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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

70´sバイブレーション~佐野元春「新しい夜明け」

2015年12月14日 | 音楽
 前回、鳥取の植田正治写真美術館を訪れる佐野元春のことに触れた。それに誘発されてこの夏に横浜で開催された、1970年代日本ポピュラー音楽文化をめぐる展覧会の関連イベントとして行われた彼のトークショーの様子について記すことにする。なお、この記述はわたしが直接会場で体験したものではなく、後日の録音からメモした資料をもとにしている。

 八月二日、新港埠頭の赤レンガ倉庫3Fホール、トークのお相手は、60年代から70年代にかけての同時代アメリカン・カウンターカルチャーの生き証人、ビートニク派詩人で今様ボヘミアンのムロケンさん、16時スタート。全体の進行構成は、お二人が70年代を中心に影響を受けた、またはエポックメイキング的と思われる欧米のポピュラー曲をそれぞれ六曲づつセレクトしてきたものを流して、その曲そのものの魅力と時代に与えた影響を語り合うというもの。最初は、ムロケンさんからの選曲。

1.オーティス・レディング「サイティスファクション」(1967)
2.ジミー・ヘンドリックス「星条旗よ、永遠なれ」(1969 ウッドストック・ライブ)
3.クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング「ティーチ・ユア・チィルドレン」(1970)
4.ニール・ヤング「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」(1970)
5.グレイトルフ・デッド「トラッキン」(1970)
6.ジョニ・ミッチェル、CSN&Y「ゲット・トゥゲザー」(1969)

 1は、黒人人気シンガーが白人であるローリングストーンズの有名曲をカバーしたという事実が人種の垣根を越えた象徴的事例とされたもの。2は伝説のウッドストックコンサートライブ音源、次第に電気的に増幅され、歪んだアメリカ国歌メロディーと増加するノイズ音を初めて聴く。当時の時代状況の中では、じつに衝撃的かつ象徴的なパフォーマンスだったのだろう。3は爽やかなメロディーとハーモニーに乗せて、当時の世代間対立をシニカルに歌っている。この曲を聴くと思い浮かべるのは、映画「小さな恋のメロディー」で、CSN&Yよりも、よりハーモニーの美しさとエモーショナルさで、ビージーズ三兄弟の歌う「ラブ・サムバディ」の印象のほうが強い、特にイントロのハープとパーカッション。
 6は様々な世代や地域、信条の対立を乗り越えようと呼びかけた60年代を象徴する曲との解説だったがその背景がよく呑み込めていない。
 
 後半は、佐野元春のセレクト曲で何を選ぶのか興味深々だったが、以下の通り。

1.リッキー・リー・ジョーンズ「チャッキーズ・イン・ラブ」(1979)
2.ヴァン・モリソン「クレイジー・ラブ」(1970)
3.エルトン・ジョン「テイク・ミー・ザ・パイロット」(1970)
4.ジョニ・ミッチェル「ヘルプ・ミー」(1974)
5.ミルトン・ナシメント「ブリッジ」(1968)
6.ザ・バンド+etc 「アイ・シャルビー・リリースド」(1976)

 意外にも指向性にとらわれない選曲、若かりし頃の佐野元春は素直だった?そんな感じがしたのは私だけだろうか。特定のエッジをきかせ方を発揮するのではなくて、間口が広くて柔軟性がある。
 最初のリッキー・リー・ジョーンズのデビュー曲はリアルタイムで聴いていた唯一の曲。このセレクトはなかなか親しみを持たせる始まりだった。4曲目、ジョニ・ミッチェルは大好きな歌手のひとりで、この後の変貌ぶりに目をみはった。20年くらい前の奈良東大寺境内での世界遺産ライブが記憶に残る。5のミルトン・ナシメントは唯一欧米意外のアーティストでブラジルの至宝、この曲はサイモン&ガーファンクル「明日に架ける橋」と並ぶ同時代のメモリアル楽曲だろう。6の作者は、もちろんボブ・ディランの超有名曲で、閉塞感ただよう時代にこそ、自由を希求して歌い継がれるものだろう。

 おふたりの対話の中で音楽以外に出てきたもの、おもな人名や書籍のタイトルはつぎのとおり。
 精神分析フロイドとユング、「カッコーの巣の上で」、「結ぼれ」D.H.レイン、ビート世代文学を代表してアレン・ギンズバークとジョン・ケルアック「オン・ザ・ロード」(最近見たこれを原作とした映画のほうはつまらなかったが)、1970年スタートの世界環境の日アースデーに関連して、チャールズ.A.ライク「緑色革命」(1970)、B.フラー「宇宙船地球号」(1969)、S.ブランド「全地球カタログ」(1968)、アン・アローベル「地球の上に生きる」は、いずれも転換期の時代にもうひとつの選択や価値観を示したものとみなされる。いまはまた時代がひとめぐりして、大震災と津波や原発放射能問題などにより、当時の課題が再考されるときが来ているのだろうと思う。