きょうの朝日新聞《多事奏論》で、編集委員の高橋純子が『「議論」という言葉 首相の「売り文句」を奪い返せ』という小論を書いていた。
わかりにくいタイトルだが、高橋純子の要旨は、安倍晋三が
「新しい時代の憲法のあるべき姿について、議論することは私たちの責任ではないでしょうか。しっかりと議論することは私たちの責任ではないでしょうか。しっかりと議論をするのか、議論しないのか」
と参院選で言いまくっていることに対して、議論をさけているのは、安倍晋三ではないか、ということだ。
安倍晋三は、相手が反論できない場で、一方的に言いまくる。憲法9条に自衛隊を明記すると安倍晋三が国会の外で言ったことを、国会で質問されると、行政の長であるから、意見を言うことはできない、と拒否した。
安倍晋三は議論を事務的に下の者にやらせ、手続きを踏んだから採決しよう、という態度にでて、議論にならない。国会討論では正面から質問者に答えることはない。いつも、質問とは関係のない「持論」を話すことで、質問時間がすぎるようにしている。
日韓問題も、安倍晋三は議論を拒否している。
韓国内の裁判を無視し、ムン・ジェイン大統領に圧力をかけるが、会談は行わない。7月12日に課長級の会合を「輸出管理に関する事務的説明会」という日本語だけの紙をホワイトボードに貼り、わざわざ雑然とした部屋で行う。あきらかに、韓国が下で、日本が上だという、態度をとる。そして、韓国側が「輸出規制」の撤回を要請したのに、「事務的説明会」であって、要請を受けていないとする。
これが安倍晋三の実像なのである。「しっかりと議論をするのか、議論しないのか」と一方的言いまくり、議論をさけるのである。
現状では、天皇制を廃止する以外、憲法を変える必要がない。安倍晋三は議論に応じず、手続きを踏んだから採決しようとする。これでは、自民党が過半数割れしない限り、まっとうな議論にならないのだ。
安倍晋三信者たちは、かれのことを「理想を求める熱意の人」、「自分の言葉でわかりやすく語る人」、「反対があっても強い信念持ち続ける人」というが、次々とキャッチコピーをくりだす安倍晋三のことが気持ちわるくないのか。「反対があっても強い信念持ち続ける人」とは、「妄想にとらわれている人」か「強固なペテン師」かのことに気づかないようである。
「闘う政治家」であること、強権的であることは、決して、リーダーシップを発揮していることではない。強権的であることは、自分の欲得に、迷わず、ばく進するためである。だから、安倍晋三の発する「甘い腐敗の香り」に、いかがわしい者どもや、劣等感のかたまりが、集まるのだ。