弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

判事ディード法の聖域(第14話)恐怖への挑戦  陪審制度の見直し

2011年06月19日 | 判事ディード 法の聖域

判事ディードの法の聖域の第14話は恐怖への挑戦(Above the LAW)です。

シリーズ4(2005年)の第2話になります(1月20日放映)。

麻薬の縄張りをめぐる争いの中での殺人事件です。
3人のチンピラギャング(未成年)が被告人です。
被害者も麻薬のディーラーです。
ピザの配達人を装うつもりだったのか、ピザ持参です。
射殺した後、ピザを顔に押し付けて帰ります。

目撃者はいます。別室で被害者の彼女が一部始終を見ていました。
いかにも杜撰で乱暴な犯罪ですが、このドラマでは、それはどうでもいいことです。

傍聴席は被告人の家族や友人でいっぱいです。傍若無人に騒いでいます。
法廷の権威などには全く関心なしです。
どこかのディスコにいるかのように被告人も交えてワイワイと騒いでいます。

陪審員が集まらないというので書記官さんは頭を悩ましています。
ディードは職業紹介所で見つけてきたらなどと(冗談と思いますが)言っています。
やはり陪審員のなり手がいないようで、深刻な事態なんです。
ようやく見つかりました。
被告人は2人が黒人、1人が白人です。主犯は黒人、ナンバーツーは白人です。
被告人の弁護士は、白人と黒人が半々になるように希望しますが、
12人集めるのがやっとです。結局、ほとんどが白人、ただし陪審長は黒人です。

秘書のクープさんは場をわきまえない被告人の関係者の傍聴には否定的ですが、
理想派のディードは、誰でも傍聴する権利があるなどとカッコいいことばかり言っています。
しかし、実際に始めてみると、悪態の付き放題で、
さすがのディードも法廷侮辱でどしどし退廷を命じます。
いうことを聞かない被告人も退廷させ、裁判所内の拘置所に留置します。
大荒れの法廷です。

こういう状態ですから、目撃者も被告人やその関係者を恐れて証言をしたがりません。
ジョーは検察側の代理人ですが、ビデオリンクでの証言を要求します。
ディードは警察が保護しているのであれば証人の身の安全には問題ないだろうとして
法廷で被告人の面前で証言するように求めます。
途中で証人席を飛び出すほどの侮辱等がありましたが、目撃証人は無事証言を終えました。
ところが、保護にあたる警察官の目を盗んで外出したところで、自動車のひき逃げにあい
死んでしまいます。いったん、引いた後、もう一度、バックして引きなおしているので
完全に殺すつもりだったことがわかります。(後は被告人の関係者の仕業とわかります)

証言は終りましたが、唯一の目撃証人の死亡です。
ディードも責任を感じますがどうすることもできません。
でも、証言した後の死亡なら裁判に影響しないんじゃない、だからいいじゃないと
思われるかもしれませんが、そうでもないのです。

さて、次の重要証人のピザ店のオーナーですが、傍聴に出入りしている数人が
店に押しかけ脅しをかけました。
どうなるのでしょう?

陪審員ですが、最初は2人が病気になったと言って欠席です。
さらに2人が気分が悪くなったといって出てきません。
2人が欠席した時も、どうするかが問題になりましたが、
4人欠席となるともはや裁判は維持できないのではとの疑問が出てきます。
というのは、陪審員の評決は最低9人以上の多数決が必要だからです。
もちろん、評決のときには、欠席した陪審員が復帰し9人以上の多数決に
なるかもしれませんが、一部の証言を聞かないで結論を出した陪審員がいることになります。
そうすると、後で評決の有効性を争われる可能性があります。
もし、これが手続きミスということになれば、この瑕疵はもはや治癒する方法はないわけです。
そういう危険性を内蔵したまま手続きを進めても
結局は、時間と費用の無駄でしかないのです。

4人の診断書を書いた医者は同一人物です。
ディードは医者を証人に呼びます。医者の診断はストレスだというものです。
陪審員の仕事は大変ですからストレスといわれるとディードも返答のしようがありません。
ただ、医者は、うち一人は怪我もしていたと証言します。
ディードは事情を聞くため、その陪審員を訪問することにします。異例です。
転んで怪我したなどと言い訳しますが、ディードはそうでないこと、脅されたことを
悟ります。
陪審の重要性を説明して説得しますが・・・・
そうです。陪審員たちは被告人の関係者に脅されていたのです。

ディードは徹夜で判例を調べますが、8人で審理をしたというような前例はないようです。

となると、裁判をやめるしかありません。
もちろん、もう一度やり直すことは理論上できますが、この場合にはもはや目撃証人は死亡して
いますから、証言させることはできません。
検察側は、事実上やり直しはできないんです。(証言後でも殺す意味があるのです)

実際は方法があるのです。
イギリスの陪審制は500年の歴史がありますが、
2003年の刑事手続法の改正で、陪審員に対する妨害(jury tampering)がある場合には
裁判官だけの陪審員なしの裁判をすることが可能になったのです。
ですから、ディードは、しようとおもえば、裁判を継続することは可能なのです。

ところが、どうやら裁判官たちの間では、陪審員なしの裁判というのは評判が悪いのです。
陪審員による裁判というのは国民の権利のごくごく基本にかかわるものとの認識です。
犯すことのできない権利と考えられているようです。
ですから、陪審なしの裁判をするくらいなら、裁判の中止もやむを得ない、
そのため、犯罪者が罰せられず、自由になっても仕方がないとの考えが強いようです。
モンティ・エバランドですら、できることはなんでもするからねと、ディードに協力の申出をするほどです。

では、なぜ2003年の改正があったのか?
労働党政権では、陪審員による裁判は時間と金がかかりすぎるとの考えだったようです。
また、このドラマにもあるように陪審員のなり手が少なくなったということもあるようです。
ドラマによれば、陪審制を廃止する法案もあったということですが、それは廃案に
なったようです。ですから、jury tamperingがある場合は、陪審員抜きの裁判ができるというのは
一種の妥協だった可能性があります。

例のイアンは役所の人間ですから、何とかディードに陪審抜きの裁判をしてほしいのです。
そのための圧力をかけてきます。
もし、ディードが陪審裁判に拘り、裁判中止などにすると、他の判事たちが大喜びをして右に倣えに
なってしまうことを恐れています。
ディードは、陪審制を守り、その代償として陪審員を脅したり、証人を殺したりするような犯罪人を
自由の世界に戻すか、それとも個人の権利の肝心要の陪審裁判を受ける権利を放棄し、そのかわりに
犯罪人を罰して正義を行うか、の二者択一を迫られます。
悩み悩んだ挙句、おそらくディードだからでしょう、陪審なしの裁判官のみによる裁判を決断します。
被告人の代理人は権利侵害で認められない、裁判を中止し、釈放すべきだと異議の申立をします。
イワンはといえば、これで前例ができたと大喜びです。

ここでまだ、どんでん返しが起こります。
陪審員が全員復帰してきました。
ピザやのオーナーも証言します。
ようやく終わりに漕ぎ着けました。

ところが、裁判所のトイレで例の陪審長が脅されます。
監視員を装って被告人の関係者(目撃証人をひき殺したのも同人物)トイレに侵入したのです。
ディードの耳にも入ります。

脅迫に屈することなく、陪審員は有罪の評決をしました。

そして、陪審長を脅迫し、目撃証人を殺害した者や法廷で騒いだものを全部法廷侮辱等で
拘束してしまいました。

なお、検察側の弁護士のジョーは、たとえ、麻薬の売人同士の争いであったとしても、
犯罪を犯した者には法律で処罰することが、自由で公正な社会を守るためには必要だと
最終言論したのが印象的でした。
そうでなければAbove the LAWになってしまうというのです。

さて、現実の世界では、2009年に初めて、2003年の法律に基づく陪審員なしの裁判官だけの
裁判を認めた画期的な判決が出ました。
法律ができてから6年もかかったことになります。

英米法の国では、処罰するのは国民であり、国民の国民による裁判が保障されているとの考えが
しっかりと根付いているということです。
だからこそ裁判官も陪審員の判断を尊重してきたのです(有罪か無罪かにつき)。
裁判官は法律の専門家であって、事実認定は一般人が専門家ということです。

日本では、ようやく裁判員制度が導入され、いわゆる一般人のものの見方や考え方が
裁判に反映されるようになりました。
陪審制とか裁判員制というのは、裁判官が生きた世界を学ぶ機会であると同時に
一般人が法律的なものの考え方を学ぶ機会です。

陪審制は民主主義の基本原則だというイギリス的なものの考え方、
すなわち、国民が主権者なんだということが、紙の上ではなく
血肉になっていることが、よくわかりました。

今回はディードの女性問題やディードを追放しようとするスパイたちの企みとの戦いは
ありませんでした。
ジョーは携帯電話の原告(脳腫瘍で死亡)の息子を養子にしようとしていますが、役所の審査では
却下、ハイコートに異議の申立をします。
ディードの配慮で、モンティに裁判を担当してもらい、ジョージに代理人になってもらいます。
なにやら、上手くいきそうな感じでした。
今回でわかったことはジョージは感情移入型で、時には興奮して我を忘れることがある、
ジョージはどちらかというと鈍感タイプ、ですから、いちいち反応しません。
気のせいかもしれませんが、養子縁組委員会の委員長や担当職員は、ジョーに嫉妬しているのでは
と思います。ジョーは判事希望なのです。
こういう優秀でやり手の女性で、忙しくてこどもの面倒などみれないくせに、他人のこどもを養子に
迎えようなどというのはけしからんというわけです。
モンティは、ジョーとはディードのことを巡っていろいろあったのですが、それでも
仕事と母親業とが両立できないなどと考えるのは偏見だと、委員会側に意見しているほどでした。

今回のドラマは陪審制をめぐるイギリスでは、タイムリーでホットなテーマだったのだと思います。

アメリカでもそうでしたが、陪審制を論ずると、英米での民主主義が草の根の民主主義であり、
権利は国民がみずからの手でもぎ取ったものであること、そのことを国民のひとりひとりが当たり前のこと
として大事にしていること、一方日本の民主主義は外から与えられてものであり、
根なし草の民主主義であること、だからそれを何が何でも守らなければというような強い意思は
全くないことを痛感します。

イギリス社会を理解するための良い材料となるドラマでした。