猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

「国」という漢字が嫌い、「国家」という語はもっと嫌い

2019-07-30 22:46:56 | 国家


安倍晋三は、「国に自信をもて」「国に誇りをもて」という。彼のいう「国」とは何か、何に自信をもてというのか、何を誇りとするのか、彼の著作『新しい国へ――美しい国へ完全版』を読んでも わからない。

よくわからないのに、「大義に殉ぜよ」という。

第一、私は「国」という漢字が好きでない。戦後、「國」から「国」に字体が変えられた。この事実を子供のとき知ったが、「口」の中にどうして「玉」と書くのか、いまでも納得いかないままである。戦後の国語教育改革で、王党派による陰謀があったのではないか。

私の学生時代は、みんなは「国」という字体を使わず、「口」の中に「ヽ」を書いた略字を使っていた。

それに、もともとの日本語の「くに」とは、自分の生まれた土地、すなわち、自然をいい、「国家」という意味はなかった。英語の“country”に近い。したがって、「くに」に「邦」の漢字をあてた。「國(こく)」には、縄張りの争いのイメージがあり、「戦國時代」にぴったり合う。

トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』では、「国家」にあたる英語として、 “COMMON-WEALTH”や“STATE”を、または、ラテン語の“CIVITAS”(キウィタス)を使う。プラトンの『国家』は、原語では“πολιτεία”(ポリテイア)である。英語に翻訳されると“The Republic”となる。いずれにせよ、日本語の「国家」とイメージが大きく異なる。

英語の”common wealth”や“state”や“republic”やラテン語の“civitas”の訳に、明治時代に、なぜ「國家」を当てたのか、わからない。「國家」の「家」は、もともと王朝を意味する。ホッブズは、「多数の人間が、約束にもとづき、一体となって意志をもつもの」を”common wealth”と定義する。

ホッブズは17世紀の人である。明治は19世紀の後半である。安倍晋三は「国誇りをもて」というが、どうして、日本のような文化的後進国に誇りがもてるのか。誇りは自分にもつので十分である。

先日、安倍と付き合う吉本興業の岡村社長は、自分と所属芸人の関係は「親子」の関係だと言った。17世紀のホッブズは、人間は対等、同じ能力をもっている、という。21世紀の岡本社長は、自分と6000人の芸人は親子という。そこには「対等」という概念がない。
首相が情けないバカであれば、まわりに集まるものもバカである。