川崎ヤエ作(自由句)(91歳)
元旦を向えるに当たり
希望と期待に満ちた一年の始まりの思いを
歌舞伎の緞帳が上がるさまに置き換え詠まれた自由句です。
拍子木という「木」は、その時々の室温や湿度で鳴り方が微妙に違うといいます。
拍子木の会場を突き抜ける開演の「始まり!始まり!」の合図の音は観客の「気」を「緞帳」へと「一気」に「一心」に舞台へ誘導をします。
拍子木を叩くとは、叩くご本人の「気」が、会場のお客様の「気」と「魂」を集め・・・「無」の境地で叩くのだそうです。
川崎ヤエ氏はまるで、拍子木の音が暗い戦争時代にさえも冴え渡るように
こども教育・女性の地位向上のため地道にそして、賢明に生きました。
そんな拍子木(ヤエ氏)の生きた活動の余韻を道南の女性にたくさん残されもしました。
(市民憲章草案・函館文化賞制定・各婦人団体の発足・北海道では初の市政記者・戦時下の婦人意識の向上のための機関紙・裁判所調停委員・函館市生活相談員・その他)
道南の近代史の母と呼んでもいいのでしょう。
川崎ヤエ先生(96歳没)
奇しくも小渕元総理のご逝去のテレビテロップが
NHK 「川崎ヤエ追悼特別番組」放映中に流れました。
先生が亡くなられたとき、私は先生のご自宅の近くを車で通りかかり
「行こうかな?・・・でも・・・」と迷ったまま帰路に着いたのです。
「人の三倍生きた」とは生前の先生の談話です。
坂道を登るうしろは八重の花
(生前に労をねぎらう返歌が出来たのは幸いでした。)
「世界中の妻達が、夫とこどもの手綱をしっかり握って悪い事をさせないようにすると世界に平和が訪れる。」がいつもの持論でした。
「公共事業は、そこのエリアに所属していない議員さんが集まり、函館市政はその配分を決めていました。」とは、国政にお伝えしたい方法ですね。(不正防止策)
「故藤間扇藤(藤間流名取)先生と故斉藤タケ(函館見番代表)先生が私の両隣で、日本舞踊と三味線の長唄を見て聞くのが一番の幸せ。」
川崎ヤエ談
小樽出身で心豊かな扇藤先生と、この世の修羅を三味線の芸ひとすじの撥で振り切って来た斉藤タケ師匠。
それでは、2009年幕開けの出し物は「松の緑」と参りましょうか。
川崎 『粋人』 ヤエ
『超人』
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