、常識的には悪魔がいるとかとりつくなどは信じられないが、
でも、絶対ないともいえないのではないかという、纏めをします。
こういう主張は法律的には認められませんが、内容が内容だけに人の心には響くことは
間違いありません。

陪審員の判決は有罪です。順当な判断です。
エリンは即時量刑を裁判官に求めます。

ここで奇蹟が起こります。陪審員から量刑について提案してはいいかとの声がかかります。
裁判官は意見をきくだけならいいでしょうと認めました。
陪審員は「刑期は今日で終えたことにして、即時釈放してはどうでしょうか」と。
これで決まりです。
これが映画で訴えたかったことなのです。

素晴らしい結末です。

常識的には悪魔なんているわけない、ということになります。
でも、実際に、わけもなく苦しむテープを聞くと、そういう事実があったことは否定のしようは
ありません。原因はわからないにしても・・・
科学の進歩によっても、まだまだ解明できないことはたくさんあります。
そうすると、完全に解明されるまでは、それを「悪魔につかれた」と信じる人がいても
それを絶対におかしいということもできないように思います。
弁護士の最終弁論は、そういうことを言ったわけです。

そのうちに、不可解と思われた部分が徐々に解明されることになるかもしれません。
私たちの脳の働きがかなりな程度見えるようになっているのですから。
それまでは、普通の人が気づかないにしても、感覚敏感な人にはわかるものについて
「悪魔」ということばで表現したとしても、それを嘘とはいえないような気がします。

陪審員の判断は、そういう意味で、極めて健全な常識といわざるをえません。

アメリカ映画の法廷ものの素晴らしいことは、こういう人間存在の根源にかかわる
ような深刻な問題を、裁判という切り口で問いかけ、見るものの魂を揺さぶるストーリー
に仕立てるということにあります。

人間ほど不可解なものはありません。
エルサレムは、互いに相いれないようなユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教
のいずれにとっても聖地になっています。
それが人類の歴史です。
人間や人間社会はそれほど混沌としています。
だから何があっても不思議ではありませんし、また、人種や宗教な性別等の違いに
かかわらず共感できることもあるのです。

裁判というのは、そういう人間ドラマの格好の舞台となり得るのです。
アメリカでは、そのことが良く理解されています。
日本では、そのあたりの理解が、裁判官を含めてないように思います。

エミリー・ローズをみて、人間とは何かを改めて考えさせられました。
アメリカの懐の深さも。