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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

旧古河庭園とJ.コンドルの洋館

2014年08月09日 | 建築
 真夏日の酷暑になった伯父の命日の五日、墓参の帰りに旧古河庭園へ足を延ばした。JR上中里駅を初めて降りて急な切り通し坂を上って五分ほどで、本郷通りにつきあたる。横断歩道を渡って田端駒込方面へ歩いていくと立派な石柱門がみえてきて、ここが旧古河庭園の入口、明治初期の政府御雇いイギリス人建築家のジョサイア・コンドル設計の旧古河虎之介邸(1916=大正6年竣工)との久しぶりの対面だ。
 
   夏の日差しの下、芝生前庭の先に英国貴族カントリーハウスのような洋館の東面を望む
   ヴィクトリアン洋式の煉瓦構造二階建て、深い赤味を帯びた外壁は真鶴小松石(安山岩)

 石柱門の前に、NHK文化センターの旗を持った男性が立っていたので何事か伺ってみると、街歩きツアー当日で、この旧古河庭園を参加者が講師とともに巡っているところだという。武蔵野台地の縁に立つ英国貴族風洋館をメインに薔薇で知られる洋式庭園(これもコンドルの設計)と、台地が下がった位置には“植治”こと小川治兵衛作庭の心字池を配した日本庭園からなる総面積三万平方メートル余り。都内でも有数の規模と景観を誇る文化財庭園だから、ときどきこのようなツアーが催されているのだろう。

 ちなみにその講師とは誰だろうと目を凝らすと、なんと重森千青氏!重森氏は私より少し若い年代の作庭家で、昭和期に名を遺すモダンな作風の作庭家、重森三玲の孫にあたる。2006年秋にワタリウム美術館で「重森三玲展」がひらかれた関連で京都庭園ツアーが行われた際、やはり講師を務めていらして、東福寺境内でほんの少し話を交わせていただいたことがある。その時は、京都芸術センターで行われた重森三果&中村善郎コンサート“和楽×ボサノバ”を聴きに行った翌日のことだったと思う。重森三果さんは千青氏の従妹にあたり、京都在住の三味線奏者、面長和服姿の現代美人で微細な発声までよくコントロールされ、丹田の底からでてくるかのような“気”の籠った唄には、本物の芸能がもつ香気と気品が伝わってきた。そのお二人に真近に接することができて感じたのは、思い込みがあるにしても、祖父重森三玲の遺伝子が代々綿々と伝わっているということ。

 庭園散策は後回しにして、まずは洋館内の喫茶室に入ろうと玄関までくると、午後二時から館内見学ツアーがあるというのでそれを待つことにした。受付後に一階ホール南東角、薔薇の壁紙の暖炉つき応接間で、私たち以外の参加者の二組のカップル計六名で待つことしばらくして、時間になると案内の女性(マネージャーの坪井美紀さん?)が出てきてくれて、館内巡りが始まった。古河財閥の当主邸宅らしくビリヤドー室と付属サンルーム、書斎があり、真紅のビロード壁の大食堂がため息が出るくらいゴージャスな雰囲気で、当時としたら驚くべき豪華さだっただろう。天上の果物を掘り込んだ漆喰の技がなんとも素晴らしい。
 ホールにでて玄関左手の階段を上がって二階へ。この手すりも細やかで丁寧な木彫りの仕事が残り、日本職人の優秀さを表す。ここからさきの二階がこの洋館の見どころで、寝室以外が外観からは全く想像だにできない完全“和風”なのである。扉を開けた先が忽然と畳と障子の日本間が開けて魔法にかかったかのようにびっくりさせられる。とくに仏間の花頭窓をかたどった意匠には、これがイギリス人コンドル?とうなってしまう。となりの客間も見事な意匠の書院造り(ただし天上高は3.5メートルと高い)で、日本の女性と結婚して日本画を習得し、日本文化を生活を通して理解しようとし続け、1920(大正9)年、67歳で日本に骨を埋めたコンドルの建築家としての人生の総決算がこの古河邸なのだろう。コンドルの人生は前半がスコットランド、後半が日本で織りなされ、その両方を愛した。それは建物内では壁紙や暖炉などいたるところに見られる薔薇の意匠と、一階の洋間そして二階の和室と分けた造り(安易な融合ではなく)、外においては建物前面すぐのバラの植えられた西洋庭園と平面に下がった位置の和風庭園の完全並列にあわられている。

 あらためて外に出て建物の外観を眺め、附属の台所や使用人家屋の造りも面白く、高台から下がって小川治兵衛の手になる日本庭園の心字池、枯れ瀧、深山幽谷といったたたずまいの茶室を巡りながら、大瀧の前でガイドを終えた重森さんを見つけ、思い切ってお声掛けさせていただく。一仕事終えた後でほっとされたのか、思いのほかフレンドリーな感じで京都重森庭園美術館、神奈川近代美術館の保存問題の話題、重森三玲と交流のあったイサム・ノグチのことなど話が弾んだ。
  
 ふたたび、階段を上って東屋のある展望台に戻る。ここからは東南方向の洋館とその前の薔薇園と台地斜面に展開する植栽刈込の幾何学模様、その先の木立を経て広がる日本庭園が望め、もっとも全体を俯瞰できる園内の一等席だ。おそらく、完成当時古河家当主はもちろん、晩年のJ.コンドル自身も施工中に幾度となくこの展望台からの風景を時には思案しながら、時には心安らかに眺めていたことなんだろうなと思うとこちらも感慨深くなってくる。


 日本庭園木立から洋館南面を眺めたところ。左右が非対称で、入口からの東側とはまた表情が異なる。

 最後におまけ、一昨年の3月に京都に家族旅行したときに東山で見つけた看板、小川治兵衛の“植治”造園会社。


※本文を書くあたって、石田繁之介「J.コンドルの綱町三井倶楽部」(2012年相模書房)に教えられた。

 (8月8日書始、9日初校。)