何日か前の朝日新聞《ひもとく》に、宇野重規が『自明性を失う「保守」と「革新」』という題の小論を寄せた。
1967年生まれの彼の論点は、「保守」と「革新」の政治的対立軸が今なお有効性をもつが、「革新」とは「変化」を推進するということであり、その意味で、若者にとっての「革新」は日本維新である、というものである。
いっぽう、3年前に、朝日新聞の《論壇時評》に、1962年生まれの小熊英二は、若い世代に「保守」「革新」の政治的対立軸は理解されなくなった、という小論を寄せている。
1947年生まれの私から見ると、「保守」と「革新」は新聞用語であって、昔から、そのような政治的対立軸はなかった。学生運動のアジビラに「保守」や「革新」という言葉はなかった。
私の子ども時代の対立軸は、「経営者/資本家」対「労働者」であり、「政府」対「労働組合」であった。ストライキもバンバンあった。これが、私が大人になったころ、会社が「第2労働組合」を作り、政府が「労働組合」つぶしを全国的に行った。
最初は、政府は、エネルギー転換を名目に、日本の炭鉱を全国的に閉じた。そして、最強の炭鉱組合が職場を失い、解散に追い込まれた。
次に、日本国有鉄道(国鉄)の民営化を強引に行い、4分割されたJRが国鉄職員を再採用することで、組合員を排除した。
ストライキはいけないことだというキャンペンを政府が行った。
私の世代が就職するころは、民間会社の労働組合つぶしは激烈を極め、労働運動する職員は、「追い出し部屋」に集められ、自分はバカだとか、自分は死ぬしかないとか、無理やりに書かすことが行われた。
この時代を知らない若い世代は、労働法が労働者を守ってくれるはずだ、と思うかもしれない。政府が一丸となって労働組合つぶしをやっているから、行政は労働者を守らない。頼みの綱は裁判所だが、裁判は長期的になる。裁判所の人たちも、政府と労働者の争いに参加して自分の立場を明らかにしたくないから、よけい、長期的になる。解雇された組合員は貧乏人だから、長期的な裁判に耐えられない。
「保守」と「革新」の対立軸とか新聞が言っている間に、労働運動がつぶれてしまったのである。
労働運動の実体がないのに、それでも日本社会党がもったのは、日本の左翼は孤立していない、ソビエト連邦や中共や北朝鮮があるではないか、という幻想である。
1991年のソビエト連邦の崩壊で、日本社会党も崩壊の道をたどった。私は、ソビエト連邦の崩壊はアメリカ政府の陰謀ではないかと思っている。しかし、幻想に頼っていてはいけない。
もっと悪いことは、小・中・高教育機関が政府に完全に抑え込まれたことである。「日の丸」をかかげ、「君が代」を歌い、よく服従し、集団規律を守り、しかも、日本の会社が国際競争に勝てるための、愛国的で成績優秀な労働戦士になる、異常な教育が全国の学校で行われた。
だから、日本維新がもっとも「革新」だと若者が思っても、私は不思議と思わない。ネット右翼に走る若者も、日本維新に走る若者も、人間は過去に頭に叩き込まれたことで行動するから不思議ではない。
私は、逆に、政府がこのような完璧な左翼封じ込めを行っても、まだ、政府がとりこめていない若者や大人がいることに希望をもつ。
「保守」か「革新」かを対立軸にするのではなく、左翼の原点、「自由」「平等」「愛」「民主主義」を打ち出し、逆襲するときがきたと思う。「自由」がないから、人々がうつになったり、ひきこまりになったり、する。「平等」がないから、生活にことかき、生産力過剰の不況になる。「愛」がないから、孤独になり、無差別殺傷事件が起きる。「民主主義」体制なのだから、まず、投票で力を示そう。