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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

デュシャン、デュシャン、デュシャン

2018年12月20日 | 美術
 ようやくのこと、上野の国立博物館平成館でひらかれていた「マルセル・デュシャンと日本美術」展の最終日に足を運んできた。

 会場までは、自宅から小田急線経由で地下鉄千代田線に乗換えたら、湯島駅で地上に出るルート。ビルの合間から覗いている不忍池の端っこをかすめるようにして、上野恩賜公園の正面入り口のゆるやかな坂道を上っていく。冬のさえて晴れ渡った青空のもと、枯れたハスが不忍池水面を覆い尽くしていた。ひと冬のあいだの沈んだ死を連想させる水墨画のような世界がこの日の展覧会前奏にふさわしく、やがてそれは春に向けての再生願望へと連なってゆく。

 道すがら清水観音堂を右手にみながら、春は桜が美しい韻松亭、不忍池が一望できる西洋料理のさきがけである精養軒、すこし離れて伊豆栄梅川亭といった老舗をやりすごす。石灯籠が並ぶ参道の先の東照宮を過ぎて目に入ってきたのは、上野の森美術館「フェルメール」、東京都美術館「ムンク」、国立西洋美術館「ルーベンス」展といずれも巨匠だらけの展覧会看板で、こんな目を回すようなところって上野の森以外いったい世界のどこにあるのだろうと思う。
 それはともかくお目当の展覧会会場、岡倉天心や森鴎外ゆかりの東京国立“博物館”であるのがいい。M.デュシャン(1887-1968)のオブジェには装置空間としてのいわゆる美術館よりも、古典的な博物館のほうがモノとしての象徴性がきわだってくる。ともかく実物を見て確かめておかないときっと後悔する、そう思っていた。
 今となっては、伝説を目の当たりにしてあれこれ考えを巡らして謎が解けたわけではないけれども、伝説は謎かウワサのままであっていい、とすこし安堵した気持ちになっている。
 
 この展覧会第一部は、四章建ての構成で章ごとにいくつかのみどころがある。最初のコーナーでは“画家としてのデュシャン”の「絵画作品」をみることができる。印象主義からフォヴュスム様式までの額縁に収まった油彩画の数々は、デュシャンにもこのような美術史における系統発生をたどる遍歴があったのかと妙納得させられつつも、妙な気分になる。いくつかの描かれた風景画は美しくとても新鮮な印象だが、このままであれば、デュシャンは伝説の存在とはならなかっただろう。
 あの「階段を降りる裸体No.2」もいま見れば、青を基調としたおとなし目の表現で、発表時(1912)に大スキャンダルとなったという驚きを感じることはむずかしい。すべてはときの流れの中で相対化されて、絶対的なものなど存在しないのか、といった気分が支配的になってしまっている。
 第二章は、1920年代以降のデュシャンをデュシャン伝説のイメージたらしめた“泉”をはじめとするレディメイド作品の陳列がつづく。“泉”をしげしげとまわり込んで眺めてみたが、縁の部分に「R.MUTT]とサインが入った白い男性用小便器は、泉というよりも、日本でいうところの“朝顔”という俗称がふさわしい気がする。おかしなことに、この“泉”をみるたびに田舎の実家の古いそっくりな小便器を思い出してしまう。
 第三章は、謎めいた“ローズ・セラヴィ”や映像遊びとテェス・プレーヤーの世界だ。すでにこのころは美術界で華々しく成功した有名人となっていたM.D.だから、世俗的な欲望はもう超越していて、余裕すら感じてしまう。

 最後の四章の≪遺作≫欲望の女 がもっとも秘密めいてエロスの匂いが満ちている。M.D.らしいと感じたのは、その作品につけられたタイトルにある。「1947年のシュルレアリスム」「雌のイチジクの葉」は、それぞれ男性器、女性器らしきを写し取ったもので、「排水栓」「オブジェ・ダール」なんて半分悪ふざけみたいな、わけのわからないものもある。
 もっとも謎めいていたのは、遺作の「与えられたとせよ 1.落ちる水 2.照明用ガス」だ。これは作者の死後、望み通りにフィラデルフィア美術館内の所定空間へと移設された。そこでは、木の扉にあけられた二つのぞき穴の向こうに、草むらに横たわった裸体の女が大股をひろげ、片手に瓦斯ランプを掲げている。草むらのなかの白い肢体なのか死体なのか股の割れ目には、ひとすじの陰毛らしき黒い影が見える。そして、首から上の顔部分が見えないのは、草むらに沈んでしまっているのか、なにかの事件でなくなってしまっているのか。そのむこうの森の先に目を凝らしてみると、渓流にかかった滝が水しぶきを落とし続けているのがわかる。
 この全体が醸し出しているのは何だろうかと考えてみるに、漂ってくるのはエロスと死の濃厚な匂いだ。ランプの灯りと滝から流れる水は、東洋的な輪廻転生の世界を彷彿とさせる。

 初めに還って、公園の入り口のビルの森の向こうに見えた不忍の池冬枯れ水墨画の世界が、この≪遺作≫にふさわしく、デュシャンへとつながってくるような気がしてくる。思うにM.DUCHMPは、自らの存在を謎の物語仕立てにしていった節があり、いってみればその思想と産み出された作品は、“タマネギ”のようなものである。謎を剥いても剥いても、芯=真、解はでてくることがないだろう。これまでも、これからも、永遠の伝説として解はないのだろうから。


 M.D.の肖像大パネルをみる博物館展示室最終日12.9の観客たち


 美術館移設前のNY11丁目アトリエにあるM.D.≪遺作≫(1968) 
 デニス・ブラウン・ヘア(撮影)