7月20日の朝日新聞『(記者解説) 際限なき借金大国』に、「少子高齢化」がすすんでいるとの記述が なぜか あった。
「少子化」と「高齢化」を合体させると、なぜか「高齢化」が悪いとの印象を与える。NPOで子どもと接していると、老人が死なないからいけないのだ、と思っている子どもが本当にいた。そうでなく、「少子化」が進むので、働く世代の人数が減り、一人当たりの支える老人の数が増えるということだ。だから、問題は「少子化」である。
8月1日の朝日新聞の書評欄に、呉座勇一が、山田昌弘の『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか? 結婚・出産が回避される本当の原因』(光文社新書)をとりあげ、結婚しないから出産しないという著者の主張を受け入れていた。
6月3日の朝日新聞『(社説)少子化大綱 政権の本気度を示せ』も同じく、「少子化」の解決には結婚を促進することだと考えている。
私は、それは違う、と思う。「少子化」はあくまで、妊娠をしない、出産をしない、子育てをしないということだと思う。
社会が人口の維持を望むなら、「妊娠する」「出産する」「子育てをする」ことが社会にとってだいじな行為だと認めれば良い。
認めるということは、「妊娠する」「出産する」「子育てをする」という生き方に給料を払うのが一番手っ取り早い。
「妊娠」した段階で、拒否しなければ、自動的に国家公務員になれ、子育てが終わるまで、子育てに十分な給料と官舎が与えられれば良いのではないか。
女が自立し団結していくために、共同保育、講習会や勉強会などの活動を公務として認めていくこともだいじだ。それを通じて、保育や療育やカウンセリングの専門家になって、社会に貢献することも期待できる。
男が雇われて会社や工場から支払われるより良い給料を、「妊娠」「出産」「子育て」をする女に、国が支払えば良い。そうすれば、男のために家事をする必要がなくなる。男のために家事をするのは、女が男を愛しているときだけになる。
官舎は「妊娠」「出産」「子育て」をする女に与える権利で、女が自由に同居人を選べばよい。同居人が子育てに参加してくれると思えば、子どもと血のつながりがなくても良い。血のつながりがあっても、子育ての邪魔になるのなら、追い出せば良い。
山田のいう「親や夫に経済的に依存することが今なお当然視」する風潮は、女が国から高い給料をもらうことで、あっけなく、崩れ落ちるだろう。
朝日新聞の社説では「結婚や出産は個人の自由な選択だ。価値観の押しつけや当事者へのプレッシャーとなることがないよう」にと主張する。
「妊娠」した段階で、国家公務員になるのだから、結婚を前提としない。母子家庭の問題も生じない。父子家庭の問題は、「子育て」を国の仕事とみなすことで、解決する。これまでの生活保護としての扱いでなく、社会が必要としている仕事に国が給料をはらっているのだ。
妊娠したくてできない女には、医療機関にかかる費用を国が全額支払えばよいし、養子をとって子どもを育てる女も男にも給料を払えば良い。
みんなが子供を産む必要がない。半分の女の人が妊娠を望まなくってよい。私の母親は10人兄弟である。私は3人兄弟である。子育てに十分な給料が支払われれば、どんどんと子どもを産むだろう。
「妊娠」「出産」「子育て」だけでなく、ほかの仕事もしたってかまわない。ほかの仕事でも給料をもらうということへの不公平感は税金を取ることで解消すればよい。
「子育てと仕事の両立を阻む長時間労働」も、長時間労働は経済的理由だから、「妊娠」「出産」「子育て」に給料を払えば、その瞬間に解決である。
女を「長時間労働」にかりたてるのは、現在の「自由主義経済」では、資本家がますます豊かになるために、賃労働者を必要としているからだ。問題の多い「自由主義経済」を壊すきっかけとなる。
また、現在の日本の支配・被支配の最小単位「世帯」「家族」「戸籍」をも壊すきっかけとなる。