三年前の2013年の夏の終わり、久しぶりの同窓会が都内中野で開かれた。
すこし早目の午後三時過ぎに一番乗りで中野サンプラザ16階のホテルロビーで待機していたら、エレベーター口から次々になつかしい顔、顔が現れて、気分は一気に四半世紀前に遡っていく。遠くは熊本、広島からも駆けつけてくれて総勢男女12名だったと記憶している。みんな確実に年輪を重ねているのにもかかわらず、当時とさほど変わらぬ雰囲気の面々に、なんともほっとした気持ちになった記憶がある。若き日の出会いの交友とは、ときが流れてもこのようなものなのかとうれしかった。
その日の午後は、当時に想いをはせてサンプラザ地下ボーリング場でのゲームのあとに、中野ブロードウェイ商店街の居酒屋『陸蒸気』での親睦会へと臨んだのだった。お店の面影はあまり当時と変わっていないようで入口には鉄道信号機の中古実物、店内に入ると古民家のような重厚な梁におおきなカウンター周りの豪快な木製テーブルがあって、いかにもようし、吞むぞ食べるぞといった食欲をわかせる造りだ。二階の個室で出された料理の数々もお刺身の鮮度よし、焼き佳し、美味しくいただけて大満足だった。それぞれが持ち寄った各地名産品を、さきのボーリングゲームの結果順に分け合って大騒ぎ、はてこちらが持参したワインセットは誰が持ち帰ってくれたのだろう。
宴会散会後はサンプラザへと戻って、宿泊の一室で深夜までの語らいは続いたのだった。あのとき次回は何年後か、幹事名と場所は瀬戸内あたり、などと話題には出たと思うが、その後すすんではいない。個人的には三十周年を経た今年あたりの開催を希望していたのだけれど、いまのところ実現しようになし、どうも誰かがつぶやいていた還暦記念、ということになりそうである。ああ、「青年老い易く、学成り難し」とはいつの時代にも通用する格言なのだと思うことしきり。
この同窓会にあわせて近況日記や当時の思い出を綴ったささやかな文集を編んでいて、その頃にこのブログを始めたばかりの当方も一文を寄せている。前回のブログで今年の「夕涼み奄美島唄ライブ」のことを記しているが、その当時の文集の中にも三年前の夕涼み島唄ライブ体験を含めた、いまや地元となったまちで暮らすことへのセンチメンタルな心境が、つたない文章ではずかしくらい自己満足的に!書かれている。
なんとも、あきれるくらい心境はまったく変わっていないのだ、でもこの日を契機にして、一度しまいかけて忘れそうになっていた記憶が蘇ってきて、限りある人生もうすこし前向きに生きようと思うようになった、そんな大切な一日になったと思う。
「あれから二十八年、このごろ考えることのいくつか」(再掲改訂版)
昭和六十年(1985年)に大学講座を修了してから二十八年目の夏を迎えて、月並みだけど時の流れる早さを感じます。とりわけ、出逢い前の歳月よりも出会ってからの歳月の長さのほうが上回ってしまったということに、改めて!感慨を持たずにはいられません。
特にここ十年位を振り返って月日の過ぎることの速さと言ったら唖然呆然?とするばかりです。いいかげん、わが道を定めて充実の日々といきたいところなのですが、どうしてどうして相変わらずの混迷さを抱えたまま右往左往といったところが正直な実情でしょう。重ねた年齢からするといささか頼りないというか、優柔不断でしっかりせよ!と肩をたたかれそうな感じでしょうか。そんな意味では、私自身よくも悪くも?あまり成長がなく変わっていないのかもしれません。
そして年齢相応に考えざるを得ないのは、ひろく家族と肉親の今後、故郷との関係など誰でもが通過していく人生の節目について。幸運にもいままで比較的自由気ままにすごしてきたことが許容されていた分、ようやく一回り遅れて人並みに課題を意識せざるを得ない状況となってきたわけです。みなさん、それぞれ苦労されているのでしょうが、それなりに懸命に対処してきているんでしょうね。そのあたりを、努めて明るく久しぶりに意見交換できたらいいのかな、と思っている次第です。
ところで好きな街はどこ?と聞かれたら「まほろ」と答えるでしょう。JR横浜線を利用しているのですが、鶴見川に沿って続く車窓風景は見飽きることがありませんし、多摩丘陵の端っこにあって神奈川県内ともよく勘違いされる微妙な地理関係にあるこの街が実におもしろいと思います。ここのところの朝夕の活気はなかなかのもので随分と学生の姿が増えましたが、老若男女それぞれが共存して楽しめるところがこの街の魅力ではないでしょうか。遠くに丹沢の雄大な眺め、ちかくには多摩里山の緑、まちなかには都心に足を延ばさずとも消費欲を十分に満足させる小売飲食店の数々、小田急線を利用すれば箱根や江ノ島にも気軽に足を運べる“ほどほどの利便性”、地方から出てきた都市郊外生活者には、気疲れしないで付き合える街なのです。
今年春、この街を主な舞台にしたドラマ「まほろ駅前番外地」が、テレビ東京で放映されていました。原作は三十代の人気作家三浦しをん、主演は瑛太と松田龍平で、ロケ地もまほろの中心街が登場しました。近隣住民としては、実際の街並みがドラマ舞台に頻繁に登場することで、これまでと違った感慨を街に対して抱くこととなりました。すくなくともわたしにとっては不思議な体験と発見の連続でした。よく登場するマクドナルドの店舗を背にして二人がゆっくりと歩くシーンは、駅前の通称“円形マック”、かつては相互銀行!でした。
ドラマは基本一話完結式で十二話あったのですが、いかしたタイトルシーン(ここの商店街風景、実は相模原西門モールあたり)にオープニングテーマ曲が流れるところから、原作とは異なったおもしろさの本編へと続き、毎回の深夜放送が楽しみでした。
この街との付き合いは、大学生時代から始まり、濃淡こそあれ三十年以上になるわけで、たとえば小田急駅上に作られたデパートでは、中元期歳末期のアルバイトや大学講座の実習先としてもお世話になったし、まちなかを抜けた先の巨大な動くステンレス製モニュメントが設置された噴水池がある広大な公園などは幾度となく訪れています。
最近、奄美群島物産店にあわせて「夕涼み島唄ライブ」があり、会場のデパート屋上に上がったのですが、ひさしぶりに地上十階から三百六十度見回すことのできた駅周辺の風景に見とれてしまいました。随分と高層の建物はふえましたが遠くの山々の姿はそのままでよく晴れた夏空の夕暮れに広がっていて、時間と共に涼風が吹き抜けていきこの上なく気持ちよいひとときでした。
この沿線を通して暮らすことで知り合った人や、その間の周辺、玉川学園や鶴川あたりの変貌もふくめて、いまも街なかのそこかしこにこれまでの記憶が堆積していて、特に目的がなくともぶらりと歩き回るだけで様々な思いが湧き出てくる自分にとっては稀有な場所なのです。(原文2013/08/15了)
すこし早目の午後三時過ぎに一番乗りで中野サンプラザ16階のホテルロビーで待機していたら、エレベーター口から次々になつかしい顔、顔が現れて、気分は一気に四半世紀前に遡っていく。遠くは熊本、広島からも駆けつけてくれて総勢男女12名だったと記憶している。みんな確実に年輪を重ねているのにもかかわらず、当時とさほど変わらぬ雰囲気の面々に、なんともほっとした気持ちになった記憶がある。若き日の出会いの交友とは、ときが流れてもこのようなものなのかとうれしかった。
その日の午後は、当時に想いをはせてサンプラザ地下ボーリング場でのゲームのあとに、中野ブロードウェイ商店街の居酒屋『陸蒸気』での親睦会へと臨んだのだった。お店の面影はあまり当時と変わっていないようで入口には鉄道信号機の中古実物、店内に入ると古民家のような重厚な梁におおきなカウンター周りの豪快な木製テーブルがあって、いかにもようし、吞むぞ食べるぞといった食欲をわかせる造りだ。二階の個室で出された料理の数々もお刺身の鮮度よし、焼き佳し、美味しくいただけて大満足だった。それぞれが持ち寄った各地名産品を、さきのボーリングゲームの結果順に分け合って大騒ぎ、はてこちらが持参したワインセットは誰が持ち帰ってくれたのだろう。
宴会散会後はサンプラザへと戻って、宿泊の一室で深夜までの語らいは続いたのだった。あのとき次回は何年後か、幹事名と場所は瀬戸内あたり、などと話題には出たと思うが、その後すすんではいない。個人的には三十周年を経た今年あたりの開催を希望していたのだけれど、いまのところ実現しようになし、どうも誰かがつぶやいていた還暦記念、ということになりそうである。ああ、「青年老い易く、学成り難し」とはいつの時代にも通用する格言なのだと思うことしきり。
この同窓会にあわせて近況日記や当時の思い出を綴ったささやかな文集を編んでいて、その頃にこのブログを始めたばかりの当方も一文を寄せている。前回のブログで今年の「夕涼み奄美島唄ライブ」のことを記しているが、その当時の文集の中にも三年前の夕涼み島唄ライブ体験を含めた、いまや地元となったまちで暮らすことへのセンチメンタルな心境が、つたない文章ではずかしくらい自己満足的に!書かれている。
なんとも、あきれるくらい心境はまったく変わっていないのだ、でもこの日を契機にして、一度しまいかけて忘れそうになっていた記憶が蘇ってきて、限りある人生もうすこし前向きに生きようと思うようになった、そんな大切な一日になったと思う。
「あれから二十八年、このごろ考えることのいくつか」(再掲改訂版)
昭和六十年(1985年)に大学講座を修了してから二十八年目の夏を迎えて、月並みだけど時の流れる早さを感じます。とりわけ、出逢い前の歳月よりも出会ってからの歳月の長さのほうが上回ってしまったということに、改めて!感慨を持たずにはいられません。
特にここ十年位を振り返って月日の過ぎることの速さと言ったら唖然呆然?とするばかりです。いいかげん、わが道を定めて充実の日々といきたいところなのですが、どうしてどうして相変わらずの混迷さを抱えたまま右往左往といったところが正直な実情でしょう。重ねた年齢からするといささか頼りないというか、優柔不断でしっかりせよ!と肩をたたかれそうな感じでしょうか。そんな意味では、私自身よくも悪くも?あまり成長がなく変わっていないのかもしれません。
そして年齢相応に考えざるを得ないのは、ひろく家族と肉親の今後、故郷との関係など誰でもが通過していく人生の節目について。幸運にもいままで比較的自由気ままにすごしてきたことが許容されていた分、ようやく一回り遅れて人並みに課題を意識せざるを得ない状況となってきたわけです。みなさん、それぞれ苦労されているのでしょうが、それなりに懸命に対処してきているんでしょうね。そのあたりを、努めて明るく久しぶりに意見交換できたらいいのかな、と思っている次第です。
ところで好きな街はどこ?と聞かれたら「まほろ」と答えるでしょう。JR横浜線を利用しているのですが、鶴見川に沿って続く車窓風景は見飽きることがありませんし、多摩丘陵の端っこにあって神奈川県内ともよく勘違いされる微妙な地理関係にあるこの街が実におもしろいと思います。ここのところの朝夕の活気はなかなかのもので随分と学生の姿が増えましたが、老若男女それぞれが共存して楽しめるところがこの街の魅力ではないでしょうか。遠くに丹沢の雄大な眺め、ちかくには多摩里山の緑、まちなかには都心に足を延ばさずとも消費欲を十分に満足させる小売飲食店の数々、小田急線を利用すれば箱根や江ノ島にも気軽に足を運べる“ほどほどの利便性”、地方から出てきた都市郊外生活者には、気疲れしないで付き合える街なのです。
今年春、この街を主な舞台にしたドラマ「まほろ駅前番外地」が、テレビ東京で放映されていました。原作は三十代の人気作家三浦しをん、主演は瑛太と松田龍平で、ロケ地もまほろの中心街が登場しました。近隣住民としては、実際の街並みがドラマ舞台に頻繁に登場することで、これまでと違った感慨を街に対して抱くこととなりました。すくなくともわたしにとっては不思議な体験と発見の連続でした。よく登場するマクドナルドの店舗を背にして二人がゆっくりと歩くシーンは、駅前の通称“円形マック”、かつては相互銀行!でした。
ドラマは基本一話完結式で十二話あったのですが、いかしたタイトルシーン(ここの商店街風景、実は相模原西門モールあたり)にオープニングテーマ曲が流れるところから、原作とは異なったおもしろさの本編へと続き、毎回の深夜放送が楽しみでした。
この街との付き合いは、大学生時代から始まり、濃淡こそあれ三十年以上になるわけで、たとえば小田急駅上に作られたデパートでは、中元期歳末期のアルバイトや大学講座の実習先としてもお世話になったし、まちなかを抜けた先の巨大な動くステンレス製モニュメントが設置された噴水池がある広大な公園などは幾度となく訪れています。
最近、奄美群島物産店にあわせて「夕涼み島唄ライブ」があり、会場のデパート屋上に上がったのですが、ひさしぶりに地上十階から三百六十度見回すことのできた駅周辺の風景に見とれてしまいました。随分と高層の建物はふえましたが遠くの山々の姿はそのままでよく晴れた夏空の夕暮れに広がっていて、時間と共に涼風が吹き抜けていきこの上なく気持ちよいひとときでした。
この沿線を通して暮らすことで知り合った人や、その間の周辺、玉川学園や鶴川あたりの変貌もふくめて、いまも街なかのそこかしこにこれまでの記憶が堆積していて、特に目的がなくともぶらりと歩き回るだけで様々な思いが湧き出てくる自分にとっては稀有な場所なのです。(原文2013/08/15了)