猫じじいのブログ

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自虐史観といって歴史の偽造をゆるすな、元首相 村山富市のコメント

2020-08-16 21:52:52 | 戦争を考える


きのう、8月15日、元首相の村山富市が、「戦後75年」・「村山談話25年」の節目の日になる事に鑑み、「村山談話に託した思い」を発表した。

25年前の「戦後50年村山談話」は、

〈 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。〉

と、はじめて、「日本政府」の戦争責任を認めた。それ以来、歴代の首相は「村山談話」を引き継いできた。たとえば、政府主催の全国戦没者追悼式で、歴代首相は政府の戦争責任に謝罪してきた。

ところが、安倍晋三が首相になって、日本政府の戦争責任を覆い隠し、全国戦没者追悼式から謝罪の言葉を削除し、曖昧な「戦後70年安倍談話」を出した。

村山富市は、このことをうれいているのだ。今回のコメントから少し引用しよう。

〈 私の後を継いだ、橋本龍太郎首相以降、今日に至るすべての内閣が「村山談話」を踏襲することを明らかにしていますが、それは当然のことと言えます。中国・韓国・アジアの諸国はもとより、米国・ヨーロッパでも、日本の戦争を、侵略ではないとか、正義の戦争であるとか、植民地解放の戦争だったなどという歴史認識は、全く、受け入れられるはずがないことは、自明の理であります。〉

〈 日本の多くの良心的な人々の歴史に対する検証や反省の取り組みを「自虐史観」などと攻撃する動きもありますが、それらの考えは全く、間違っています。日本の過去を謙虚に問うことは、日本の名誉につながるのです。逆に、侵略や植民地支配を認めないような姿勢こそ、この国を貶めるのでは、ないでしょうか。〉

私もそう思う。
日本の歴史を、日本人の「誇り」を満たすよう、歴史を書き換えて「良かった」と子供に教えよというのは、私はちょっとおかしいと思う。歴史をありのまま直視することは、自分たちがどういう政策を選択する上で、役にたつ。
過去に政府が国策を誤ったことを隠すことは犯罪の隠ぺいである。

また、国の政策は、そのとき、国を支配する者が良しと思うことであり、支配されている者が支配する者と意見を異にするのは、自然なことである。

私の死んだ母は、教養のない普通の人であったが、軍人さんが満州事変の頃から威張っていて(兵隊さんではない)、戦争に負けて軍人さんがいなくなって本当に良かったという。私の妻の母も同じようなことを言っている。

軍人さんは兵士とちがう。軍人さんは職業軍人である。戦前は、天皇が軍人を統帥していたのである。軍人は天皇に仕え、議会や内閣になんらの責任をおわなかった。徴兵された父は、軍人さんに「自分の命令は天皇の命令と思え」とビンタ(頬を往復で叩くこと)された。

国を支配する者は時とともに変わる。支配されている者が、暴力的抑圧がゆるくなれば、あれは間違っていた、ああすれば良かった、と本当のことを言うのはあたりまえである。

私や私の家族にとって、当時の日本政府が間違っていたというのは、体験からくる実感なのだ。「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れた」は本当である。太平洋戦争は避けられたのである。そうすれば、原子爆弾も開発されず、現在、世界には核兵器など、なかったと思う。

戦後の平和と民主主義は、「軍人さん」がいなくなったことで、得たものである。それなのに、憲法を改定してまで、安倍政権は、「積極的平和主義」の旗のもと、軍隊をもとうとする。アメリカとの軍事同盟を強化しようとする。

日本が「対米従属」から抜け出て、近隣諸国と経済的繁栄を分かち合うには、「天皇制」「富国強兵」を戦前の日本政府の誤りだ、と認めてしまうことである。戦争をしない国でありつづけることである。海外に軍隊を派遣しないことである。

日清戦争、日露戦争を起こして、台湾を併合し、韓国を併合したことは、けっして、正しい国策ではない。戦後、日本政府は、農地解放を行って、水のみ百姓といわれていた小作農に土地を与え、自作農がふえることで、一気に、コメの収穫高があがり、領土が45%になったにもかかわらず、自給自足ができた。支配・被支配の構造があるから、生産性があがらず、植民地が必要だという間違った幻想が戦前の日本をおおったのだ。

植民地は不要であり、対等な人間関係、民主主義を国内で実現すればよいのである。

「戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れる」ことも、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与える」ことも、必要がなかったのだ。

現在、不景気が長く続いているが、これも、経済格差をなくし、ビジネスにおける人間関係の平等を実現すれば、会社が働く者のものになれば、解決する問題である。

「自虐史観」と言って、「国策を誤った支配者」を美化するように歴史を書き換えてしまえば、現在の「国策の誤り」が見えなくなってしまう。