今朝の春の日差しのなか、駅に向かう途中の横浜水道みちを歩いていたら、今年初めてのウグイスの鳴声が聴こえた。昨年もこのあたりの住宅の前の水道みちでよく聴いたから、同じウグイスが住み着いていて今年も鳴いてくれたのかもしれない。ウグイスって、山の中の鳥のイメージで勝手に思っていたのだけれど、まだ緑の残っているかつての里山周辺の住宅地の近くまで降りてきてくれているのが意外だった。
この横浜水道みちは、1989年の横浜開港後、急速に都市化して人口が増加したことによる水の需要に対応するために、英国人お雇い技術者のH.S.パーマーの指導により、1885年に着工し1888(明治20)年に落成した日本で最初の近代水道が埋設されている。当時の津久井村青山の道志川取水口からはるばる横浜市中区の野毛山浄水場まで南西方向ほぼ一直線に引かれた総延長44キロにわたる歴史的遺産道なんだ。
ここ東林間地区では小田急江ノ島線を45度の交差して、大和市下鶴間を経由して続いてゆく。その経路に沿って遊歩道が整備され、春は次々と咲く花々で季節を感じさせてくれ、春の季節はつきみ野方面に向かって数種類の開花時期の異なった見事なサクラの花々が、国道16号をまたぎ南町田駅ちかくの鶴間公園までずっと続く。その先は東名高速の高架下の先の東京都と神奈川県の境をとおり横浜市域に入り、川井浄水場から旧16号沿いにのびて行って西谷浄水場、相鉄西横浜駅の脇から終点の野毛山公園内の浄水場へと至る。
初鳴きにしてはなかなか上手なウグイスの鳴声を聴きながら、何気なく通っている駅までの道のりも、明治期の横浜開港がなければ存在していなかった、そう知ると神妙な気分になってくる。ウグイスはもちろんそんなことは知る由もなく、生命の喜びを美声にのせて鳴き続けている。
この横浜水道みちは、1989年の横浜開港後、急速に都市化して人口が増加したことによる水の需要に対応するために、英国人お雇い技術者のH.S.パーマーの指導により、1885年に着工し1888(明治20)年に落成した日本で最初の近代水道が埋設されている。当時の津久井村青山の道志川取水口からはるばる横浜市中区の野毛山浄水場まで南西方向ほぼ一直線に引かれた総延長44キロにわたる歴史的遺産道なんだ。
ここ東林間地区では小田急江ノ島線を45度の交差して、大和市下鶴間を経由して続いてゆく。その経路に沿って遊歩道が整備され、春は次々と咲く花々で季節を感じさせてくれ、春の季節はつきみ野方面に向かって数種類の開花時期の異なった見事なサクラの花々が、国道16号をまたぎ南町田駅ちかくの鶴間公園までずっと続く。その先は東名高速の高架下の先の東京都と神奈川県の境をとおり横浜市域に入り、川井浄水場から旧16号沿いにのびて行って西谷浄水場、相鉄西横浜駅の脇から終点の野毛山公園内の浄水場へと至る。
初鳴きにしてはなかなか上手なウグイスの鳴声を聴きながら、何気なく通っている駅までの道のりも、明治期の横浜開港がなければ存在していなかった、そう知ると神妙な気分になってくる。ウグイスはもちろんそんなことは知る由もなく、生命の喜びを美声にのせて鳴き続けている。