猫じじいのブログ

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安倍晋三とその信者研究――リベラルと国家主義

2019-07-18 20:01:30 | 安倍晋三批判

安倍晋三のコアな信奉者が国民のなかに少なくとも5%いると、この7月5日6日のTBSの世論調査から私は書いた。

ネットで、安倍晋三の『美しい国へ』や『新しい国へ―美しい国へ 完全版』(文春新書)の感想文を読んでみると、「誠実な人柄」と「清濁併せ飲んで堂々としてる」という矛盾した評が書かれている。

それで、自分自身で『新しい国へ―美しい国へ 完全版』を一度読んでみて、安倍晋三のコアな信奉者を研究する必要があると思った。

実際に読んでみて驚くことを発見した。本書をたたえる評の多くは、本書のはじめの数ページの言葉を単に引用している。すなわち、読む前から安倍晋三の信奉者であって、読んで信奉者になったのではない。安倍晋三は総理大臣だから偉いのである。

ナチスのアドルフ・ヒトラーの信奉者と比較してみよう。

ヒトラーは、演説でプロテスタントの説教の文句を利用し、その語句を巧妙に入れ替えることによって、コアな信奉者を獲得した。コアな信奉者にとって、ヒトラーは誠実で理想を求める殉教者に見えたのである。それにたいしてカトリック教徒は、ドイツ政府の長だから、政権を握ったヒトラーに従った。

面白いことに、ヒトラーが政権を握る前は、彼の著者『わが闘争』はほとんど売れなかった。政権を握ってから爆発的に売れたのである。ドイツでも著書を読んで信奉者になるわけではない。

安倍晋三の信奉者は、リベラルや進歩的知識人に反感をもっており、単純に、彼の国家主義的世界観に共鳴するのである。

人は、おもに記憶によって動く機械、泥人形である。自分の目で世界を見ない。自分の頭で未来を考えない。

日本には、まだ、昭和の初めに形成された国家主義的世界観が、戦後も、ひとびとの記憶の底に残っていたようだ。それを、自民党は掘り返し、復活させるために、「道徳教科」を小学校や中学校に導入した。

コアな安倍信者が国民の5%もいることは、自民党の陰謀が成功したのか、それとも、まだ不十分なのか。

自民党が国会での多数派を握り、安倍晋三が7年連続して自民党総裁の席にあることは、国家主義的世界観をかつぐ人たちの陰謀が成功していると私は思う。真剣に国家主義的世界観とたたかう必要がある。

安倍晋三の『新しい国へ―美しい国へ 完全版』(文春新書)は、その各ページが偏見とウソで埋め尽くされている。これから、2週間ほどかけて、それらを批判していくことにしよう。

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本書の第1章は、「リベラル」とはどんな意味であるか、で始まる。「定義」でなく、「意味」としているところが、巧妙である。目的は「リベラル」の否定なのだから、「定義」なんかどうでも良いのだ。

ヨーロッパの「リベラル」は「個人主義」にちかい意味合いで使われ、アメリカの「リベラル」は、社会主義、革命主義、左翼にちかい意味だとする。

ここで、「個人主義」「社会主義」「革命主義」「左翼」が悪だと刷り込まれている人には、「リベラル」が悪なんだと思うように仕組まれている。

「リベラル」とは、人は、ひとり、ひとりが自由なんだという考えのことである。「自由」は、「平等」「愛」と組になっていて、だれかの独占物ではない。「リベラル」は、アメリカでは、奴隷解放運動、公民権運動を結びついた。

自分だけの自由が優先するとなると「リバタリアン」となる。アメリカでは「リバタリアン」に宗教的根拠がある。プロテスタントの中でもゴリゴリのカルヴァン派になると、運がよい、恵まれているというのが、神に愛されている証拠とされるからだ。金儲けできていることが誇りとなり、生きがいとなる。不幸の人をみたとき、施すこともあるが、神に愛されていない人と見くだす。

安倍晋三は「個人主義」を悪い意味で使っている。

ところが、「自由」という考えの前提は、ひとりひとりが人間として尊重されねばならないという考えである。「個人」「個性」は同じ根っこから出た言葉で、「自己」がなければ「自由」を欲しない。

「個人主義」には、別に、悪い意味がない。

また、安倍晋三は「大きい政府」という言葉を悪い意味で使っているが、アメリカで、共和党のなかの特権層が、民主党を批判する時に使う言葉である。

「リバタリアン」から見れば、自分の税金が神に愛されない人に使われるのは不愉快である。だから「大きな政府」として、民主党を批判する。

ところが、社会的平等や公正の実現に政府が積極的に介入するのに、別に「大きな政府」が必要というわけではない。

公民権運動で、公共施設で黒人用と白人用とに分けるな、というのは、お金がかかる話ではなく、黒人も白人も個人として尊重するには、法律を制定すれば良いだけだ。

「リベラル」であっても「税金」を払いたくないという人がいてもおかしくない。「リベラル」と「無政府主義」とは矛盾しない。別の次元の話である。

なぜ、安倍晋三はデタラメをはじめに言う必要があったか。これは、祖父の岸信介や父の安倍晋太郎や自分が、いかに不当に迫害されたかを、語るための伏線である。

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国家主義的世界観とは、個人ひとりひとりの尊重という考えが欠落して、自分と国家を同一視して万能感に酔っているか、あるいは、自分の無能感にうちひしがれ権力者にすがりつくか、で生じる偏見の体系なのである。

安倍晋三が「国家のために、国民のためとあれば」と書いてても、それが「誠実な人柄」を意味するわけではない。

(続く)