きょう、8月4日、横浜市教育委員会は、市立中学校で来年度から4年間使う教科書を採択した。歴史と公民について、横浜市では育鵬社の教科書を使ってきたが、今回の採択では、歴史は帝国書院版、公民は東京書籍版を選んだ。
育鵬社の『新しいみんなの公民』は、なぜか、大日本帝国憲法(明治憲法)をヨイショし、日本国憲法(昭和憲法)を日本の敗戦による連合軍のお仕着せとする教科書である。
日本国憲法と大日本帝国の共通点は、財産権を記していることである。育鵬社の公民教科書は、日本が「自由主義国家」で「自由経済」であることを強調する。お金持ちがますますお金持ちになることを是とするのが、育鵬社の公民教科書である。
育鵬社の公民教科書は、愛国と伝統文化を強調し、「各国は独自の「価値」を憲法に記述することにより、国民に自覚と誇りを持たせています」と書く。
現在の日本は民主政の国で、日本国憲法は国民主権を規定している。戦前の日本は君主政の国で、大日本帝国憲法は天皇をすべての官僚(官)、軍人(武)、庶民(民)の上に置き、天皇の発議がなければ、憲法は改定できない。
日本が敗戦して、連合軍が天皇に民主政を強要しなければ、伝統の「国体」の変更をもたらすことができなかったのである。そうでなければ、私たちの親はたちが、革命を起こして、天皇を追放しない限り、民主政(国民主権)に移れなかったのである。
伝統の「国体」、天皇制は、約150年前の明治維新以来の伝統のことであり、維新の功労者たちによって、でっち上げられたものである。
日本国憲法には「法の下の平等」という条文があるのに対し、大日本帝国憲法にはそれがない。
日本国憲法第14条《すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
○2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
○3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。》
日本は、自由と平等の考えにもとづく、民衆(デーモス)が治める国である。
大日本帝国憲法になく、日本国憲法だけにある条文は、これだけでない。
第19条の「思想及び良心の自由」、第23条の「学問の自由」は日本国憲法固有の条文である。
第13条の「個人として生命、自由及び幸福追求の権利」、第25条の「健康で文化的な生活を営む権利」、第26条の「教育を受ける権利」は固有の条文である。
働くものの権利、第18条の「奴隷的拘・苦役の禁止」、第27条の「勤労の権利・勤労条件の基準・児童酷使の禁止」、第28条の「勤労者の団結権・団体交渉権」は固有の条文である。
第24条の「婚姻は両性の合意・夫婦同権・両性の平等」も固有の条文である。
さらに、だいじなのは、国務大臣、国会議員、裁判官などの公務員の特権を日本国憲法は禁止していることである。
第15条の「国民が公務員を選定・罷免。公務員は全体の奉仕者」、第16条の「請願の権利」、第17条の「公務員の不法行為にたいする賠償請求権」、第34条の「弁護人に依頼する権利と拘禁理由の公開法定での開示」、第36条の「公務員による拷問・残虐な刑罰の禁止」、第37条の「公平で迅速な公開裁判を受ける権利」、第38条の「自白の強要の禁止」、第39条の「実行の時に適法であつた又は既に無罪とされた行為に刑事上の責任を問われない」、第40条の「無罪の裁判を受けたときの抑留又は拘禁の補償の請求権」は固有の条文である。
これによって、日本国憲法は、民主政の国では、行政はサービス機関であることを明確にしている。政府も議員も裁判所も「国民への奉仕者」である。これを公民教科書は教えるべきである。
大日本帝国憲法に戻るなんて、まっぴら、ごめんだ。
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もうひとつ問題として、育鵬社の教科書に、統治に「効率」を求める考えが書かれているが、これは、民主政を否定するものである。じつは、トンデモないことだが、この考えは文部科学省の「公民」の指導要領に書かれている。
きょうのBSフジ『プライムニュース』で自民党議員の松本剛明は、現在、国会を開くと大臣がそれに時間をうばわれ、新型コロナ対策を「効率」的に打てないから、国会を開かないのだ、と言っていた。
彼だけでなく、安倍晋三も与党と相談するというが、新型コロナ対策のために、国会を開くと絶対に言わない。野党は国会を開くことを請求しているが、憲法の規定を無視して安倍政権は国会を開かない。
安倍晋三や自民党議員は、「効率」のために自民党の独裁を主張している。独裁は、必ず、腐敗を生む。そして、じっさい、安倍長期政権はすでに腐敗を生んでいる。