当たり前であるが各人の命の長短はバラバラであり有限である、昨年白寿を迎えたお袋の様に相変わらず元気で中々迎えに来てくれないと冗談に嘆いている人も居れば、不本意に人生半ばでこの世を去らなければならない人も居る(甥っ子急逝)、合掌
当たり前であるが誰しもが自分は何歳まで生きられるか分かっていない、分からないからいいのであろうけれどももし分かっていれば存命時間の有効活用が図れるかも知れない、どうにかして命の限度を分かりたいものである、そこで分かる方法として私は自分の命の限度設定を行っている、設定が出来れば諸々の人生設計が立てられる、もしその設定限度以上に生きれたならばそれは「人生のおまけ」の時間だ、こんな考え方をしている自分は可笑しいだろうか? 私は真面目にそう思ってそれなりの整理を少しずつ進めているつもりである
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それに合わせた人生設計をするという考え方に賛成します。
自分に例えるなら
別にこれから巨万の富を築く必要もないし
自分が設定した自分の寿命(母よりは長生きしたいと思うが、
不摂生しているから父には及ばないと思う。) 迄生きることを
考えれば良いと思っています。
そろそろ、思い切って私も身の回りを整理したいと思います。