猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

敗戦記念日に戦争責任追及集会がないのは なぜ?

2020-08-15 21:38:50 | 戦争を考える

きょう8月15日、敗戦を記念して、いつもと同じイベントが開かれた。

政府主催の全国戦没者追悼式は、新型コロナでイベントの規模が縮小されただけである。いつもと同じ天皇のことばといつもと同じ安倍晋三の式辞が述べられた。

靖国神社参拝では、4年ぶりに閣僚の参拝が行われた。安倍晋三は例年と同じく自民党総裁の名で玉串料を納めた。

たまには、日中戦争や太平洋戦争の責任者を糾弾する会を催したらどうだろう。戦争責任の討論会も良いし、サッカーボールに、昭和天皇や東条英機の顔写真を張り、みんなで蹴るのもどうだろう。戦争の反省を国民だけに押し付け、のうのうとしている天皇や政治家や国家神道関係者をそのままにしておいて良いのか。

全国戦没者追悼式でのべられる天皇のおことばは、毎年毎年同じである。3段落からなる簡単なものである。

昨年、平成天皇から令和天皇に替わったとき、第3段落に「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という語句が不用意に加わり、前より劣化した。

第3段落の平成天皇バージョンは、「ここに過去を顧み,深い反省とともに,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、……」であった。
ところが、令和天皇バージョンは、「ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、……」である。

天皇は何を反省するのか、より意味不明になっている。「過去」とはなにか、ハッキリと言わないとダメでしょう。戦後50年村山談話は、植民地化と侵略と開戦とを「国策の誤り」と謝罪している。

令和天皇糾弾集会も必要なのではないか。こんな天皇はいらない。私たちは、日本国憲法第15条にもとづいて、少なくても天皇を罷免させる権利をもっている。

今年は、第2段落と第3段落の間に、「新型コロナウイルス感染症の感染拡大」の言及が挿入されただけである。それも、「新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います」と、「頑張ってね」という「ひと(他人)ごと」なのである。

安倍晋三の式辞も毎年同じで、8段落からなる。今年、この第7段落が、さらに悪くなった。第7段落の
「平和で、希望に満ち溢れる新たな時代を創り上げていくため、世界が直面している様々な課題の解決に向け、国際社会と力を合わせて全力で取り組んでまいります」
が、今年は、
「我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面している様々な課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です」
に置き換えられた。

安倍晋三は、いまだに「核兵器禁止条約」の署名を拒否しているのである。彼の「積極的平和主義」とは「平和を武力で勝ち取る」ということで、戦没者の遺族に向けて、そんなことを言ってほしくない。

サッカーボールにはる顔写真に安倍晋三も加えたほうが、糾弾集会は盛り上がるかもしれない。