弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

熊谷市で39.7度、6月の最高気温の記録更新20年ぶり

2011年06月25日 | 福島原発 東日本震災

24日は、東北地方に停滞する梅雨前線に向かって暖かく湿った空気が
流れ込んだ影響で、関東北部を中心に気温が上昇し、

午後1時40分までに埼玉県熊谷市で39.7度、
同県寄居町で39.2度、
群馬県高崎市で39.0度を観測。

国内での6月の最高気温を20年ぶりに更新し、
6月に気温が39度台を記録したのは観測史上初めて。
これまでの6月の最高は1991年6月27日、
静岡市で観測された38.3度。

23日に発表された気象庁の7~9月の3カ月予報では、
気温は平年並みか高めの傾向との予測。9月の残暑も厳しくなりそうだ。
ただし、観測史上最も暑かった昨年よりはまし。

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こういう数字を見るだけで汗が出そうです。

節電の意思はあっても、こういう高温続きでは体力の消耗を防ぐためにも
ある程度の冷房は欠かせません。
熱中症になったりして死んでは意味がありません。
また、最近、地下鉄の間引き運転を顕著に感じます。
電車の待ち時間が長くなりました。
また、混み具合が尋常ではありません。銀座線は昔からひどかったですが、
私がこのところ利用する三田線もラッシュ時の銀座線と変わりません。
混雑による疲れも軽視するわけにはいきません。

少々の暗さは我慢できますが、
冷房や通勤の足の交通機関には配慮がほしいです。

原子力を完全に廃止すべきかどうかについては、私自身まだまとまっていません。
しかし、今のままでは不安です。
福島原発については、人災の面の方がはるかに大きいように思います。
そもそも、立地についてすら、人災ではないかと思います。
では人災の面は回避可能か?
実はこれも大いに不安です。
今の政策決定過程やそれに携わる人たちや電力会社の体質等を
考慮すると、福島原発程度の人災はいつもあると思わざるを得ません。
そうすると、やはり原発は、今のようなままでは問題と考えざるを得ません。

では、他に方法は?

やはり、国民の意識改革が絶対に必要です。
楽天の三木谷氏が経団連を退会するというのも理解できます。
また、関西電力の会長が関西経済連合会長になったことについても
おかしいといっていますが、これも理解できます。
これでは改革などできようはずはありません。

現実の世界はきれいごとではすみません。
いい社会を本当に作ろうと思えば思うほどきれい事では済まないのです。

体温より気温が高いところでは、健康な生活など送れるわけにいかないこと
はわかりきっていいるはずです。

建て前と本音について、お偉方は建前だけを言ってきました。
建前をいうのは、本当は誰でもできるのです。
お偉方という人は、建前で済まない事をしりながら平気で建前だけですむかの
ようにうまく言える人、つまりは良心のない人、使い分けのうまい人だと
いうだけです。
これからは公の場でこそ、本音で話すべきです。
本音で話すと難しいこと、矛盾することがいっぱいです。
いいかっこなどできません。
本音で話し始めると、本当にできる人、やる気のある人はすぐに
わかります。

今年の夏は暑い、ものすごく暑い、ではどうするか
もっと真剣に考えましょう。


嘘を見破るライ・トゥ・ ミーのカル・ライトマンなら 即刻辞めさせろと

2011年06月24日 | 政治、経済、社会問題

菅総理の居直りには、仲間であるはずの民主党員ですらあきれ果てて、

なすすべもないようです。

政治の世界はもとより、日本全体が虚無感に覆われているようです。

いえいえ、世界の政治家も、あきれ果てているようです。

なぜこういうことになったかについては、既にこのブログで何度も書きました。

今日は、視点を変えて、菅氏の写真を載せます。
本当は新聞に掲載されている写真をのせたいと思いましたが、
インターネットにはないので、あまりこの記事に相応しい写真とは言えませんが、
ご了解ください。

これは、参院東日本大震災復興特別委員会に臨み、枝野幸男官房長官(左)
と話し込む菅直人首相。
この後、委員会は開かれないまま休憩に
=20日午前、国会・参院第1委員会室(酒巻俊介氏撮影)

これは、国会に入った菅直人首相=21日午前、国会内(酒巻俊介氏撮影)

いずれも産経ニュースのウエッブからお借りしました。

みなさんはこれらの写真をご覧になっていかがお思いですか。

上の写真などは目が座って正気とはいえないように感じます。
下の写真はぶてぶてしく居直っており、閉じこもっている感じです。

さて、嘘を見破るライ・トゥ・ミー(Lie to me)のカル・ライトマン博士なら
この写真から何を読み取るでしょうか。そして、どう行動するのでしょうか。

また、人の心を読むメンタリストのパトリック・ジェーンならこの写真から
何を読むとるのでしょうか。そして、どう行動するのでしょうか。

この二人にはトモダチ作戦で、協力してもらいたいですね。
そして、読み取ったところを、その結果を受けて解決のためには
何をいかになすべきかを日本国民にアドバイスしてもらいたいですね。
そんなことは不可能なことはわかっていますが、
今、日本で進行していることは、他の国では、実際に起こることなど
あり得ないことですから、ドラマと混同してしまいました。

カル・ライトマンでなくても、パトリック・ジョーンでなくても、
官氏が正気を無くしていることは、誰の目にも明らかですよね!!
ただ、彼らは、実際に行動を起こして、みんなが不可能とおもうことを
解決してしまうのです。
これは見習いたいですね。

日本全体が機能不全を起こしています。
ここで、一人ひとりが声をあげて日本を変えなければ、確実に
日本は沈没します。
カル・ライトマンやパトリック・ジョーンになったつもりで、解決のために
行動をおこしましょう。


各地で今年初めての猛暑日、都心も真夏日

2011年06月23日 | 東日本震災
22日、梅雨の晴れ間となりましたが、暑いです。
気象情報では、群馬県館林市で36・3度(午後3時現在)を記録するなど、
各地で今年初めてとなる35度以上の猛暑日となったとのこと。

また、東京都心も今年初めて30度以上の真夏日となったようです。
30度と聞くと、急に暑く感じますが、
節電意識がDNAにしっかりと組みこまれたせいか、
エアコンをつけたいとは思わないです。
思いというのは怖いですね。
今はまだ6月です。これからの暑さを考えると、
耐えられるかどうか心配ですが、やるしかない。
日本の国際競争力を落とさないためにも、節約できるところは節約し、
計画的、効率的な電力の使い方の策定、指導をきちんとしてほしいです。
民主党お得意の口先政治だけはしていはいけません。
節電大臣のなんとかさん、泥をかぶる覚悟でなければできませんよ。
政治家や大臣には優秀でなくても国民のためにやる気がなくても
ちょっといいことをテレビで言えば誰でもなれます。この日本では。
国民はみんな真剣です。
そういう国民の犠牲にむくいるよう、頭を働かせ、あるいはせめて
汗を流して頑張ってほしいです。
まずは説明をすることです。
そして想定外という言葉は、使わない覚悟をしてください。
そうすれば、もう少し真面目に仕事をするのではと思います。
説明責任を果たすことです。これがきちんとできれば、今より
各段に政治は良くなるはずです。
                                    

今日はうきうき気分です

2011年06月22日 | 日記

気持ちなんて何もなくても変わるものらしい!

つまらないことが少しづつできたからかも??

たとえば、どういうわけか、シャープの芯が代えられなかったのが
できた!!(そんなこと子供でもできる!アホかいな、と言われそう)
でも、ほんとです。

ドル決済なんていうのも初めてした!!

ドコモのモバイルWIFIを導入した!!

どっていうことはないことばかりですが、ずーと気になっていたことでした。
それ以外にもあったような気がする。でも内緒です。

何でもいい、簡単なことでいい、でも、懸案事項に終了済みのチェックがつくと
気分的にすっきりです。

ということで、今日は走ろうかな?

                                                             


判事ディード法の聖域 Exacting Jastice と日英の法律的考え方

2011年06月21日 | 判事ディード 法の聖域

これはパイロット版です。
BBCでは2001年1月放送です。

「Exacting Jastice」はどう訳すべきかわかりませんが、
具体的な事件での正義というのは本当に判断困難ですが、
このシリースでディードのやろうとしていることです。
「正義とは何か」とでも訳すべきでしょうか。

ディードはまだ刑事弁護人としての考え方から抜けきれていない
ハイコートジャッジです、
一人娘のチャーリーは法学部に入学したところです。
ディードは離婚後シングルファーザーとして、チャーリーを育ててきました。
ディードの勤務地はサセックスなので、チャーリーはサセックス大学を選んだ
ようですが、母親のジョージと母方の祖父のチャニング(Law Lord)は
オックスフォードにしなかったが気に入らないと口もきいてくれないようです。

マイケル・ニヴァン判事は、いつもディードに同情的ですが、
そのニヴァン判事が
「法廷に入るのが待ち遠しいと感じていた時期があった。
法律に従い、物事を正して、結局、ケイオスに終っただけだ。
今朝から始まる事件もいやなものだ。
終身刑になどしたくない。
でも法律ではしかたがない。
それにLCD(ディードがいつも戦っている司法の総合監督部門)がいろいろと
ちょっかいを出してくる」などと愚痴を漏らしています。

イギリスでもこのころから司法改革の流れが現実的なものとなってきました。
制度は勿論のこと、価値観も大きく変わってきました。
これまでの法律では律しきれない事件が多くなってきたのです。
国民感情との乖離が、出世や自己保身にしか関心のない人は別にして
良心的な裁判官には、もはや我慢できないほどになっていたのです。
ただ、自ら声をあげて立ち上がるほどには勇気はないのでしょう。
だからディードのような一匹狼的な切れもの判事は、外はもちろん
内部関係者でも共感を呼ぶものがあったのです。

パイロット版では、時代背景がわかるようになっています。

さて、ニヴァン判事が負担を感じていた刑事事件を結局ディードが担当することに
なったのです(ニヴァン判事、病気で倒れる。心労のためかも)。
すんなりとそうなったわけではありません。
序列からいうとディードの番ですが、LCD(the Lord Chancellor's Department)
は、ディードをコントロールできないことはわかっていますから、
他の軽い事件を割り当てようとしますが、ディードはこういう企みがわかると
絶対に引きさがることはありません。
記録を隠してしまったりしますが、ディードは、記録などなくても構わないと
強引に裁判を初めてしまうのです。

刑事事件の内容
ひき逃げの死亡事件を起こしながら実刑になることなく釈放された加害者を
被害者の女の子の父親が射殺した事件で殺人罪に問われているもの。
被告人の父親に世論は同情的です。
ひき逃げの加害者は白人、被害者は黒人。
人種差別だとして、法廷の外では抗議の座り込みデモ。
LCDは、報復事件の連鎖を防止するために前例として、被告人の父親の
厳罰を求めています。
ニヴァン判事にも巧妙な方法でそういうプレッシャーがあったのです。

イギリスでは、殺人にはマーダー(murder)とマンスローター(manslaughter)
の区別があります。
Murderは殺意あるいは重大な傷害の故意がある場合で、終身刑しかありません。
Murderではなくmanslaughterになる場合として、Provocationという抗弁があり、
殺された被害者にprovocative(挑発的な)な行為があったと認められたときは、
一時的に我を忘れたということで軽い殺人となるのです。
manslaughterの場合の量刑は、極めて広く、身柄拘束なし(non-custodial)の判決
も可能なのです。
問題は、Provocationの成立要件です。
つまり、合理的な人間が、突然に、一時的に自己のコントロールを失い、殺してしまいたい
という強い思い(殺意)を持つほどの行為が殺された者にあったこと、つまりトリガー
ですが、の存在が第一要件なのです。
ところが、この場合は、先の交通事故の判決と本件殺人事件との間に4カ月の
ギャップがあったということです。
娘を殺しながら実刑にもならず軽い刑で済んだ、そういう怒りを持って殺すことはあるかも
しれないが、それにしても4カ月は長すぎるというわけです。

それと、この犯人は真面目な人ですが、娘の事故の後、ショットガンを購入して
いるのです(銃の所持については許可があるので、合法です)。
銃の許可申請は判決の前です。銃の所持の許可がおり、銃を購入したその日に
殺人は起こっています。
殺そうという意図があって銃を所持許可、購入をしたのではないかということも
争点になっています。こうなると、Murderしかないし、極めて悪質となり、
社会の秩序維持の観点からLCDが厳罰を希望するのはもっともとなります。

事態を難しくしているのは、被告人の父が、ショットガンで射殺したことだけを
認め、詳細を話さないことにあるのです。
なお、弁護人はジョーです。
なにがトリガーだったかが、Provocationの主張には必要ですが、
本人が語らない以上、推測するしかないのです。

第三者的にみると、軽い刑で済んだことがトリガーとしか考えられません。
そうすると、4か月もたってわれを忘れるほどの怒りとして爆発するメカニズムの
説明が必要です。
この被告人は、娘が死亡してから人が変わり、仕事はしていますが、
外の世界には全く関心がなくなったのです。
仕事もロボットのように機械的にこなしているだけというのです。
でも、弱いですよね。

ディードは例によってなんとかしたい、できればnon-custodialにしたいと、
検事側、被告人側を説得しようとしますが、検事側は譲歩しないし、
弁護人側も、本人はどうでもいい、生きていても仕方がないと、裁判の行方には
全く関心がないので、そもそも話し合いなどできません。
ディードは被告人に証言させるようにジョーを説得しますが、ジョーもお手上げです。

陪審員の評決はmurderです(10対2)。
LCDの役人も法廷に詰め掛けています。
ディードは、被告人は何か言いたいことがあるはずとの考えでした。
そこで、判決を言い渡す前に(終身刑しかないのですが)
何か話したいことはないかと問いかけます。

クライマックスです。
被告人が立ち上がり、話し始めます。
彼もシングルファーザーでした。妻を亡くした時、まだ小さい4歳のモナを
福祉局の職員は父親一人で育てるのは無理だとして、里親に出そうとした、
でも自分たち二人でやっていけるということで、いろいろ抵抗して
そうなった。
そして二人で頑張ってきた。
だから、娘が死んだ後はうちに帰るのも怖い。モナの思い出の品ばかりで
思い出すのが怖い。だから、帰ったことはないというのです。
いつかは死んだお母さんの故郷のジャマイカに
帰ろうと預金を始めた。お金が残れば全部郵便局に預金した。
264ポンドたまった。でもまだ40ポンド不足している。
目標額になる前に死んでしまった。
そして、運命の日です。
モナを引き殺した本人が同じローリーで、何事もなかったかのように
運転しているのを見たのです。
ショックのあまり路上に座り込んで泣き崩れてしまったというのです。
そして、何としてもモナが殺されるのをやめさせなければいけないと思って
ガンを発射したというのです。
「モナが殺させるのをストップしたかった」というのです。

彼の中ではまだモが生きているのです。

陪審員席がざわざわします。無罪だ、間違っていたなどです。

ディードはこういう雰囲気を読むのがうまいのです。
そして恐れず行動するのです。

ディードは「ひょっとして今の話を聞いて何かいいたいことありますか」
陪審長「私たち間違っていました。変えてもいいですか」
検察側は反対の意見を、例によって判例を取り上げて、述べようとしますが、
ディードは強引に抑え込み、
間違っているかどうか確かめるだけだ、とかなんとか言って、
書記官にもう一度評決をとるよう命令します(本当に命令です。
というのはこの書記官はLCDの手先・スパイなんです。
逐一、ディードの行動を報告しているのです。)

なんということでしょう。
無罪の評決です。
ディードもここまでは考えていませんでした。manslaughterとの考えでした。
念を押しますが、not guiltyです。
つまり、陪審員は一時的なものではなく、ずっと正気をなくしていたとの
判断だったのです。

間違いは正せるとの先例はあるのですが、いったん出された評決を変えるという
先例はないようです。
検事側は「評決が出た後、被告人の話を聞いて、変えた」のであり、先例に該当しない
という意見です(多分これが正しいでしょう)が、
ディードは誰にでも間違いはある、間違いと認めて、無罪を受け入れます。
世間では大好評で受け入れられます。

手続き的には問題かもしれませんが、ディードの判断基準は、正義ですから、
真実が一番重要なわけです。

このドラマは常時、600~700万視聴者がいました(人口数を考えると
日本では1200~1400万人が見ていたことになります)。
イギリスでも杓子定規でない、人間味のある裁判を、多くの人が求めている
ことの表れと思います。

私たちももう一度、正義とは何かを、改めて真剣に考えなければならない
時期だと思います。

なお、一連の司法改革の一環として、Provocationという抗弁事由は、
2009年法律改正により廃止されました。
「loss of control」というより概括的な概念に置きかえられました。
イギリスは判例法の国ですから、こういう展開しかなかったのでしょうが、
今では、判例法の国でも制定法が重要な役割を担うようになっています。

外国の事例をみると、スタート地点は違っても、目指すところは同じ(類似)
になるようです。
グローバル化してくると、求めるもの、求められるものがどこに住んでも
似通ってくるのは、当たり前なのでしょう。

パイロット版でも、ディードに対する嫌がらせはありますが、
これはまたの機会にします。