近所にある喫茶店が3月下旬、23年ぶりの営業を再開した。駅のすぐ近くの白亜のコロニアル風外観の一軒家、前庭によく剪定された西洋カエデ?が二本植えられていて、なかなか瀟洒な雰囲気を漂わせている。ある日、営業再開の張り紙があるのに気がついたとき、ちょっとした驚きに加えて学生時代にしばしば通った懐かしい感情が蘇ってきた。せっかくだから、再開に相応しい訪問のきっかけが欲しかった。今月の18日に村上春樹の最新短編集「女のいない男たち」が発売されて読み始めているうちに、そうだアフタヌーンティータイムにこの小説をあの店内で読んでみるのが、本当に久しぶりの営業再開にふさわしいだろうと思い始めて、その「BURTON]を訪れてみた。
当日は、午前中鶴川にある茅葺古民家「可喜庵」で開かれている三澤喜美子さんのリトグラフ展に立ち寄らせてもらい、しばしの間、三澤さんとおしゃべりを楽しむ。三澤さんとの対話はいつもキャッチボールのようにおもしろく弾み、今まで自分が気が付かなかった領域に連れて行ってもらう感じがして、ダイアローグの精神そのものだと実感する。その帰り道ちかくの三輪町まで足を延ばし、高蔵寺向かいの在農家でこの時期が旬のとれた取り立て湯でたての竹の子を五百円にて直産購入。さらに和光台住宅のはずれの小田急線4号踏切を渡って玉川大学農学部敷地を散策し、町田・横浜・川崎の境界が接する道標を見物した後、東林間まで戻ってきたところで「BURTON」前庭の駐車スペースに車を止めて、夕方5時だったと思うけれど本当に久しぶりにパンドラの箱を開くような気持ちで、白い木製扉を押した。
入り口で迎えてくださった女性は、オーナーの奥様だとすぐにわかった。久しぶりの訪問のことを伝えると、33年前にお店を開いて10年間の営業のあと事業により休業してこのたびが23年ぶり営業再開です、と話してくださった。店内は、30年以上前の学生時代の記憶のまま、無垢の木製テーブルと椅子もフローリングの床も天井からの照明も壁もほとんどすべて。すこし新たに家具調度が加わったくらい、壁のモノクロの写真もそのままの様子で、頭がクラクラした。いったい、これはなんだろう、まるでタイムトラベラーになったかのような錯覚にとらわれてしまった。
店内は禁煙、そのときのBGMにはカーペンターズ、今は亡きカレンの歌声が静かに流れていた。奥のテーブルについて、メニューを見るとこれも当時のままで食べ物は数種の手造りケーキ類とサンドイッチのみ、アルコール類を全くおいていないのも同じだ。これほど過去がそのまま封印をとかれて再開された空間はちょっとないだろう。ふたたび思う、いったい今体験しているこの無菌状態の室内空間、これはなんだろう?
ひとまず、紅茶とのケーキセットをオーダーして、短編集のページを括り、著者自身による「まえがき」から読み始める。最初の「ドライブ・マイ・カー」「イエスタディ」といずれもビートルズの曲がタイトルとなっている二編を読み終える(正確には再読だ)。あと、四編残っているが、そのうちすでに二編は読んでいて、残りの二編は楽しみにとっておこう。BGMは、クリストファー.クロスからカーリー.サイモン(たぶんおそらく)と続き、そしてウエストコースト風サウンドへと変わっていった。バラクーダのスイングトップに紺色のベスト、ボタンダウンの綿シャツ、リーバイスのジーンズとオーナーの男性の風貌が浮かぶようだ。
午後六時前にレジへいくと、オーナーの男性がでてきて、声をかけてくれる。30年前の顔を覚えてくれていた。私とほぼ同世代、お互いに重ねた年輪を感じあう。ちかくのK中学校一期生、ということは途中で転向してきた原辰徳監督と同期生ということになる。1981年の開店、最初は妹さんと二人で切り盛りしていて、やがて結婚して奥様と二人の営業となり、その後の休業期間は、オーナーが写真をやっていたこともあり(店内の写真は、NYとボストンの街角で撮ったもの)貸しスタジオとして営業していたという。そういえば雑誌などでこの店内で撮影した広告を時々見かけたものだ。今回の再開のきっかけは、再びこの家に戻ってきて暮らしてみたくなったことにあるという。暮らすと同時にお店も再開させたのだそうだ。少年時代の相模大野南口の米軍住宅の様子についても語ってくれた。建て替え前の駅舎のことも。
最後に「BURTON=バートン」という店名について聴いてみたが、特に何かの引用ではなく響きのよさから命名したという。もしかしらた何か無意識のものがあるのかもしれない、33年前の若き時代、開店に当たってふっと彼の脳裏をよこぎったものが。でもそれは、彼の中の世界を想像するしかない。とにかく時代は33年間、確実に巡ったのだから。そしてこうしていまを生きながら、当時と対面している。
当日は、午前中鶴川にある茅葺古民家「可喜庵」で開かれている三澤喜美子さんのリトグラフ展に立ち寄らせてもらい、しばしの間、三澤さんとおしゃべりを楽しむ。三澤さんとの対話はいつもキャッチボールのようにおもしろく弾み、今まで自分が気が付かなかった領域に連れて行ってもらう感じがして、ダイアローグの精神そのものだと実感する。その帰り道ちかくの三輪町まで足を延ばし、高蔵寺向かいの在農家でこの時期が旬のとれた取り立て湯でたての竹の子を五百円にて直産購入。さらに和光台住宅のはずれの小田急線4号踏切を渡って玉川大学農学部敷地を散策し、町田・横浜・川崎の境界が接する道標を見物した後、東林間まで戻ってきたところで「BURTON」前庭の駐車スペースに車を止めて、夕方5時だったと思うけれど本当に久しぶりにパンドラの箱を開くような気持ちで、白い木製扉を押した。
入り口で迎えてくださった女性は、オーナーの奥様だとすぐにわかった。久しぶりの訪問のことを伝えると、33年前にお店を開いて10年間の営業のあと事業により休業してこのたびが23年ぶり営業再開です、と話してくださった。店内は、30年以上前の学生時代の記憶のまま、無垢の木製テーブルと椅子もフローリングの床も天井からの照明も壁もほとんどすべて。すこし新たに家具調度が加わったくらい、壁のモノクロの写真もそのままの様子で、頭がクラクラした。いったい、これはなんだろう、まるでタイムトラベラーになったかのような錯覚にとらわれてしまった。
店内は禁煙、そのときのBGMにはカーペンターズ、今は亡きカレンの歌声が静かに流れていた。奥のテーブルについて、メニューを見るとこれも当時のままで食べ物は数種の手造りケーキ類とサンドイッチのみ、アルコール類を全くおいていないのも同じだ。これほど過去がそのまま封印をとかれて再開された空間はちょっとないだろう。ふたたび思う、いったい今体験しているこの無菌状態の室内空間、これはなんだろう?
ひとまず、紅茶とのケーキセットをオーダーして、短編集のページを括り、著者自身による「まえがき」から読み始める。最初の「ドライブ・マイ・カー」「イエスタディ」といずれもビートルズの曲がタイトルとなっている二編を読み終える(正確には再読だ)。あと、四編残っているが、そのうちすでに二編は読んでいて、残りの二編は楽しみにとっておこう。BGMは、クリストファー.クロスからカーリー.サイモン(たぶんおそらく)と続き、そしてウエストコースト風サウンドへと変わっていった。バラクーダのスイングトップに紺色のベスト、ボタンダウンの綿シャツ、リーバイスのジーンズとオーナーの男性の風貌が浮かぶようだ。
午後六時前にレジへいくと、オーナーの男性がでてきて、声をかけてくれる。30年前の顔を覚えてくれていた。私とほぼ同世代、お互いに重ねた年輪を感じあう。ちかくのK中学校一期生、ということは途中で転向してきた原辰徳監督と同期生ということになる。1981年の開店、最初は妹さんと二人で切り盛りしていて、やがて結婚して奥様と二人の営業となり、その後の休業期間は、オーナーが写真をやっていたこともあり(店内の写真は、NYとボストンの街角で撮ったもの)貸しスタジオとして営業していたという。そういえば雑誌などでこの店内で撮影した広告を時々見かけたものだ。今回の再開のきっかけは、再びこの家に戻ってきて暮らしてみたくなったことにあるという。暮らすと同時にお店も再開させたのだそうだ。少年時代の相模大野南口の米軍住宅の様子についても語ってくれた。建て替え前の駅舎のことも。
最後に「BURTON=バートン」という店名について聴いてみたが、特に何かの引用ではなく響きのよさから命名したという。もしかしらた何か無意識のものがあるのかもしれない、33年前の若き時代、開店に当たってふっと彼の脳裏をよこぎったものが。でもそれは、彼の中の世界を想像するしかない。とにかく時代は33年間、確実に巡ったのだから。そしてこうしていまを生きながら、当時と対面している。