猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

津久井やまゆり園の46人殺傷事件から3年、心に広がる波紋

2019-07-26 21:23:55 | 津久井やまゆり園殺傷事件
 
きょうで、2016年7月26日の津久井やまゆり園の46人殺傷事件から、3年になる。裁判を行うという方針は2年以上前に司法関係者で合意されたのに、いまだに裁判が始まっていない。裁判は来年の1月だという。
 
6日前の立岩真也の朝日新聞の『《ひもとく》やまゆり園事件から3年 「生きる価値」の大切さ問う』がつくった小さな波紋が私の心に広がる。
 
人間の身勝手さ、わがままに もっと怒らないといけない。立岩の言うように、私たちは腰が「引けている」。被告だけでなく、施設に自分の子どもを預けたまま会いに来ない親に、予告があっても何もできなかった施設長に、にせの安全をテレビで広告していたセキュリティ会社ALSOKに、問題の本質に立ち入らないメディアに、福祉ビジネスに、安倍晋三に、社会に、怒らないといけない、という気持ちが沸き上がる。
 
単に、殺された障害者が かわいそうだけでは すまされない。
 
自分が動けなくなったとき、この子の介護を誰に託そうか、と悩む親の気持ちはわかる。子どものほうも親が死んだら自分が生きていけるのか、の不安のなかに暮らしている。親も子も悩むものである。
 
ところが、子どもが暴力をふるうから、と言って施設に預ける親がいるのに、びっくりした。私がもっていない自分の家をもっている。ピアノをもっている。海外旅行に行く。家を、グループホームとして提供したらどうなんだ。
 
みんなは、利用者が施設で外からカギのかかる部屋に閉じ込められていたのを知っているのか。施設の40歳になる大人の利用者には自由がないんだ。
 
どんなに立派でも大きな施設をつくっても仕方がないのだ。小さくて疑似家庭のようなのが まだ ましなのだ。
 
ALSOKのセキュリティがこけおどしでなければ、すぐに、警察が駆け付ければ、殺されたものの数は少なかっただろう。いなかったかもしれない。
 
精神科閉鎖病棟は、患者の人権を守るため、内部から外部への通報ができる。障害者施設でも、内部から外部への通報ができる必要があるのではないか。施設利用者は携帯をもっていたのか。あるいは、部屋に緊急連絡のボタンがあったのか。ALSOKの監視カメラは外だけで、内部になかったという。閉鎖施設には虐待が一般に起きる。監視カメラは内部にこそ取り付けるべきではないか。
 
施設の運営監視に、利用者の親の代表が参加していなかったのか。そもそも、利用者の親の会があったのか、なかったのか。
 
被告は安倍晋三の国家主義思想に影響されたことはないか。安倍晋三は、『美しい国へ』(文春文庫)で、若者が「享楽的」「刹那的」だと非難する。「大義に準ずる」ことを求める。「批判されても信念にもとづいて行動する」ことを求める。まさに、被告は、予告をして、確固とした信念をもって46人を殺傷した。強い者のために、弱い者を憎み殺した。障害者に声をかけて、その反応で殺すべきか否かを判定したという。まさに、国家主義思想の信者ではないか。
 
裁判が始まるか始まらないに かかわらず、裁判が裁き切れないものを、私たち自身で裁くべきだ、という声が心のなかに起きる。