ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

群馬アトム 鉄腕だ

2011年09月22日 01時57分59秒 | 障害者の自立
 県内で唯一活動する軟式の障害者野球チーム「群馬アトム」が全国大会出場をかけ、24日に伊勢崎市で行われる関東甲信越身体障害者野球大会に出場する。群馬での開催は5年ぶり。選手は「優勝が絶対」と意気込んでいる。


 障害者野球は、盗塁やバントがないことを除けば一般の野球とルールはほとんど同じだ。


 群馬アトムには群馬のほか東京都、栃木県などから16~70歳までの選手27人が所属。腕やひざ下の切断、事故による半身のしびれなど、全員が身体や聴覚に障害がある。


 群馬アトムは、年に1度の関東甲信越大会で2連覇中。同大会で優勝すれば秋の全日本選手権大会と、来春の選抜全国大会への出場が決まる。準優勝なら選抜大会のみ出場できる。


 大塚光彦監督(56)によると、「全員で力を合わせて鉄腕アトムのような馬力を出す」という理念がチーム名の由来。2003年3月に結成され、これまでに2度、選抜大会で準優勝を飾るなど全国でも上位に入る強豪チームだ。


 生まれつき右手の親指と薬指がない中堅手の後藤陽輔選手(26)=高崎市=は、左手のグラブでボールを捕った後、グラブを素早く右ひじに挟み、ボールを左手に持ち替えて投げる。


 後藤さんは小学5年生の頃、地元の野球チームで野球を始めた。群馬アトムには5年前に入団し、今は俊足堅守の中心選手だ。


 昨年11月に神戸市で開かれ、日本、韓国、台湾、米国が参加した世界身体障害者野球大会では、日本代表として2試合に先発。チームの優勝に貢献した。


 後藤さんは「地元開催の大会には特別な思い入れがある。実際に試合を見てもらう良い機会なので、必ず優勝して障害者野球の魅力を伝えたい」と話す。


 関東甲信越大会は24日午前9時から伊勢崎市のあずまスタジアムで。群馬アトムは午後0時40分ごろからの第3試合に出場する。


返球する後藤陽輔さん(左)。捕球と返球をともに左手でこなす=玉村町角渕

朝日新聞


東日本大震災:あと少しの支援あれば 元養護学校校長、被災の障害者調査 /福島

2011年09月22日 01時52分27秒 | 障害者の自立
 ◇身障手帳所持、102人死亡

 元養護学校校長が、東日本大震災による障害者の被災状況の実態調査を進めている。県沿岸部の津波被災地を中心に足を運んで31人の当事者や家族から聞き取ったところ、人工呼吸器を装着しているため避難に手間取ったとみられる障害者や、スロープがないため逃げ遅れた可能性のある車椅子利用者がいた。自治体への調査では、身体障害者の死亡率はそうでない人より3割高かったといい、「あと少しの支援があれば。教訓を生かしたい」と切実な思いを語っている。

 調査しているのは、00~03年に県立平養護学校校長などを務めた県点字図書館(福島市)館長の中村雅彦さん(65)。震災後、教え子の安否確認を進めるうち、「ささやかな幸せを感じていた人たちの日常がなぜ奪われたのか」との思いに駆られ、調査を始めた。

 教え子のほか、各地の民生委員らを訪ね歩き、視覚障害8人▽聴覚障害5人▽知的障害9人▽自閉症3人▽車椅子利用6人--の10~80代計31人の状況を調べた。このうち知的障害者3人と車椅子利用者2人が亡くなっており、中村さんは家族らの話から「津波が原因だった」とみる。

 車椅子生活だったいわき市の30代男性は、親族が助けに向かったが、目前で津波にのみ込まれた。重さ約4・5キロの人工呼吸器を付けていたが、近隣住民には障害が重いことを知られておらず、避難に手間取ったようだった。同じく車椅子を利用していた浪江町の60代女性は夫の留守中に津波にのまれ亡くなった。夫は「高さ約40センチの玄関から外に出るスロープがなく、戸惑っている間に津波が来たようだ」と涙をこぼしながら語った。

 知的障害がある相馬市の10代男性も、津波の犠牲になっていた。母親によると、いつも一緒にいる祖母が道路に散乱した屋根瓦を片付けていたため、逃げずに自室にとどまったという。中村さんは「軽度の知的障害者は自分で買い物をしたりできるが、災害時に自分で判断して避難するのが難しいことを改めて痛感した」と唇をかむ。

 中村さんはまた、県社会福祉協議会と共同で、新地町からいわき市まで県内沿岸10市町に、身体障害者手帳を持つ障害者のうち、6月末時点での震災死者数や障害の種別を尋ねた。

 10市町の昨年10月時点の人口は52万7639人で、震災死者は1673人。身体障害者手帳の所持者2万5577人(昨年4月時点)のうち亡くなったのは102人。死亡率は0・40%で、持っていない人の0・31%の1・3倍だった。102人の内訳は身体障害60人▽内部障害(心臓、腎臓、呼吸器の疾患など)26人▽視覚障害10人▽聴覚障害6人。このほかに知的障害者9人と精神障害者7人も死亡していた。

 調査は今も続けており、「障害者がいる家庭に普段から声をかけるなど支援システムの構築が急がれる」と中村さん。「知的障害者に小さな時から『海のそばにいて地震があったら津波が来る。すぐ高台に逃げて』と繰り返し教える必要がある」と悔やむ。調査結果をまとめて、教育、行政の現場で共有したいという。

毎日新聞 2011年9月20日 地方版


信じる障害児教育 先駆者、故田村さんの業績紹介 滋賀

2011年09月22日 01時50分35秒 | 障害者の自立
 知的障害児らの福祉施設「近江学園」を設立するなど、障害児教育の先駆者として知られた故田村一二(いちじ)さんの書画や関連資料、教え子の作品を集めた展示「田村一二と一麦寮(いちばくりょう)展」が、滋賀県湖南市東寺4丁目の「じゅらくの里」で開かれている。

 主催する田村一二記念館の代表、吉永太市さん(79)は「田村さんは感性豊かな作品で子どもたちを刺激し、成長のきっかけになった」と振り返る。10月30日まで。

 田村さんは1933年に京都府師範(現京都教育大)図画専攻科を卒業。この年に赴任した京都市の小学校で障害児教室を担任したのをきっかけに、障害児教育に力を注いだ。

 46年には故糸賀一雄さんらとともに近江学園を設立。61年、知的障害児を対象にした「一麦寮」を大津市に創設し、寮長を務めて子どもたちと寝食を共にした。晩年は、障害者と健常者がともに暮らす「茗荷(みょうが)村」運動に取り組み、95年に旧石部町(現湖南市)で亡くなった。

 会場には湖南市や関係者が所蔵する、田村さんの描いた絵画や書、著作のほか、一麦寮の寮生らが作った陶器の作品などを展示。田村さんが子どもたちの誕生会のために描いた紙芝居「さるかに合戦」や河童(かっぱ)を描いた軸など、「誠実で人間的魅力にあふれていた」という田村さんの人柄が伝わる約50点が展示されている。

 会場では、当時の一麦寮の職員で、田村さんと共に障害児教育に携わった吉永さんや伊藤郁雄さん(74)が来場者を案内する。

 伊藤さんは「子どもたちの自主性を重んじ、寮長としてではなく、常に一人の人間として接した人だった。子どもたちのために信じる教育活動を貫いた田村さんの活動を見てほしい」と話した。

 無料。月曜休み(祝日の場合は翌日)。問い合わせは吉永さん(0748・72・8286)。

朝日新聞

防災講座:視覚障害者向けに50人 熱心に耳傾ける--世田谷 /東京

2011年09月22日 01時48分37秒 | 障害者の自立
 ◇「自分の身は自分で」

 「防災月間」の9月に合わせ、目の不自由な人にも災害に備えてもらおうと、世田谷区の総合福祉センターで19日、視覚障害者向けの防災講座が開かれた。約50人が参加し、「災害の時は、自分の身は自分で守らなければならない」と訴える講師らの話に熱心に耳を傾けた。

 講座は都の事業として毎年実施されており、今年は災害に備える具体的な方法が重視された。区職員らが講師となり、阪神大震災では、道路の陥没や家屋の倒壊、火災などがあり、消防などの公的機関が助けられた人はわずかだった、と指摘。「いざという時、消防隊は助けに来てくれません。住宅の耐震化や家具の転倒防止対策で自分の身を守り、地域の人と関係を築いておきましょう」と呼びかけた。また障害者に配慮した「第2次避難所」の場所を調べておくことも重要と助言した。

 一方、日本盲人会連合の笹川吉彦会長(77)は東日本大震災の被災地の現状を報告。「被災地には約2万4000人の視覚障害者がいたが、会員は約1700人だけ。会員はすぐに安否確認できたが、非会員には支援や情報が届かなかった。組織の力を痛感した」と語った。

 会場ではラジオやヘルメットなどの防災グッズが紹介され、参加者は実際に手にとって使い方を試した。盲導犬と暮らす同区の豊田悠子さん(70)は、トイレ代わりに使えるシートや緊急時に助けを求めるホイッスルを購入。「避難所生活は大変と聞いて関心を持って来た。飲料や食料の備蓄にも取り組みたい」と話した。

 NPO法人「世田谷区視力障害者福祉協会」理事長で全盲の梅崎浩さん(65)は「視覚障害者は自分で自分の身を守る意識が薄く、誰かが助けてくれると思いがち。今後もこういう機会を設けて意識を高めたい」と話した。

〔都内版〕毎日新聞 2011年9月20日 地方版




働く障害者の力に/学生服リユース店が作業外注

2011年09月22日 01時46分09秒 | 障害者の自立
 子育て中の母親たちが経営する学生服専門のリユースショップ「さくらYa」(香川県高松市上之町)が、障害者の就労支援施設と仕事の提携事業をスタートさせた。店で買い取った体操服のネーム刺しゅうを外す作業を、施設に外注するという取り組み。オーナーの馬場加奈子さんは「障害者が携わる仕事が増えるきっかけになれば」としている。

 同ショップは、転勤や子どもの成長期で何度も制服の買い換えが必要な家庭を応援しようと1月に開店。馬場さんの長女が施設を利用していることもあり、障害者の就労支援に役立ちたいと事業を考案した。

 今回、仕事を受け持つのは就労継続支援B型の「やったーまん!!」(高松市上天神町)。施設では名前が入ったままでは売り物にならない体操服の刺しゅうを一つ一つ丁寧に取り外し、洗濯までを担当する。

 作業に当たっている山下直明さん(19)は「根気がいるけど全部とれると達成感がある」、西宇すみれさん(21)は「いろんな人に買ってもらいたい」と仕事に励んでいる。

 「刺しゅうを外すのは手間と時間がかかるので大変助かる」と馬場さん。一方、施設の亀山輝美副理事長は「新しい仕事をいただけることは利用者のやる気にもつながる。商品陳列や売り子もさせてもらえれば」とさらなる展開に構想を膨らませている。


体操服のネーム刺しゅうを取り外す作業に取り組む山下さん(左)と西宇さん(中央)ら=香川県高松市上天神町

四国新聞