猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

安倍晋三とその信者の研究――その3、保守、安保、改憲

2019-07-21 22:55:34 | 安倍晋三批判


安倍晋三は、『新しい国へ―美しい国へ 完全版』(文春新書)のなかで、まず、リベラルを攻撃し、ついで、革新、進歩的知識人を攻撃する。そして、国のことを熱く想っている祖父の岸信介、大叔父の佐藤栄作、父の安倍晋太郎がいわれない迫害を受けていると書く。

考えてみれば、安倍晋三は、岸信介、佐藤栄作、安倍晋太郎という華麗な政治家一族の一員であるから、被害妄想をもつ必要がない。にもかかわらず、あたかも世の中にいじめられているかのように書く。

《「お前は保守的だ」といえば、それは体制派のことであり、「どうしようもない奴」だとか「単純だ」というのと、ほぼ同じような意味に使われていた》
《小さなころから、祖父が「保守反動の権化」だとか「政界の黒幕」とか呼ばれていたのをしっていたし、「お前のじいさんはA級戦犯の容疑者じゃないか」といわれることもあった》

私はそれって本当のことではないか、と思う。安倍晋三は「どうしようもない奴」だと思うし、祖父の岸信介は「保守反動の権化」だし「A級戦犯の容疑者」である。岸信介はA級戦犯として死刑にすべきだと思っている。

  - - - - - - - - - - - - - - - -

大正デモクラシーの反動で、昭和のはじめ、日本は右傾化した。

大正デモクラシーは、日本にリベラルの風を吹かせた。リベラルとは、リバティ(liberty)自由を語源としてもち、人のひとりひとりの自由を尊重するものである。そして、大正デモクラシーは、「封建的人間関係」を否定するものとして、働いた。

私の家は地方の一商店であったが、大正生まれの母は、母の義父(舅)も義母(姑)も夫も子どもたち(私と兄弟)も、名前に「さん」をつけて呼んでいた。たとえば、母は、義父駒造を「駒造さん」と呼んだ。母も母の実家も昭和の太平洋戦争に反対であった。

「封建的人間関係」とは、身分制であり、家父長制であり、男尊女卑である。「封建的人間関係」の維持を図るのが保守である。

昭和になって、国家主義の嵐が吹いた。官尊民卑は、天皇制というウソによって生じたものだ。ここでウソといったのは、安倍晋三自身が天皇は昔から象徴であった、すなわち、権力者の操り人形である、と言うのに合わせただけである。田舎で商売していた私の父は、赤紙で戦地に連れていかれ、「上官の命令は天皇の命令だと思え」と言われて、毎日殴られていた。

昭和20年8月15日、母は敗戦の報を聞いて、日本が戦争に負けて、軍人が威張らない世の中がくると喜んだ。

反動とは、ばねを押せば縮むが、手を離せば元に戻ることをいう。デモクラシー、リベラルで封建的人間関係をなくそうとしたが、油断すると跳ね返り、商人、農民、労働者の上に、官僚、軍人が威張りはじめるのである。

昭和の前半について、安倍晋三はつぎのように書く。

《たしかに軍部の独走は事実であり、もっとも大きな責任は時の指導者にある。だが、昭和17、8年の新聞には「断固、戦うべし」という活字が躍っている。列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化するなか、マスコミを含め民意の多くは軍部を支持していたのではないか。》

「マスコミを含め民意の多く」というが、当時の政府は反対する声を暴力で抑圧していたわけであり、「新聞の活字」からは民意は計れない。また、民意の多くが、たとえ、当時の政府を支持しようと、それは政府の政策を正当化するわけではない。

私の母と実家だけでなく、戦争に反対する人がおり、戦争で人を殺すことに逆らった。キリスト教徒が人を殺すことを拒否したことが知られているが、母と実家は日蓮宗であった。

安倍晋三は

《自分なりに熟慮した結果、自分が間違っていないという信念を抱いたら、断固として前進すべし》

というが、それは、革新の言い分でもある。

  - - - - - - - - - - - - - - - -

安倍晋三は、

《安保条約というのは、日本をアメリカに守ってもらうための条約》

というが、安保条約は軍事同盟の側面があり、アメリカとそんなものを結ぶ必要がない、というのが、安保反対派の言い分である。しかも、安保反対のデモが起きたのは、自民党が国会内の議論を打ち切り、強行採決したからだ。反対の意思表示がデモでしか表現できなくなったのである。

安保条約第4条は次の通りである。

「締約国は、この条約の実施に関して随時協議し、また、日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締約国の要請により協議する。」

ここの「極東における国際の平和及び安全に対する脅威」とは、中国や北朝鮮のことを指す。アメリカは、日本に、中国や北朝鮮とたたかうための協力要請ができるということだ。

安保条約第5条は次の通りである。

「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。(以下略)」

第4条は「脅威」の場合に「協議」すると言い、第5条は「攻撃」の場合は「行動」すると言っている。

第5条で注意しなければいけないのは、日本も自動的に行動の義務を負う。行動の範囲の制約は「憲法」の規定だけだ。決して、アメリカが一方的に日本を守る条約ではないのだ。

安倍晋三はまた次のように書く。

《片務的な条約を対等にちかい条約にして、まず独立国家の要件を満たそうとしていた》

たしかに、第4条、第5条は対等にちかい形になっている。しかし、そのため、極東の安全のため、アメリカは日本に戦争の協力要請できるのだ。肝心の日本国内の米軍基地はそのまま、固定化されているし、基地内にたてこもった米軍人には日本側は手出しができない。

私が学生の頃、1960年代後半は、「極東の安全」が「アジアの安全」に拡大され、日本の米軍基地がベトナム戦争の後方基地になっていた。日本で爆撃機の整備が行われ、負傷兵が日本に運ばれてきた。

しかし、根本は、米軍の基地があることにNo! と言えば良いのだ。自民党議員の石原慎太郎は1989年に『「NO」と言える日本』(光文社)を出版し、No! と言えない理由があることを認めた。

なぜ、自民党はNo! と言えないのか。経済的理由である。財界は、アメリカのおかげで日本が経済成長できると考えた。実際、朝鮮戦争で日本の経済は潤った。安い製品をアメリカに輸出しても、日本が対米従属している限り、大目に見られるだろうと考えたわけだ。

いっぽう、石原慎太郎は、日本製品が優秀なのだから、アメリカに遠慮しなくて、いやなことにはNo! と言えば良いと考えた。

現在の米中経済摩擦とおなじことが、当時起きたわけだ。

  - - - - - - - - - - - - - - - -

では、安倍晋三は、なぜ、改憲を主張するのか。現在の憲法のどこそこが悪いというのではなく、「自主憲法制定」自体が自由党と日本民主党を合併して自民党を作った目的であると書く。

安倍晋三は、さらに、つぎのようにも書く。

《憲法草案の起草にあたった人たちが理想主義的な情熱を抱いていたのは事実だが、連合軍の最初の意図は、日本が二度と列強として台頭することのないよう、その手足を縛ることにあった。》
《国の骨格は、日本国民自らの手で、白地からつくりださなければならない。そうしてこそはじめて、真の独立が回復できる。》

すなわち、「改憲」の本当の目的は、日本を「列強」にすることである。

何年か前、ドイツの駐日大使がBSフジのプライムニュースに招待された。そこで、そこで、キャスターの反町が「ドイツは大国ですね」と言ったら、大使は「大国になることを目指していません。人口からいって中の国でよいのです」といった。

なぜ、日本が「列強」になる必要があるのか。日本が他国に暴力をふるう必要があるのか。そんな必要はない。

安倍晋三は、改憲に力を入れないから、日本がおかしくなっていると書く。

《損得が価値判断の重要な基準となり、損得を超える価値、たとえば家族の絆や、生まれ育った地域の愛着、国に対する想いが、軽視されるようになってしまったのである。》

これって、「封建的人間関係」を復活させたいということではないか。まさに安倍晋三は「保守反動の権化」と言える。

安倍晋三の信者が、これに共鳴できるとは、「国家主義的世界観」をはじめからもっているからではないか。

日本語に敬語があり、尊敬語、謙譲語を使うよう学校で指導していることは大きな問題である。また、売り子と買い手は対等であるのに、最近、スーパーの店員が両手を下腹にそろえ、ありがとうごさいますとお辞儀する。これは、異常な風景である。そんなことは、私の子ども時代になかった。小商店の子どもが言うのだから、本当である。

(つづく)