TSUTAYAの映画クチコミ・レビューのMYUSUKEの書き込み、
切ないでしかない。
どうしようもできんこの感じ、凄い悲しかった。
母親が森に置き去りにするとこで、涙腺崩壊。
みんなが公開処刑されるシーンは心が痛い。
とにかく泣いた。
が、映画『A.I.』の感想にもっとも適切だ、と私は思う。
主人公デイヴィドに自分を投影できるか否かで、この映画の評価が大きく変わる。あまり、予備知識をもたずに、この映画を見る方が良い。
私は、初めてこの映画を見たとき、映画の始まりの部分を見損なったので、なぜ、ディヴィドがこんな理不尽な目に合うのか、わからなかった。
また、ディヴィドが、何度も、自分がユニーク(unique)だね、と、周りに尋ねるのが、記憶に強く残った。
ディヴィドが、なぜ、兄弟のマーティンに意地悪をされるのか、なぜ、子どもたちに仲間外れにされるのか、母モニカに愛されているのに、なぜ、森に置き去りにされ、逃げまわらなければならないのか、なぜ、自分やロボットたちが、処刑ショウで、人間たちに なぶり殺されなければならないのか、私は わからなかったのだ。
ディヴィドがロボットであることを受け入れるのに、私は時間がかかった。
後半では、ディヴィドは、ロボットであるから母モニカと別れなければならなかったと思い、人間にしてもらおうと、ピノキオの物語の「青の妖精(The Blue Fairy)」を探しに、熊のぬいぐるみのテディとセックスロボットのジゴロ・ジョーと、長い冒険の旅にでる。
「ユニーク」という語が、かくも、人と物を峻別する語であることに、かくも、本当に愛されているのかを確認する語であることに、この映画で衝撃を受けた。
ユニークとは、「掛け替えのない大切な存在」という意味なのだ。物は古くなると捨てられ、ごみ処理場で粉砕される。人は、秀でていなくとも、役にたたなくても、捨てられては いけないのだ。愛されるとは、愛する人にとってユニークなものなのだ。
ユニークという語にそんな重要な意味があると、私は、これまで気づいていなかった。
アメリカの精神医学会の出している診断マニュアル5版(DSM-5)に、パーソナリティの機能モデルがでている。この機能が失調したとき、パーソナリティ障害と診断する。この機能は4要素からなっており、その1つ、「自己(self)の同一性(identity)」の説明にユニークという語が出てくる。
問題の英文は、次である。
“Experience of oneself as unique, with clear boundaries between self and others. ”
この部分は、日本語訳DSM-5(医学書院)では、次のように訳されている。
「ただ1つだけの存在として自己と他者との間の境界もって自身を体験すること」
私は、この文を読んだ後、長らく、しっくりとこなかった。しかし、映画『A.I.』を見て納得がいった。「自分(oneself)が掛け替えのない大切な存在(unique)であることを日々の生活のなかで感じること(Experience)」を言っているのだ。
この映画が切ないのは、ロボットのテディやジゴロ・ジョーが命がけで献身的にディヴィドを愛しているのに、ディヴィドは気づかず、人間になって、母モニカに「ただ1つだけの存在」として愛されたいと願うことだ。母モニカを恋人に置き換え、ロボットを非白人、民、あるいは、障害者に置き換えれば、いかに切ないか、「どうしようもできんこの感じ、凄い悲しかった」と叫ぶしかないか、わかってもらえるだろう。