辞意を表明した安倍晋三のヨイショ記事がメディアにあふれているが、もう少し厳しく日本の政治の現状を批判しないといけないだろう。8年近く前に、日本国民は、トンデモナイ男、安倍晋三を選んで、日本全体にモラル崩壊を蔓延させた。もし、彼が潰瘍性大腸炎を悪化しなければ、このどうしようもない政治状態がもっと続いたかもしれない。
彼の『新しい国へ 美しい国へ完全版』(文春新書)を読むと、彼の原点は、保守政治家の父や祖父や大叔父に対する「誹謗中傷」への復讐にある。
〈小さなころから、祖父が「保守反動の権化」だとか「政界の黒幕」とか呼ばれていたのをしっていたし、「お前のじいさんはA級戦犯の容疑者じゃないか」といわれることもあったので、その反発から、「保守」という言葉に、逆に親近感をおぼえたのかもしれない。〉(22頁)
〈日米安保を堅持しようとする保守の自民党が悪玉で、安保破棄を主張する革新勢力が善玉という図式だ。……
とりわけ祖父は、国論を二分した1960年の安保騒動のときの首相であり、安保を改定した張本人だったから、かれらにとっては、悪玉どころか極悪人である。〉(24頁)
〈列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化するなか、マスコミを含め民意の多くは軍部を支持していたのではないか。……
こうした国民の反応を、いかにも愚かだと切って捨てていいものだろうか。……
この国に生まれて育ったのだから、わたしは、この国に自信をもって生きていきたい。〉(30頁)
強い被害者意識をもって、「革新」を徹底的につぶす、それが安倍晋三の政治家としての原点である。そして、安倍晋三は、幹事長時代に、共産党ではなく、見事に日本社会党をつぶしたのである。
日本社会党がつぶれた代わりに民主党が生まれ、その民主党は2009年に自民党から政権を奪った。自民党がふたたび「悪玉」となったわけである。
安倍晋三は、自民党総裁として、2012年12月に民主党政権を破って、ふたたび「革新」をつぶしたのである。
民主党政権をやぶるのに、メディアと一体になって「非効率的な民主党の政治」キャンペーンをはった。政治に「効率」を求めれば、独裁制にならざるをえない。それなのに、メディアは「効率的な政治」の考えに何の批判もしなかった。
何がこの7年半に起きたのか。日本に大きな政治の空洞化が起き、モラルの崩壊が起きたのである。官僚は矢継ぎ早に膨大な長文の法律をつくり、自民党・公明党連立政権は多数派としてムリヤリそれを通したのである。自民党議員、公明党議員はその法案をちゃんと読んでいたのか、単に官僚の説明で了承したのではないか。そして政権は、法案の命名だけに神経を払った。
法律は専門家しか理解できないものであってはならない。簡明でなければならない。
安倍晋三は理想のない、頭の空っぽな男である。政権をとったこともない「革新」を仮想敵視した「保守のプリンセス」である。「革新」をつぶすという目的のもとに、国家権力の強化、軍事同盟の強化を進めてきた。そんなことをして、誰が幸せになるのだろう。
考えてみるに、電通だのみのキャッチコピーだけの7年半であった。日本の経済力は着実に低下した。韓国政府を罵倒して、米国政府にひざまづいていただけではないか。
昨年の参院選では「世界の真ん中で力強い日本外交」をキャッチコピーにした。どこが「力強い日本外交」だ。
日本人の誇りはどこにいったのか。
総理の後継者がいないというが、安倍晋三は党内の反対論者をつぎつぎと「なきもの」にして、絶対者に登りつめた結果である。国盗り物語から権力の把握の仕方を学んだだけである。
安倍は、『新しい国へ 美しい国へ完全版』(文春新書)で、自分を「闘う政治家」というが、闘えばよいというものではない。単なる権力闘争に打ち勝ってきただけではないか。「国益」というものがあるわけではない。「保守」は既得権益者を守ることにすぎない。世の中には「格差」「不平等」があるのだ。
「革新つぶせ」しかない安倍晋三が日本の政治の頂点を7年半も居つづけたことに、日本国民も反省しなければならない。