先月下旬の連休の日、ふるさとでの中学校同窓会を終えて、長野から篠ノ井線で松本へとでた。途中姨捨駅での特急待ち合わせの停車時間に、車両の扉からホームへおりて、ゆるやかに下っていく善光寺平と蛇行する信濃川そして菅平・万座方面の大きく視界の開けた遠望を眺めていた。飯山にセカンドハウスがある友人がメールで知らせてくれたとおりの風光絶佳の風景、まだ本格的な雪山には早いようで、澄んだ青空が山里の紅葉の真上一面に高く高く拡がっている。
ふたたび車両のひととなると小ぶりの饅頭を頬張りつつ、小一時間ほど鉄路に揺られていく。信州松本を訪れるのは、二十数年ぶりで二度目のことだ。降り立った駅前ロータリー周辺は、当時と余り変わっていない。車道を横切りパルコ(なんと松本には80年代からパルコがあり!)の脇をぬけて、しばらく歩いた女鳥羽川手前のふるい洋食屋二階でお昼をとることにした。ミール皿に地もの新鮮野菜サラダをつけたセット、ゆるい流れるひとときがこの先のよき滞在を予感させた。
すこし迷いながら、この日を過ごす松本民芸調度の落ち着いた宿をみつけて、受付で荷をおかせてもらう。まずは城のお堀端まで歩いてバスに乗り、里山辺の松本民芸館へと向かう。林のなかに囲まれていたかのように思っていたら、住宅地からほんのすこし入ったあたりで意外な気がした。長屋門のある佇まいは、後から思い起こせば、白洲次郎・正子夫妻の武相荘に似ているような印象がある。門の前でたまたま通りかかった女性から声をかけてもらい、記念のツーショット、なんとこちらの館長田中さんだった。
長屋門を入ると雑木林の中庭があって、そのむこうがナマコ壁に瓦屋根のL字型家屋がたたずんでいた。ここは二階からのブドウ畑と民家の先のアルプスの山並みが望める窓からの眺めと、吹き抜けを隔てた最後の土蔵を移築したという空間がいい。黒びた板間に置かれたテーブルをウインザーチェアと松本家具の椅子が違和感なく囲んでいる。そのさきの畳の間と塗り壁に天井灯り、障子戸から差し込む外光の気配。
民芸館から宿へ戻って三階へ案内をされるとそこは奥まった角の部屋、二方向に窓があるのがうれしい。大浴場で温まったあとの夜は、ちかくの横丁をぬけた先の蔵構えの居酒屋で野沢菜、桜肉と信州みその茄子田楽をいただき、最後はキノコ入りのおじやで締めることにして、松本の夜は更けてゆく。
翌朝、やはり城下町松本にきたからには、ということで冷えた空気の中をお城まで向かう。今年に入って壁面に漆を塗り直されたばかり、黒々とした野武士のような雄々しい本丸をぐるりと一周して回る。お濠に逆さ姿の本丸が映り込んでいる。
その足で、大正ロマン通りと名付けられた道を女鳥羽川方向へと進み、大橋をわたるとそのたもとには、民芸茶房まるもが以前と変わらない姿で佇んでいる。はじめての松本はここに泊まったのだった。三階建ての三階の部屋だったろうか。宿の格子戸入口もそのままで残っているのが時間が停まっていたかのようだ。
硝子格子のドアを開けると、低い天井の店内、喫茶室のほうは初めてだろうか。年配の先客が何人か、こちらは窓際のテーブルについて、ブレンド珈琲のブラウニセットを注文する。流れている音楽は、ヘンデル1のオペラアリア「オンブラ・マイ・フ」(懐かしい木陰)、1987年の洋酒コマーシャルで耳にした懐かしい一曲だ。あのときのテレビCMは、純白のドレスを纏った黒人女性キャスリーン・バトルが新緑の湖畔で大きく両手を広げて歌う姿があまりにもまぶしく鮮烈でいまでも臨場感をもって脳裏に残っていた。そして久しぶりに再訪した喫茶店の片隅のなかで、その同じ一曲が古い録音の男性歌手のう声、そしてピアノ演奏と繰りかえし流れてくるのことに、不思議な気持ちにさせられるのだった。
松本の旅は、忘れかけていた机の引き出しの中の記憶を呼び起こす。いまを生きる中で、新しい過去が懐かしい未来とつながる。
ふたたび車両のひととなると小ぶりの饅頭を頬張りつつ、小一時間ほど鉄路に揺られていく。信州松本を訪れるのは、二十数年ぶりで二度目のことだ。降り立った駅前ロータリー周辺は、当時と余り変わっていない。車道を横切りパルコ(なんと松本には80年代からパルコがあり!)の脇をぬけて、しばらく歩いた女鳥羽川手前のふるい洋食屋二階でお昼をとることにした。ミール皿に地もの新鮮野菜サラダをつけたセット、ゆるい流れるひとときがこの先のよき滞在を予感させた。
すこし迷いながら、この日を過ごす松本民芸調度の落ち着いた宿をみつけて、受付で荷をおかせてもらう。まずは城のお堀端まで歩いてバスに乗り、里山辺の松本民芸館へと向かう。林のなかに囲まれていたかのように思っていたら、住宅地からほんのすこし入ったあたりで意外な気がした。長屋門のある佇まいは、後から思い起こせば、白洲次郎・正子夫妻の武相荘に似ているような印象がある。門の前でたまたま通りかかった女性から声をかけてもらい、記念のツーショット、なんとこちらの館長田中さんだった。
長屋門を入ると雑木林の中庭があって、そのむこうがナマコ壁に瓦屋根のL字型家屋がたたずんでいた。ここは二階からのブドウ畑と民家の先のアルプスの山並みが望める窓からの眺めと、吹き抜けを隔てた最後の土蔵を移築したという空間がいい。黒びた板間に置かれたテーブルをウインザーチェアと松本家具の椅子が違和感なく囲んでいる。そのさきの畳の間と塗り壁に天井灯り、障子戸から差し込む外光の気配。
民芸館から宿へ戻って三階へ案内をされるとそこは奥まった角の部屋、二方向に窓があるのがうれしい。大浴場で温まったあとの夜は、ちかくの横丁をぬけた先の蔵構えの居酒屋で野沢菜、桜肉と信州みその茄子田楽をいただき、最後はキノコ入りのおじやで締めることにして、松本の夜は更けてゆく。
翌朝、やはり城下町松本にきたからには、ということで冷えた空気の中をお城まで向かう。今年に入って壁面に漆を塗り直されたばかり、黒々とした野武士のような雄々しい本丸をぐるりと一周して回る。お濠に逆さ姿の本丸が映り込んでいる。
その足で、大正ロマン通りと名付けられた道を女鳥羽川方向へと進み、大橋をわたるとそのたもとには、民芸茶房まるもが以前と変わらない姿で佇んでいる。はじめての松本はここに泊まったのだった。三階建ての三階の部屋だったろうか。宿の格子戸入口もそのままで残っているのが時間が停まっていたかのようだ。
硝子格子のドアを開けると、低い天井の店内、喫茶室のほうは初めてだろうか。年配の先客が何人か、こちらは窓際のテーブルについて、ブレンド珈琲のブラウニセットを注文する。流れている音楽は、ヘンデル1のオペラアリア「オンブラ・マイ・フ」(懐かしい木陰)、1987年の洋酒コマーシャルで耳にした懐かしい一曲だ。あのときのテレビCMは、純白のドレスを纏った黒人女性キャスリーン・バトルが新緑の湖畔で大きく両手を広げて歌う姿があまりにもまぶしく鮮烈でいまでも臨場感をもって脳裏に残っていた。そして久しぶりに再訪した喫茶店の片隅のなかで、その同じ一曲が古い録音の男性歌手のう声、そしてピアノ演奏と繰りかえし流れてくるのことに、不思議な気持ちにさせられるのだった。
松本の旅は、忘れかけていた机の引き出しの中の記憶を呼び起こす。いまを生きる中で、新しい過去が懐かしい未来とつながる。