spatiotemporal は「時空に関する」という形容詞で、最近流行の言葉らしいです。spatioが空間の、temporalが時間の、ですが、spatioはsapcioではないので、要注意。
それから人の名前を言うとき、川上不白をHuhaku Kawakamiなどといいたくないと思ったら、確かに、日本名を姓名の順で言おうとする動きもあるようです。その場合、Kawakami Huhaku という言い方とともに、Kawakami,Huhakuとコンマを入れるやり方があるそうです。ただし、故人にはカンマはつけないか。とは、私が言うのではなく、国際会議通訳者の井上さんの言です。先日の日曜日、今度の土曜日の英語講演会のリハーサルをしたのです。今回つくづくprofessional の人の準備の入念さに驚かされました。プロとは準備できる人、ですね。素人は準備しようにも、準備のしようがない。少し、言葉を変えて行くと、努力できる人は、才能がある。マラソンで有名だった瀬古選手の監督中村さんも、確かそんなことを言っておられました。今度の土曜日の講演会は、・・・・かつてない内容のものになると、ひそかに自信を持っています。かつて、わが国に存在しなかった、もの。したがって、消してしまうのは惜しいと思い、ビデオ収録します。希望する関係者へ貸し出しをしようかと、思うわけです。
話しは変わって、間、について。東北大学文学部名誉教授の源さんは、世阿弥に言及する中で、次のようなことを言っておいます。
そこで問題となるのが、「間」である。世阿弥をこれを「せぬ隙間」とよんでいる。水墨画では空白の部分が重要である。水墨画における空間的な「間」に対し、時間的な「間」とでも言うべきものが、能における「せぬ隙」=役者の静止時間である。静止してはいるが、全身全霊がこもった緊張状態である。ただし、そうした内心の動きを観客に知られては具合が悪い。そのためには自分の心を自分にも隠すこと、自分に「無心」であると思い込ませることが必要である。こうして、観客のみならず自分自身をもともに「化かす」という手の込んだやり方を通じて、観客からみた美しさと本質の追求という二つの両立が目指される。世阿弥の能楽書は、ある意味では、この二つの矛盾をいかにして解決するかという課題を追求したものだった。
What then matters is ma, delicate and slight interval of time . Zeami specifically named it as the interval of doing nothing in his writing named Hanakagami. In a India- ink painting blank is important. The ma in the India-ink painting is in the space. What could be termed as the ma in time is, in the noh, the interval of time of doing nothing, where and when the actor will be still without action. Even though the actor is still, but he is under extreme tension with the whole body and the whole soul concentrated.
However, such a internal psychological movement should not be perceived. For that reason, it is necessary that he hide his own mind from himself, and also make himself believe in nonexistence of mind. Thus by way of such complicated method of bewitching not only the audience but also himself, the two contradictory elements , that is , realization of beauty from the viewpoint of the audience and pursuit of essential beauty, could be aimed at. Zeami’s noh theory book, in a sense, was for seeking how to solve this contradiction.
「間」に相当するmaはイタリックにするといい。ここではなぜだかできないが、
こうしたときの英訳で、spatiotemporalを使うと、いわゆるcool になるんでしょうね。we can say ma is a spatiotemporal interval. That means....
いままでにも、いろいろと間に関する説明は聞いたことがるように思いますけれども、このように簡明に説明されたのはなかった。
井上さんは、日本語についても鋭敏な感覚をお持ちの方で、特に耳がいい。
たとえば、「2004年には第2回北京音楽コンクール木管部門第一位を受賞され・・・」のようなところでは、「第2回、北京音楽コンクール木管部門、第一位・・・」という具合に、「、」のところで間を取るとimmpressive になると、教えてもらったことがあります。
それから人の名前を言うとき、川上不白をHuhaku Kawakamiなどといいたくないと思ったら、確かに、日本名を姓名の順で言おうとする動きもあるようです。その場合、Kawakami Huhaku という言い方とともに、Kawakami,Huhakuとコンマを入れるやり方があるそうです。ただし、故人にはカンマはつけないか。とは、私が言うのではなく、国際会議通訳者の井上さんの言です。先日の日曜日、今度の土曜日の英語講演会のリハーサルをしたのです。今回つくづくprofessional の人の準備の入念さに驚かされました。プロとは準備できる人、ですね。素人は準備しようにも、準備のしようがない。少し、言葉を変えて行くと、努力できる人は、才能がある。マラソンで有名だった瀬古選手の監督中村さんも、確かそんなことを言っておられました。今度の土曜日の講演会は、・・・・かつてない内容のものになると、ひそかに自信を持っています。かつて、わが国に存在しなかった、もの。したがって、消してしまうのは惜しいと思い、ビデオ収録します。希望する関係者へ貸し出しをしようかと、思うわけです。
話しは変わって、間、について。東北大学文学部名誉教授の源さんは、世阿弥に言及する中で、次のようなことを言っておいます。
そこで問題となるのが、「間」である。世阿弥をこれを「せぬ隙間」とよんでいる。水墨画では空白の部分が重要である。水墨画における空間的な「間」に対し、時間的な「間」とでも言うべきものが、能における「せぬ隙」=役者の静止時間である。静止してはいるが、全身全霊がこもった緊張状態である。ただし、そうした内心の動きを観客に知られては具合が悪い。そのためには自分の心を自分にも隠すこと、自分に「無心」であると思い込ませることが必要である。こうして、観客のみならず自分自身をもともに「化かす」という手の込んだやり方を通じて、観客からみた美しさと本質の追求という二つの両立が目指される。世阿弥の能楽書は、ある意味では、この二つの矛盾をいかにして解決するかという課題を追求したものだった。
What then matters is ma, delicate and slight interval of time . Zeami specifically named it as the interval of doing nothing in his writing named Hanakagami. In a India- ink painting blank is important. The ma in the India-ink painting is in the space. What could be termed as the ma in time is, in the noh, the interval of time of doing nothing, where and when the actor will be still without action. Even though the actor is still, but he is under extreme tension with the whole body and the whole soul concentrated.
However, such a internal psychological movement should not be perceived. For that reason, it is necessary that he hide his own mind from himself, and also make himself believe in nonexistence of mind. Thus by way of such complicated method of bewitching not only the audience but also himself, the two contradictory elements , that is , realization of beauty from the viewpoint of the audience and pursuit of essential beauty, could be aimed at. Zeami’s noh theory book, in a sense, was for seeking how to solve this contradiction.
「間」に相当するmaはイタリックにするといい。ここではなぜだかできないが、
こうしたときの英訳で、spatiotemporalを使うと、いわゆるcool になるんでしょうね。we can say ma is a spatiotemporal interval. That means....
いままでにも、いろいろと間に関する説明は聞いたことがるように思いますけれども、このように簡明に説明されたのはなかった。
井上さんは、日本語についても鋭敏な感覚をお持ちの方で、特に耳がいい。
たとえば、「2004年には第2回北京音楽コンクール木管部門第一位を受賞され・・・」のようなところでは、「第2回、北京音楽コンクール木管部門、第一位・・・」という具合に、「、」のところで間を取るとimmpressive になると、教えてもらったことがあります。