猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

具体性なく「極論」とか「ゼロリスク」とか技術官僚は言うな

2020-08-20 22:40:32 | 新型コロナウイルス

きょうの朝日新聞の《新型コロナ-政治と社会》で、元原子力規制委員長の田中俊一が、記者の「国民は100%の安全を求めるのではないですか」の問いに

「世論も司法も100%の安全や安心、ゼロリスクを求める」
「全くリスクのない技術など、歴史上存在しません」
「発信する政治家や専門家、伝えるメディア、受け取る国民の全部に問題があります。特にメディアの責任は大きい」
「メディアが引っぱり出した『にわか専門家』たちが、根拠もないことを言っている」
「少数意見を大事にするということと、根拠もない極論を伝えることは違うでしょう」
「実際に政治家が、極論を唱える『専門家』を国会に呼んで話をさせ、それをまたメディアが報じている」

と答えている。田中俊一はずっと技術官僚畑を歩いてきた人である。こういう人がこんなことを言うと、私は居直っていると思わざるをえない。

原発事故にしろ、新型コロナ対策にしろ、この間に起きたことは、政府と技術官僚への不信である。不信は、政府の主張が現実と合わなかったから、生じたものである。このとき、政府やその技術官僚が、批判者に向かって、「極論」とか「ゼロリスクを求めている」とか言ってしまったら、それは対話の拒否である。

現実はつねに選択肢がある。どの選択肢を選ぶかは個々人の自由である。そして、どれを選ぶかは、個々人によって異なる。国策となると、1つの選択肢を選ぶことになる。個々人の選択が異なるから争いが起きる。これを殴り合いや殺し合いに導かないで、妥協を形成するのが政治である。妥協を形成するに、話し合いがあるのが当然である、

科学や技術には、不確かなところがある。どこで、意見の相違が生じたか、技術官僚は答えなければならない。答えないで、ゼロリスクを求めているとか、極論とか言ってしまえば、「お上の言うことに逆らうな」と言っているのと同じだ。

私の経験で言うと、能力ないものが技術官僚の道を選択する。そして、権力の中心に向いているものが出世する。もちろん、これも偏見かもしれないが。

インタビューをした記者、尾沢智史もいけない。田中は厚生省の医療技術官僚をかばっているのだが、具体的に、どの批判を「極論」としているのか、どの意見を「現実的でない」としているのか、どの意見を「ゼロリスクを求めている」としているのか、何が「根拠もないこと」なのか、誰が「にわか専門家」か、「極論を唱える専門家」かを、具体的に言っていない。記者は聞きかえさないといけない。

さもないと、田中の言っていることに誰も反論できない。対話は、反論できる形で、話すことが基本である。実名がでようと、それで、誰かが傷つくことではない。