難しい内容の英語表現

2006年06月13日 10時08分44秒 | 発想法、思考プロセス
spatiotemporal は「時空に関する」という形容詞で、最近流行の言葉らしいです。spatioが空間の、temporalが時間の、ですが、spatioはsapcioではないので、要注意。
それから人の名前を言うとき、川上不白をHuhaku Kawakamiなどといいたくないと思ったら、確かに、日本名を姓名の順で言おうとする動きもあるようです。その場合、Kawakami Huhaku という言い方とともに、Kawakami,Huhakuとコンマを入れるやり方があるそうです。ただし、故人にはカンマはつけないか。とは、私が言うのではなく、国際会議通訳者の井上さんの言です。先日の日曜日、今度の土曜日の英語講演会のリハーサルをしたのです。今回つくづくprofessional の人の準備の入念さに驚かされました。プロとは準備できる人、ですね。素人は準備しようにも、準備のしようがない。少し、言葉を変えて行くと、努力できる人は、才能がある。マラソンで有名だった瀬古選手の監督中村さんも、確かそんなことを言っておられました。今度の土曜日の講演会は、・・・・かつてない内容のものになると、ひそかに自信を持っています。かつて、わが国に存在しなかった、もの。したがって、消してしまうのは惜しいと思い、ビデオ収録します。希望する関係者へ貸し出しをしようかと、思うわけです。
話しは変わって、間、について。東北大学文学部名誉教授の源さんは、世阿弥に言及する中で、次のようなことを言っておいます。

そこで問題となるのが、「間」である。世阿弥をこれを「せぬ隙間」とよんでいる。水墨画では空白の部分が重要である。水墨画における空間的な「間」に対し、時間的な「間」とでも言うべきものが、能における「せぬ隙」=役者の静止時間である。静止してはいるが、全身全霊がこもった緊張状態である。ただし、そうした内心の動きを観客に知られては具合が悪い。そのためには自分の心を自分にも隠すこと、自分に「無心」であると思い込ませることが必要である。こうして、観客のみならず自分自身をもともに「化かす」という手の込んだやり方を通じて、観客からみた美しさと本質の追求という二つの両立が目指される。世阿弥の能楽書は、ある意味では、この二つの矛盾をいかにして解決するかという課題を追求したものだった。


What then matters is ma, delicate and slight interval of time . Zeami specifically named it as the interval of doing nothing in his writing named Hanakagami. In a India- ink painting blank is important. The ma in the India-ink painting is in the space. What could be termed as the ma in time is, in the noh, the interval of time of doing nothing, where and when the actor will be still without action. Even though the actor is still, but he is under extreme tension with the whole body and the whole soul concentrated.

However, such a internal psychological movement should not be perceived. For that reason, it is necessary that he hide his own mind from himself, and also make himself believe in nonexistence of mind. Thus by way of such complicated method of bewitching not only the audience but also himself, the two contradictory elements , that is , realization of beauty from the viewpoint of the audience and pursuit of essential beauty, could be aimed at. Zeami’s noh theory book, in a sense, was for seeking how to solve this contradiction.

「間」に相当するmaはイタリックにするといい。ここではなぜだかできないが、

こうしたときの英訳で、spatiotemporalを使うと、いわゆるcool になるんでしょうね。we can say ma is a spatiotemporal interval. That means....

いままでにも、いろいろと間に関する説明は聞いたことがるように思いますけれども、このように簡明に説明されたのはなかった。

井上さんは、日本語についても鋭敏な感覚をお持ちの方で、特に耳がいい。
たとえば、「2004年には第2回北京音楽コンクール木管部門第一位を受賞され・・・」のようなところでは、「第2回、北京音楽コンクール木管部門、第一位・・・」という具合に、「、」のところで間を取るとimmpressive になると、教えてもらったことがあります。

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英語学習者の視点からみた日本語

2006年05月19日 11時12分07秒 | 発想法、思考プロセス
日本語表現大辞典という講談社から出た辞書を最近買いました。これを読んでいると日本語の特徴が見えてきます。
近代日本の作家たち、文筆家は、何に腐心してきたのだろうか?
私流の結論を言えば、
①形容詞の使い方に関心をもった。(名詞を形容するその仕方で自分らしさを出そうとした。)
②同じく、動詞を形容する副詞的表現に努力してきた。
以上の二つに尽きる。これに付け加えるものがあれば、構成である。どのように、筋を展開するか。
亡くなった開口健は文章は形容詞からまず腐っていくと生前述べた。それは見方を変えれば、そこに魅力があったからであろう。実際彼の文章には、豊かな形容詞表現がみられる。

以上の観察結果を基に言いたいことは、英文を読むとき、何に着目するかである。
1.名詞に対する形容詞表現、特に後置修飾を見ることである。関係代名詞、それの短縮形としての分詞、関係副詞、接続詞thatをつかっての修飾等である。
2.同じく副詞。副詞句、副詞節の作られ方に目すべきである。

いかに優れた作家といえども、さすがに動詞となる言葉をふんだんに新設するわけにはならなかったようである。やったことは、S,V,O,Cを使って、その時代にふさわしい、あるいは自己の感性にふさわしい、形容詞句、形容詞節、副詞句、副詞節をつくることをしたに過ぎない。そして、逆に言えることは、文章表現、言語表現の基礎となるのは、英語的文法的に言えば、5文型が重要だということである。S,V,O,Cの組み合わせである。これを侮ることは出来ない。

灰色の霧の幕のなかから、黒い波が幾千の亡霊のように襲ってくる(加賀乙彦)

黒い波が押し寄せてくる出よさそうなものを、と思うのですが。それでは劇的効果がないのでしょう。「幾千の亡霊のように」という語句を使って、襲うという動詞を形容する以外方法がない。
from grayish (curatin of) clouds, black waves come one after another like ( as if) thousands of ghosts

従順一点張りの灰色の幕のような女(獅子文六)
従順一点張りの女はわかるが、灰色の幕のような女となると、私には実感が湧かない。こういう具合に表現上の独自性を出さないと作家たりえないのですかね。うそと紙一重ですな。私の趣味ではこのようなあいまいな形容詞を廃すので。
しかし、これを表現するとすれば、構造的には、後置修飾しかない。
 a woman ,who is stubbonly obedient like a dim grayish cloth,

靄(もや)が野を蔽い、幕のように光る(大岡昇平)
 靄が光るでは味も素っ気もないので、「野を蔽い、幕のように」とした。
hanging over the fields, the mist gleams like a thin cloth


風船よりは薄くて弱いけどシャボン玉よりは厚いみたいな、粘り気のある膜(景山民夫)
a sticky film which is thinner and more fragile than a balloon, but seems thicker than soup bubbles

意識に薄い膜がかかったように、頭と眼の奥とに鈍い痛みがある(高井有一)
like a thin membrane is floating in (attaching to )my mind, there is a dull pain in my head and in the bottom of my eyes

眼の裏に薄い膜でも張ったみたいに疲労と興奮が粘りつく(阿刀田高)
as if a thin film (were) attached to the bottom of my eyes,fatigue and excitement have last

注:英語は私の個人流儀適当に当てはめものであり、必ずしも適当でないかも知れない。ただし、構造的な日本語と英語の対応関係を言いたいがためにしたものであるので、その点を了解されたい。
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登場人物、(その)関係、場所ー英語発話に際して整理すべき3要素

2006年02月11日 15時53分39秒 | 発想法、思考プロセス
この年で英語をやっている私にとっては、自分だけがうまくなっても満足できません。うまくなりたいと思っているまわりの人にいいアドバイスとなる方法論を同時に提示できるようでありたいと願っています。以下に説明する方法論は、以前から時々やっていたものですが、本当に確信を持つにいたったのは、昨年の秋のことです。当時私は、「会話作文英語表現辞典」(ドナルドキーン等監修、朝日出版社刊)を使って私の英語表現能力の確認をしていました。日本語を見てそれに等価の英語表現が自分にできるか?答えは一つではないかも知れません。いきずまるときがときどきあるのです。解らない。そのときすぐに回答を見るのも一つの方法ではあります。けれどもそこで私は考えました。「シンプルに考えたらどういうことか?」その過程で確信しました。これがいいいと。人間の言語行為の原理にかなったことだと確信しました。人間は無意識の中で、こうした行為を行っているのだと、思います。
困った時には、私はこの方法論立ち返ります。また英語で表現する時は書く時も、しゃべる時も、瞬間的にこの方法でやっていると思われます。思われるとは、何も考えなくても、やれているときもあるから、そんな表現になりますが・・・

たとえば
「私が課長に昇進したときだったよな、あの柿右衛門の店でよ、みんなと、たらふくうまいもん食って酒飲んだよなあ・・・」
というような趣旨のことを、あるとき私が行きつけのバーの女将との間で、英語で発話しようとするとき、どうするか?としましょう。

まず、最初、私の頭の中に生まれるものは、イメージです。映像なのです。仮に日本語で話すときでもは、その後から、日本語の言葉が出てきます。言葉より先に映像が生まれるはずです。

これを英語でしゃべろうとするときに、私は、頭の中で、どのような行動をとるかです。

絵を描くのです。一枚の絵を描きます。(一枚の絵に描ききれないような絵は、二枚の絵になるだろうが、その場合は、二つのセンテンスにならざるを得ない。まともなセンテンスに後ほどなるほどのものならば、その内容は一枚の絵に描けるはずである。)白い紙または白板に絵を描く感じです。

そこで何を描くのか?
「登場人物、(その)関係、および場所」を書くのです。
自分が述べようとする事象、描こうとする事象を、絵に描くのです。
それを瞬間的にやるわけです。

(登場人物)
絵に描かれる主体を、無生物も含め私は「登場人物」といいます。
これが、後ほど私の口から流れて出る、名詞になるはずです。
上記の例では、「私」I, 「友達」my friends 「料理たち(酒)」food( dishes,sake) を思い浮かべます。

(関係)
今言った登場人物の関係が問題になります。
それを明確にしたいので、登場人物を、紙の中で、それなりに、配置します。
I をどこかにおいて、food をどこか、適当に真ん中あたりに置きます。
次にmy friends を 適当なところに置くわけです。
置きながら、私はこれら3つの登場人物の関係を整理しているのです。
I が dishes に向かって 関係しており、日本語で言うなら、喜ぶ、食べる、楽しむ、などの関係をイメージしているわけです。そのイメージにたとえば矢印をつけてもいい。そのイメージを言葉にすれば、enjoy, have , eat , drink だとかの言葉が後から出てくることでしょう。その関係図の中でmy friendsはI とdishes のそばにいて、その関係に向かって矢印が向けられる感じになります。この関係は、いずれ後ほど with my friends という言葉となって私の口から出てくるのでしょう。

(場所)
「柿右衛門」という店がひとつの場所です。
もうひとつの場所が出てきます。時も場所と考えます。時は時間軸におけるある場所と考えると、場所の概念で捕らえる事が可能となります。「私が昇進したとき」を意識します。
このイメージ・認識は、いずれ後ほど私の口から
at Kakie-Mon となり at a time when (I was promoted to section chief)
という言葉となってあらわれてくることでしょう。
紙の隅に「店」だとか「・の時」とイメージで書きます。文章を書く時には実際に紙に書くことがあっていいでしょう。英語でat Kaki- とか at a time when でもいいでしょう。


だから、たとえば、次のような発話となるでしょう。

As you know, I enjoyed food and Sake at Kakie-Mon,with my friends ,including you,at a time when I was promted to section chief.

実にこの3要素の頭の中での整理が重要だと思います。

これらの言葉に実際はさまざまな情報が加わる場合もあるでしょう。

柿右衛門は日本料理がうまくてイタリア料理もうまくて、日本の全国の酒を飲ますとかです。
みんなというのが、この店でよくカラオケを私と楽しんでいる友達であるかも知れません。私が課長に昇進したのが一年前かも知れません。その場合は、上記で出てくる名詞に情報を付け加えればいいわけです。大体は後置修飾となります。口頭の場合は分詞が、文章表現の場合は、分詞に加えて、関係代名詞の継続用法(関係代名詞の前に,がつく形のものです)をつける用法が使えるのでしょう。

やってみます。

As you know, I enjoyed food and Sake at Kakie-Mon famous for its nice Japanese and delicious Italian dishes , and also serving a variety of Japanese Sakes across the country , with my friends I often meet here enjoying Karaoki, including you,at a time when I was promoted to section chief, just a year ago.


実際はこれだけ情報が入ってくると一つの文章で言うのは、特に口語では無理があると思えますので、例えば、次のようになるかも知れません。

As you know, I enjoyed food and Sake at Kakie-Mon famous for its nice Japanese and delicious Italian dishes , and also serving a variety of Japanese Sakes across the country .Ah,I enjoyed there with my friends I often meet here enjoying Karaoki.You also were with us.It was just a year ago when I was promoted to section chief.(or, just a year ago.)



いずれにしても、上記に述べた、シンプルな3要素の整理が必要だと思います。後者の英文を発話するときにも、まずシンプルな整理が重要だと思います。


私の経験では「①登場人物、②その関係、③場所」が基本ですが。ときどきは③場所が不要で、その代わりに、いわば「③その他」と整理したらよさそうな要素が来る場合があります。
例えば、
・・・・のために、・・・・の目的で。
・・・・の観点から。
などの言葉で表現されるようなものの場合は、「場所」の概念で整理できません。これらは、英語では一定の副詞群で表現されるべきものです。
これらは、「その他」でいいと思っています。
上記の例では、
for the purpose of , with the aim of
from the viewpoint of

以上に付け加えて、「登場人物」と「その関係」についての頭の中での整理の仕方で、皆さんに役立つと思う方法を、紹介します。

登場人物が1の場合は問題にはなりません。
複数存在する場合です。例えば、登場人物にAとBがいたとしましょう。この両者の関係の仕方で、運動の方向性が考えられる場合があります。そのときは、その方向性を明確に意識すべきだということを申し上げたいのです。例えば、AからBに向かって作用するような運動の方向性があれば、AからBに向かって矢印を引きます。反対にAがBから作用を受ける場合はB
からAに向かって矢印を引きます。

AからBに向かって矢印を引きたくなるようなときは、決まって、次のような言葉が似つかわしいのです。
give,put,place, throw

BからAに向かって矢印を引きたくなるようときは、Aの立場からすれば、決まって、次のような言葉が似つかわしいのです。
take, pull,get

この整理の仕方はきわめて重要だと思います。

さらに、これに前置詞の使い方を加えれば、大体のことは、何とか表現できると思います。つまり、AからBに向かっての矢印の場合には、Bの前に(Bを目的語とする)前置詞を置けばいいのです。例えば、to B, for B, onto B, into B, toward B 等々。
矢印がその反対の時には、例えば、from B, out of B, away from B 等々です。


この前置詞で、方向性が示せれば、解りやすいし、すばらしいと思います。

困ればなるべく簡単な動詞で対応するのがコツと思いますが、それでも適当な動詞が思い浮かばない場合が、時に私にはあります。

そんなときは、仕方ないから、私は勝手に動詞を作ります。
「make a 名詞 」で動詞のつもりです。または「do 名詞」で動詞のつもりでまずはしゃべります。文章を書く時は辞書を引くべきでしょう。が、口頭の時は、黙るよりは何か言ったほうがベターでしょう。おかしければ、相手がnative なら向こうが適当に直してくれる。それを使えばいいと思う。
完璧な日本語をしゃべる外人だったら、そんな人に出会っても、私はあんまり好きになれないかも。ときどき間違うくらいの方が愛嬌があるではありませんか。
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