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川崎ヤエ回想録・・・政治編その4

2009年01月08日 | 川柳

           衆議院議員A代議士の巻

わたしはねえ・・・今まで一度だけ衆議院議員の応援をしたことがあるんだよ。T議員さんのね。それは、Tさんを推していることよりも、A代議士の当選を阻止させたいが故なんですよ。」ヤエ

「・・・どうしてですか?」私

ちょうど、地元のA衆議院議員の不祥事の問題がマスコミに騒がれていた時でした。

川崎ヤエ先生は、きりりとしたお姿で・・・何もわからない私を諭すように

「いいですか・・・A代議士というのは自衛隊出身ですよ。当時の自衛隊員が国政に出たら不祥事を起こす事は解っていましたからね。」ヤエ

「・・なぜですか?」私(先生の言わんとすることがのみ込めていない。)

 

「いいですか・・当時の自衛隊というのは、上司の命令に従順で、いいことも悪い事も・・・素直にすぐやってしまいますからね。いずれ、不祥事を起こして道南の有権者の皆さんに迷惑をかけると思っていましたからね。だから・・・阻止をしたかったのです。」ヤエ

「・・・・・。」私

 

(この函館では、S・A両代議士の不祥事が続き、有罪判決まで下ったことがあります。

川崎ヤエ先生は教員を始め、北海道では初めての市政記者となり当時の日本を見渡しても政治記者はあと、ひとりいたとは、ご本人のお話でした。

なぜ、記者になったかというと当時教員をされていましたが、「間違えた軍国主義をこども達に教えるわけにはいかない。」と自ら教員を辞されたとうかがっています。

「もう一度生まれ変わったら何になりたいか?」と聞いた時、目を輝かせて嬉しそうなお顔をなさって、「そりゃあ・・・教員ですよ!こどもたちがかわいいですからね!!」とご満悦な姿が目に浮びます。

「軍国主義は教えられない。」ご自身の正義のこころに耳をしっかり傾けられたのでしょう。

当時は函館日日新聞という小さな会社で経営も大変な地方新聞の記者に転職されたヤエ氏です。この時点で「北海道初の市政記者」という歴史を残されることとなります。

     やがて函館日日新聞は、北海道新聞社に吸収され、

 その後、函館初の女性市議会議員にもその第一歩を記されたのでした。

                 そのいきさつは

「市議会議員も社から市議会に立候補して議員になるように指示命令に従ったもの。」

「当時は、何事もハイ、わかりました。という時代ですからね。」

     という事実が川崎ヤエ氏・・・の史実であります。

 ご本人は、新聞記者時代「軍国主義に殉じた記事より事実を書けば上司から真っ赤な色鉛筆で校正のチェックが入り、いつも自分の記事は赤鉛筆だらけだったと苦い・・・苦い・・・時代を砂をかむように耐えられて来られました。

それゆえに、ご自分の略歴の事実を公正に購読者にお伝えしなければ「道南の皆様に対して・・・私はうそつきになってしまうのです。」

・・・そんなヤエ氏の腑に落ちない心中を何度も何度もお聞きしました。

         人間にはいろいろなタイプがあります。

      自分を実力以上に紙面に書いていただきたい方。

          名声と絶賛を何より好まれる方。

川崎ヤエ先生はこの二つの中に入ることはまったく望まないタイプの方でした。

「わたしはねーもうマスコミの取材はみんなお断りだよ!私がいくら本当のことを言っても、今の記者は本当のことを書いてはくれない・・・本当のことを書ける時代なのにね。」

このことは、いずれ私なりにひもどいてもう少しくわしく書き残しておこうと思います。

          遅くなりました。A代議士の一件です。

川崎ヤエ氏の人間の資質を見抜く「教育者の目」

人間の将来を見透かす、「頭脳のメモリーの豊富さ」

書ききれませんが、それがA代議士の不祥事まで予知できたのでしょう。

       ちょっと、お話はそれますがこのA代議士さん。

実は私ともう27年ほど前からお世話になっているとあるお店で、毎日のようにそこへ晩年は通っていらしたといいます。

「僕は、自分のためにお金は使わなかった。すべては派閥の為。」と耳にたこができるほどその知人に訴えておられたそうです。

この函館のもう一人のS元代議士さんも当時のお偉い○○○様の汚名を自らおかぶりになった事は知る人ぞ知る。・・・です。

はっきり申し上げて、このおふたりは「忠誠心」という「サムライ」であったようです。「お人が・・・いい・・・のですね。」

       「函館の人はさっぱりしてて・・・人がいい。」

とは、生前ヤエ氏が「函館の離婚率の高さに対してある機関にコメントした「函館気質」です。(家裁の調停委員もなさっていましたからね。)」

この両元代議士さんは、本当は自分達を選んでくれた「有権者に対して忠誠心」を発揮していただきたかったですね。

 故川崎ヤエ先生の生前の「悔しい思い」を少し代弁したつもりです。

 道南のことを亡くなられるまで、「良くしたい。。。」という思いは並外れてすごかったのは先生を知る方々の共通項です。

  特に函館は 「ご自分の大切な本家」だったのですね。

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