Max Weberの死後100年の企画として、2つの評伝が、中央公論新社から野口雅弘によって、岩波書店から今野元によって、出されている。横浜市図書館は、野口雅弘の評伝を8冊購入し、今野元の評伝を3冊購入している。最初に野口雅弘の評伝が私の手元に届き、きょう、25日遅れて、今野元の評伝をうけとった。
今野の評伝のタイトルが『マックス・ヴェーバー』となっているのは、Max Weberをドイツ語読みしているからだ。そういう意味で、言葉にこだわりがある。
今野によると、Weberの日本人研究者に3世代あるという。大塚久雄、丸山真男、青山秀夫、内田芳明を「近代主義的な第1世代」で、安藤英二、折原浩、山之内靖を「近代批判的な第2世代」で、自分は「理念先行のヴェーバー解釈」に批判的な第3世代であるとする。
私の学生時代、「学園闘争」の時代であるが、第1世代の大塚久雄の翻訳が出まわっており、第2世代が大塚らを批判していた時代である。そして、マルクス主義に対抗する思想として、Weberが右翼学生にもてはやされていた。わたしは、Weberに「国家主義」の匂いを感じ、読みもしないのに、大嫌いだった。定年退職後、Weberの著作を読めば読むほど、もっと嫌いになった。
今野も、Weberを「国家主義者」と言い切っているので、親近感を感じる。
大塚久雄の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波書店、1988)を読むと「市民的」と言葉がところどころに出てくるが、これは “bürgerlich”の訳である。「ブルジョアの」というのは、貴族でも僧侶でも農民でもないという意味でもあるが、エーリック・フロムが『自由からの逃走』で述べているように、普通の平民ではない。お金のある市民のことである。12世紀以来、お金持ちの市民は貴族といっしょに城塞都市で暮らし、貴族とオトモダチであったのだ。Weberが「市民」というとき、上流市民を意識しており、普通の平民ではない。
日本で「市民運動」というとき、いったい何をさしているのかが、私は気になる。
扱っている話題では、野口の評伝と今野の評伝と重なるものも多いが、今野の評伝のほうが踏み込んでいる。
ここでは、Weberの教授就任講義の「プロイセンのユンカー批判」を取り上げよう。
Weberは、プロイセンのユンカ(地主貴族)が、条件が悪くても働くポーランドからの出稼ぎ労働者を雇うことを、「ドイツの国益が損なわれる」と批判した。
野口はつぎのように書く。
〈ウェーバーは「上から」の政策として、国民国家の防衛のために東部国境を封鎖し、ポーランド移民の流入を食い止めることを主張する。〉
野口の評伝を読んでも「国民国家の防衛」とは何かの意味がわからない。
今野の記述のほうが詳しい。
〈自作農が多いドイツ西部・南部に対し、ドイツ東部では農業労働者を雇用する大地主が多かった。〉
〈経済のグローバル化で穀物の価格競争に晒されたプロイセン・ユンカーは、農業経営改善のために旧来のドイツ人農業労働者に代えて、低賃金のポーランド人移動労働者を雇用しようとする。〉
〈こうしたユンカーのポーランド人雇用によって、旧来のドイツ人農民共同体が崩壊し、ドイツ人労働者流出によりドイツ東部の「ポーランド化」を招き、「ドイツ国民」の利益を損ねているというのが、ヴェーバーの見解である。〉
「国民国家の防衛」とは「ドイツ的価値の防衛」ということがわかる。今野はさらにつぎのように書く。
〈ヴェーバーのユンカー批判は異民族への嫌悪感とも結び付いていた。前述のように、彼は軍隊でポーランド兵士に接し、ポーランド人移住地域での演習に参加する中で、ポーランド人は粗野で田舎臭いとの見立てをするに至っていた。〉
〈「ポーランド人がドイツの二級国民に貶められているなんて人は言ったりしましたが、その反対が真実でしょう。我々がポーランド人を獣から人間にしてやったじゃないですか」。この(Weberの)発言は、中世のポーランド人支配者がドイツ人入植者を招き、西方の高度な文化を受容したという歴史観を前提としている。〉
「ドイツ的価値の防衛」とは、多分にポーランド人に対する偏見に基づいていることがわかる。Weberは軍隊につとめたとき、貧しいポーランド人を見、「豚」とののしっている。Weberの偏見は、ポーランド人に限らず、アジア人も貧しくて汚らしく愚かな人々としてみている。Weberはそういう人である。
ドイツとポーランドの関係は、韓国と日本との関係に似て根深い。中世では、ポーランドが強国・文明国でドイツが弱小国、後進国であった。両国間の小競り合いがよくあったが、ポーランドの勝利であった。ドイツの哲学者ニーチェは自分がポーランド人貴族の末裔であると自称したのは、ポーランドを肯定的に捉えるドイツ人もいたということだ。
Weberは強国プロイセンの時代風潮の中でブルジョアの一員として育ち、西欧以外を蔑視している。
今野の記述に「ドイツ人農民共同体」とあるが、“Markgenossenschaften”のことである。ゲルマン人はもともと原始的農業共産制をしており、農地は共有であった。それが分化して、ドイツ東部では暴力集団の貴族(ユンカー)が土地を所有し、農民がそこで共同で働く小作農になった。西部、南部では共有地を分割して自作農になった。そのユンカーが金もうけを考えるようになり、ドイツ人小作農を追い出して、ポーランド人の移動労働者を雇うようになった。ブルジョアのWeberがどれほど真面目にマルク共同体のことを考えていたか疑わしい。
今野の記述で気になるのは、西欧(ドイツ、フランス、イギリス)を先進国とする考えである。西欧が脚光を浴びたのは、西回りの航路が発見されて以来のことで、そのことで、ヨーロッパの沿岸国が経済的に繁栄できただけで、大量輸送手段が当たり前となった現在、西欧の優位性は明らかに崩れている。
今野は5頁に
〈このように19世紀末のドイツは、当時の世界を見渡すならば、いかなる意味でも先進国の1つであって、後進国では全くなく、欧州の周縁でもなかった。〉
6頁に
〈絶頂の西洋・勃興するドイツはヴェーバーの知的営為の前提となった。〉
とかく。また、オーストリア(エステルライヒ)をドイツの一部として捉える。大ドイツ主義の立場をとる。
今野の留学先がドイツであったことで、ドイツの歴史観に染まっているのではないか、気になる。ドイツは世界の後進国であったことこそ強調すべきである。また、ドイツ語圏が統一した国を作ることは、けっして当然なことではない。だからこそ、日本と同じく、ドイツに国民国家主義者が現れるのである。