猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

立岩真也の小論と石川健治の書評、朝日新聞の読書面

2019-07-20 21:17:51 | 思想


きょう、7月20日の朝日新聞の読書面はひさしぶりに硬質な書評であふれた。ここでは、そのなかで、立岩真也の小論と石川健治の書評を取り上げる。

立岩真也は《ひもとく》の欄で『やまゆり園事件から3年 「生きる価値」の大切さ問う』というタイトルで、『妄信』(朝日新聞出版)と『開けられたパンドラの箱』(創出版)とが「(腰が)引けている」と批判し、『生きている!殺すな』(山吹書店)を薦める。

立岩の文章は私にはわかりにくい。

解釈するに、「(腰が)引けている」とは、「生きてよい人/死ぬべき人を分けるのはなぜか言ってみろと詰問」しなかったことをさしているのだ。やまゆり園事件の被告は「ある人たちを生かしていくと社会はやっていけない」と思っていると、立岩は推量する。もうひとつの立岩の疑念は、重い障害者には生きていて楽しいことはないのだ、と、これらの本の書き手が心の奥で思っているからではないか、のようだ。楽しくあろうが、なかろうが、人は生きていく権利があるのだ。

私は、「やまゆり園事件」を頭のおかしい被告の犯行と考えないことに賛成だし、他人が人の生死を決めていけない、と思うし、人の生は、楽しいことがなくても、生きていく価値がある、と思う。

石川健治の書評は、さらに、わかりにくい。彼の場合は教養が吹き出てコントロールがきかないからだ。もっと、書くスペースを彼にあげなければ、気の毒である。

石川は、中村稔の『高村光太郎の戦後』(青土社)を取り上る。高村は、智恵子抄で有名なように、智恵子との官能的愛を歌い上げた詩人である。が、真珠湾攻撃の一報を聞き、「天皇あやふし」「私の耳は祖先の声でみたされ」、「個としての存在」から「共同体精神の卓越した表現人」として、戦争を鼓舞する詩を書いたという。

92歳の中村は、「共同体精神」に自己の魂がへし折られた高村が、表現人としての戦争責任から逃げず、「民衆」に分け入ることで「自主自立」の精神を再建したことに焦点をあてて、高村の戦後7年の独居生活を書いている。 

無責任2枚舌の岸信介や被害妄想のチャラチャラ安倍晋三とまったく違った「誠実さ」をここにみる。

『高村光太郎の戦後』(青土社)を、ぜひ、読んでみたくさせる石川の書評であった。

安倍晋三とその信者の研究――その2、年金問題

2019-07-20 10:06:09 | 安倍晋三批判

安倍晋三の『新しい国へ―美しい国へ 完全版』(文春新書)について、読書メーターの感想文を読むと、感想文の多くは、「自分の言葉で語ってわかりやすい」と本書をたたえている。

じつは、本書は「第6章 少子国家の未来」のかなりの部分を年金問題に費やしているが、読んでみても、何がなんだか、わからない。こうすれば、だれだれに不公平となり、ああすれば、だれだれに不公平になる、だから、慎重に年金制度の改定を進めている、役人が抵抗している、と言っているようだ。

善意で読めば「誠実な人柄」、悪意で読めば弁解に終始しているとなる。

安倍晋三は、改憲や安保や軍備増強や韓国との外交においては「闘う政治家」であるが、ここでは「闘う政治家」ではないのである。

「年金問題で弁解に終始」していることで、安倍晋三を非難するつもりはない。ここでは、「国民」というものは利害の相対立する集団の集まりである、ということを彼自身が認めていると指摘したい。すなわち、「国家のために、国民のためとあらば」という彼の国家主義的な考えが破綻している。

7年前に、民主党から政権を奪取するために、自民党が使ったキャッチコピー「決まらない政治から決まる政治へ」は危険な誤りなのである。焦らず、利害を調整して、決めていくのが、まっとうな政治である。

しかし、長らく、自民党は官僚と結託して、年金制度を利用してきた、という事実には、安倍晋三が目をつぶっているのは、納得できない。何に利用してきたか、と言うと、それは経済刺激政策であり、国民の特定の層をターゲットにしたものであり、選挙対策なのである。

40年前にやっていたことは、積み立てた年金基金を、保養所などの建物や道路を建設するように、自民党政権が指導していたのである。すなわち、建築業界や土木業界にお金が回るようにしていたのである。

この問題を不問にするから、安倍晋三は新たな誤りを犯している。

すなわち、この6年間、安倍政権は、積み立てた年金基金を株価の維持に使っている。

昨年の3月末の時点で、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が保有する国内株の時価総額は40兆円で、国内上場株式全体の5%に達する。

さらに、ことしの4月に、会計検査院が、公的年金を運用する「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」のリスクの高い運用方法に対して異例の警鐘を鳴らした。

日刊ゲンダイによれば、次の指摘があったという。

「GPIFは、アベノミクスの一環として2014年10月にポートフォリオの見直しを行い、国内株と外国株の比率をそれぞれ12%から25%に引き上げ、全体の50%にした。その結果、18年10~12月期に、四半期ベースで14兆8039億円もの赤字を記録。150兆円資産の約1割が吹っ飛んだ。」

「会計検査院は14年以降、株式運用の割合が増加してリスクが上昇していると指摘し、所轄する厚生労働省やGPIFに対し、「国民への丁寧な説明が必要」との所見を示した。検査院は「年金は老後の生活設計の柱。積立金は国民から徴収した保険料の一部だ。国民の利益のため安全、効率的に運用し、将来にわたって公的年金制度の安定に資することが強く求められる」と指摘。また一部の投資手法について、手数料などが詳細に開示されていないとして、収益などの透明性を確保するように求めた。」

私は個別の運用の失敗を非難するつもりがない。

それより、政府による株価の誘導は必要なのか、選挙対策を目当てに株価の高値を誘導しているのではないか、無理な株価高揚は際限のない政府の株の買い占めにいたるのではないか、という危惧を私はもつ。安倍晋三はGPIFや日銀は政府から独立しているというが、彼は人事に介入してきた。

もしかした、安倍晋三は国家主義的世界観に酔っているから、自由経済より国家による統制経済が好きなのかもしれない。

いよいよ、安倍晋三が「闘う政治家」のよりどころとする改憲や安保や軍備増強や韓国との外交や自虐史観や教育について、議論をすすめないといけない。

(つづく)

【追記】
きょう、参院投票前日の演説で、安倍晋三は、年金問題の解決は景気浮揚しかないと言っていた。そんなことは『新しい国へ――美しい国へ完全版』にも書いていない。ペテン師の彼は「景気浮揚」しか、もう、言うことがなくなったのだ。

私は30歳前後カナダで4年間働いていて、そのあいだ、年金(pension plan)の掛け金をカナダ政府に納めていた。年金番号も忘れていたが、友人のアドバイスで、1年前カナダ政府に問い合わせたら、毎月、年金が送られてくるようになった。日本よりもずっと福祉に厚い国が世界にはあるのだ。